無意識に自分を攻めていた。痛みは罰という思い込み。
ランニングに夢中になりすぎて
脚を痛めた自分に対して
「ダメなやつ」って思ってました。
・結局、みんなに褒められたかっただけなんじゃないの?思い上がりやがって!
・どうせ、自分なんて、走れたってこの程度でしょ。頑張ったって無理じゃない?
・無理して頑張る自分を見て欲しかったんでしょ?かまってほしいだけでしょ。
・そんな事考えてるから脚痛くなったんだよ。バチが当たったの。
脚が痛くなった自分を
私は攻めてしまっていました。
その事に、気づかせて下さったのがyasumi(さんふぁいふ)さんの天使のメッセージでした。
(優しいメッセージです✨)
リアル痛いを味わっていた私は
その痛みに伴う諸々の事を
攻めまくってました。
痛みは罰 そんな風に思い込んでいたんです。
*心から楽しむへのゆるし
私が一番認めたいのはソコかもしれません。
走ることの楽しさに気づき
走っている間は、無我夢中になれる。
だから走る。
条件付きだったんです
自分が無我夢中に楽しめるのは
「走っているから」
でも、そうじゃなくて、
なんの条件もなく
走っていても いなくても
私は、私を楽しんでいいんだって事
誰の許可もいらない
私が私自身に
「条件付きの楽しみ」しか与えてこなかった。
痛みによって「楽しんでいい」を奪われた事で
私は、自分にかけていた制限に気づきました。
何をしても しなくても
私は 楽しんでいい!!
むしろ楽しまなくてもいい。
ね꒰ঌ( ˊ˘ˋ)໒꒱