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恐怖や不安が生きている証明なんじゃないか。生きている実感が欲しくて私たちは問題を引き起こす。マッチポンプな私たち。

人の生死はすごく曖昧なもので
今、生きているのか死んでいるのか
(死んでいるという進行形が単語として正しいのか??)
それは、実は、証明できないんじゃないかってお話を前回しました。
今日はその続きです。

https://note.com/kana_advance/n/n9fb7c7a1b6f4

私は今生きている証明として「死への恐怖があること」を定義しました。
未知の体験だから怖いし不安に思っている
ということは「死んだ」経験がない。
相対的に「生きている」と。
(生死は結局相対的にしか証明できない説)


「恐怖」や「不安」が生きている実感を与えてれるもの。
と、私は考えています。

幸せで満ち足りているとあまり生きている実感がしない
というか、
楽しい時って
「おや?死んでるのかな?天国かなここは?」なんて思うことないですかw

「死んだら楽になる」
死んだら苦しみとか悲しさと、そういうのなくなるって
漠然と思っていませんか?

私の患者さんで、よくそんな風に言う方がいます。その度に、私は、本当にそうなのか?と疑問に思うのですが、確かに漠然と「死んだら楽になる」は思い込みとしてあるように感じます。

ということは
生きているという実感が湧くのは
苦しい時や悲しい時や本当に辛い時
そういう時
「もう死んじゃいたい」って思いますよね。

「死にたい」って思うってことは
「死んでない」=「生きてる」ってことですよね。

まぁ、楽しい時も
「もう死んでもいい」って思うかもしれないですけど
辛い時や苦しい時ほどの、強い「欲望」にはなりにくい様に思います。


私たちの人生には時々大きな問題が起きたりして
辛くてどうしようもない時が訪れますよね。

でもこれって、「生きている」って実感したくて
自ら引き寄せているのかな?
ってちょっと思います。

マッチポンプですよ。

私たちは、一瞬一瞬生きていて
それがすごく奇跡的なことだけど
生きていることが当たり前になってしまうと
生きているってことがわからなくなって
だから、生きているを感じるために
何か問題を引き起こすようにしている。
それは自分の顕在意識でしてるというよりも
無意識の潜在意識でしていることだとは思いますが。

だから、不幸は嫌という感じるのもマッチポンプなんです。
自分がそう感じたいと思ったから起きている事象だから。

生きている実感ですごく曖昧なものだから
一瞬一瞬感じ続けることが大切なんだと思う。

「今、私は此処に生きている」

その感覚を一瞬一瞬、毎瞬毎瞬、「感じる」こと。

それだけが私たちが生きているを実感できる
唯一の術の様に感じています。


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