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「肯定」するために言葉を書きたい。 #読書感想文

7月からnoteの投稿をはじめた。
上手くて伝わる文章を書けているかどうかは置いておいて、書きたいと思う気持ちだけは変わらずに抱き続けている。
そのきっかけとなったのは、一冊の本だった。

『エッセイストのように生きる』著・松浦弥太郎


「いまこのとき」を大切に残したい。

少なくとも僕は戦士にはなれません。いや、なりたくありません。これはしあわせをあきらめるということではなく、どこかにこれからの時代らしい、もっと違うほかの、戦わない、競わないという新しい生き方があるのではないかという疑問です。

<はじめに>の文章を読んで、「これは自分のための本だ」と思う。
そういう本に人生で何冊か出会ってきた。まさしく、この本もそうだった。

同じだと思ったのだ。私も戦士になりたくないから。

日々の暮らしのなかにあるよろこびや感動、豊かさを探し、大切にする。まさに私が目指す生き方のヒントを教えてくれる本だった。

エッセイは、”いつまでも忘れたくない宝物を書き記して残す営み”だという。

私は、いつ訪れるかわからない未来の幸せや理想ばかりに気を取られ、目の前の幸せを見逃してしまうことばかり。人生の主人公は自分でしかないというのに、まるでスポットライトがあたっていないかのような錯覚に陥ってしまう。そんな生き方をなんとかしたいと思ってきた。

どうしたら日々を大切にできるのかこの人生の宝物を見逃さないのか。試行錯誤を繰り返しているなかで、この本を通して、エッセイストという生き方に出会った。

本質的な幸せを探している。

エッセイストは、自分や心が動いた対象について深く知ろうとするから、おだやかに生きることができるという。
ものごとに隠された本質を見つめ、考えたいことや気になることを「これはどういうことだろう?」と関心を寄せつづけることで、心躍りながら生きていけるというのだ。

たしかに、自分にとって大切なものを見つめながら生きていけることは幸せだ。大切なものは、けっして特別なものじゃなくて、日常に転がっているはずだから。そういう幸せや感動を追求することで、自分の人生を豊かにすることができるのではないか。

本書では「知る」と「わかる」はまったくの別ものだと書かれている。「わかること」は本質に近づくことで、大切なものが増えていくということ。
だからこそ、わかるまで関心を寄せて見つめ続けるエッセイストの生き方は、本質的な幸せを探すとっておきの生き方なのだと思った。

「肯定すること」が人生のコンセプトになった。

自分のコンセプトを実現するために今日という一日がある。

松浦さんの場合、「自由を語ること」がエッセイストとしてのゴールではないかと考えているようだ。
「自由とはなにで、自由な生き方とはどんな生き方で、自由に生きるためにはどうすればいいのか」という秘密を発見し、自分の言葉で語れるようになるまで書き続けるだろうという。

私のゴール・人生のコンセプトは何だろうと考えた。見つけた答えはこれ。
「肯定とはなにで、肯定的な生き方とはどんな生き方で、肯定的に生きるためにはどうすればいいのか」

「ありのままの自分とは?」
それがわからずに生きてきてしまった。
だからこれからは、「ありのままの自分でいい」と思える、その一瞬一瞬を丁寧に積み重ねていきたい。見つめていきたい。それが、私がしたい生き方。

そして、「生きているだけで尊い」と思いたいし、そう伝えていきたい。
恥ずかしながら、今はまだ自分のために書くことで精いっぱいだけど、これからは読んでくれる方にとって、生きているありのままの自分を肯定できるような、救いとなる文章を書けるようになりたいと思った。

”夢”というか、”生きたい人生”を見つけられた感覚。こんな感覚は久々で、「これだ!」と身体中に熱いエネルギーがあふれた。まだ、前に進める気がした。

だから、この本の感想としてまず思い浮かんだ言葉は、「ありがとうございます」。迷いなくこの感謝のひと言が出てきて、自分の手元で記録している読書ノートの1行目にもそう書いた。
この本に出合えた喜びと感謝を、ずっと覚えていたい。

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「エッセイ」「エッセイスト」という言葉にピンとこない方でも、穏やかに、日々を大切に生きていきたいと思っている人にとってヒントがつまった本。

素敵な本に出合えて幸せです。ありがとうございました。

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kanako
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