私は生きているのか?死んでいないのか?
最近、夜寝るのがちょっと不得意です。
寝るって死ぬと同じらしいですよ。
擬似的な体験としての死=寝る
たしか養老孟司氏が言っていたと思う。違うかもww
死んだらずっと夢を見続けているかもしれないし
天国とか宇宙とかそういうところに行くとしたら
それは今の時点の自分からみたら
夢を見ているのと同じ状態で
結局、物質世界に戻らないってだけで
もしかしたら、物質世界にも戻るかもしれないけど
今の「自分」には戻らないってだけ
ですよね。
そんなことを夜になると考えちゃうんです。
死んでいるのか?
生きているのか?
生きていないのか?
死んでいないのか?
「死ぬ」って“体験”できないんでしょうかね?
物質としての自分を考えたら
「死んだな」って「思う」のは「脳」なわけで
死んだらその「脳」は働かなくなるから
「死んだな」って「考えられない」「おもえない」
ってことは「死ねない」ってことでしょ?
誰かが言っていました(これも養老さんかもしれない)
「死」は自分の体験じゃなくて
他人にとっての体験でしかないんだって。
そういうことです。
人は「死なれる」ことはできるけど
「死ぬ」ことはできないんです。
体験とは「思考」することで「感じる」し
そして「思い出」になるから「体験」になる。
思考もない、感じない、思い出にもならない。
それは体験できていない。
人は死ねない。
なら?私は今、生きていると言えるのか?
生きている証って何かなって考えてみたら
それは「死への恐怖がある」ってことかなと
私は考えています。
怖いとか不安て
体験してないことに感じるじゃないですか?
「死ぬのが怖いな」って思うってことは
たぶん「体験」してないから。
だから、たぶん私は生きている。
死ぬのが怖いから。
人の生死って実はそんな風に曖昧なもので
証明する術がないものなのかもなって思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?