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3つの居場所

おばあちゃんはよく、
「3つの居場所を持っているといいわよ」と、
私に話していました。

おばあちゃんの言う3つの居場所とは、

「妻・母としての自分がいる家庭」

「自分の能力を活かせる職場(仕事)」

「お友達といっぱい話せる婦人会のような場所」

でした。

小学生の時におばあちゃんからこのお話を聞いた時は、その真意に辿り着けずに首を傾げていましたが、



いま思えばごもっともな話。



子育てを一度でも経験したことのある女性なら
分かると思うのですが、
四六時中子どもといっしょにいることの大変さは
やってみないとわからないもの。 



家庭だけでなく、
職場で自分の能力を活かす時間、
女友達と楽しく過ごす時間もあることで、
それぞれの場所で起きる出来事を
俯瞰して見ることができたのだと思います。



家庭の中だけだと、
家族の問題でこじれた時に、
とても息苦しいものです。



職場に行くことで、
悩みから離れて仕事に没頭できたり、
女友達に話すことで
その問題の解決の糸口が見つかったりするのです。



職場の問題、女友達との問題についても、
また然り。
ある意味それぞれの場所が、
気持ち切り替えスイッチのように働いて、
常々ひとつのことに頭を悩ませることが
なかったのだろうと思います。



「いろんなことがあったけど、
3つの居場所があったから乗り越えられた」 



と、おばあちゃんはよく話していましたが、
まったくもって腑に落ちる話です。


■3つの居場所は、自分の本質と違わないことが大切 



ただ、大人になってじっくり考えてみたら、
おばあちゃんの言う3つの居場所は、
自分の本質と違わない場所であったからこそ、
うまく噛み合って、
良い相互作用が生まれていたのかな、と思うのです。

勤務先がブラック企業で常に疲弊していたり、
1人になるのが嫌だからと
苦手な人だらけのコミュニティに関わっている場合とか、それはもう、ストレスフルな状況だと思います。



例えば私は、小学生のころから、
学校なんか面倒くさいと思っていたタイプ。
その上、女子グループの諍いに
しょっちゅう巻き込まれているタイプでもあったので、おばあちゃんが3つ居場所を持っていると聞いて、
「うわー面倒くさそう」と、
のけぞった反応を示していました。



その頃の私のイメージでは、
小学校の勉強も、女友達も、
すべて面倒くさいイメージだったので。



なぜに面倒くさいのかと言えば、
自分が本当に望んでもいないのに、
それを
「やらされている」、
「そこに関わらざるを得ない状況にされている」、
という、
自分以外の何かに支配されている感覚が強かったため。
受動的な状況だったわけです。

特定のコミュニティに所属したが最後、
「私たちは仲間なのでここでがっちりスクラムを組まねばならぬ」みたいな、
「無言の束縛」を感じることも多々あり、
それは私の本当の気持ちを無視したものであるのにも関わらず、ある種の「しがらみ」に巻かれていなければ生きにくくなる、という、厳然とこの世にある法則のように感じられるものでもありました。



おばあちゃんの言う「3つの居場所」は、
そもそもが
自発的に彼女自身の決定で選び取られたものであって、それが自分の望んでいる環境として整っていたことが、いつも心をニュートラルな状態に保つ上で、大切な役割を果たしていたのだと感じます。



◾️「第3の場所」ではなく、「3つの居場所」すべて



さいきん、「第3の場所」という言葉を、
よく聞くようになりました。



「第3の場所」とは、
家族に奉仕する家庭でもなく、
職務に奉仕する職場でもなく、
自分がのひのびと、
心地よくいることを実感できるような、
3つめの場所を指しています。 



これは、私のおばあちゃんがいうところの、
「お友達といっぱい話せる婦人会のようなところ」
です。



どこかや誰かに奉仕の義務が発生する場所から離れ、
心地よい時間を過ごせる場所があれば、
視野も広がり、人との新たなつながりも増え、
ストレス軽減にもつながりますよね。



そう、それは自発的に選び取った
自分の好きな居場所だから。



でも思えば、
家庭も、仕事も、
自分で選んだから自分と密接なものとして存在するし、
よくよく考えたら、
誰もが自発的に自分の生きる場所を決めています。
(そこが現在、自分を生き生きさせてくれるものか否かはさておき)



私もいま、
家庭、仕事に加え、
まさに「第3の場所」としての地域活動があります。



家庭にいる自分、
若石式リフレクソロジーと
天ジュラムというツールでお仕事をする自分、
そして、人と人、人と場所をつなぐ地域活動。



自分で3つの居場所を持つようになって、
私自身は、「第3の場所」というよりは、
「3つの居場所すべて」が大切だな、と、
感じています。
これはたぶん、
おばあちゃんもそうだったのではないかな、と。



帰宅する家があり、
没頭できる仕事があり、
人と出会える地域活動がある、
という、3つの切り替えスイッチがうまく働き、
どこにも偏らずに
自分をニュートラルに保つことができ、
それぞれの自分の在り方にバランスが取れるのです。



この、「偏らない」というのは、
私がすごく大切にしたいことで、
どこか1つに依存的にならずに、
自立した精神の自分であることを保つのは、
大切なのかな、と。



居場所は、
2つでも4つでも、
ほんとうはいいのかもしれませんが
(じっさい、もっとたくさんの場所を持っている方もいると思うので)、
2つだと、2方向から向き合う合わせ鏡のようで、
常に見つめ合っている感じがしてやや窮屈なのと、
4つ以上になると、
視点も労力も分散されてしまい、
心地よく生きる上ではちょっとキャパオーバーな
気もします。



個人的にはやっぱり、
おばあちゃんのいう「3つ」ぐらいが最適と、
思います。



「3つ」の中身は、人によって違ってくると思います。
仕事(本業)、仕事(副業)、友達との時間、
という人もいれば、
家庭、趣味のサークル、大学院生、
という人もいるとおもいます。


たいせつなのは、
それぞれが好循環を生み出す環境になっていくこと。
息詰まりを回避しながら柔軟に暮らせること。


セッションや、
他の活動のなかでも、
さいきんたくさんの方に出会わせていただくのですが、よくよく周りを見渡してみると、
「3つの居場所」を持っている人は案外、
少ないと感じています。



ぜったい3つ持てよ!なんてことではないのですが、
3つくらいあれば、
ちょっぴりやりやすいこともありますよ、と、
私はいま、そう、感じています。



おばあちゃんの言っていることが
実感できるようになった、
40代の夏です。

#最近の学び

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