命を食して生きている私たちの命もまた、次に繋げるべき命。繋がりを意識させられたすごい番組に出会いました。
『カリギュラ』という番組ご存知ですか?
Amazonプライムの番組です。
地上波ではコンプライアンスとか視聴率が伸びなさそうな企画だけどやってたみたい!
ダメだと言われるからこそやってみたい!
そんな企画の番組です。
この番組のコーナーに
「東野 鹿を狩る」
というのがありまして、
東野幸治さんが、
北海道の山林で鹿を狩って食す。
という企画なのです。
コレマジでヤバい!!
地上波でやるべき!
『命をいただく』って
私、全然、わかってなかった。
今もたぶん腹落ちはしてない。
それでも、なんか、何にも感謝せず
むしゃむしゃ食べてた自分、反省。
この番組の中で
鹿を撃って殺して血抜きして
皮はいで内臓取り出して
肉にしてそれを食べれるまで分解して…
という狩猟の一連のシーンがあるのですが、
その行為のひとつひとつ全部が
ホントにすごい。すごいんです。
慣れてない東野さんやスタッフは
しんどそうに山林を駆け巡っていて
鹿を見つけるどころではない。
道無き雪の山林をひたすら歩くだけでも大変。
でも、そういう所じゃなきゃ猟はできない。
解体作業もなかなかの大変さです。
命を頂くのには
それ相応の苦労があるんですよね本来は。
鶏や豚、牛もそうです。
誰かが殺生して、食べれる状態にしてくれているから、私たちは生き長らえていられている。
動物だけじゃないです
野菜もお米も、水にお菓子だって
誰かの手を借りなければ
なにひとつ口に入れられない。
私は何らかの「命」を頂かないと生きてはいけないのに
楽して手にしてる。
もう、情けなさ痛感。
そして、本来ならば、私の命も
何かに循環するのが
自然の成り行きなんですよね、たぶん。
自然にとって「命」って
個々の命より
全体としてひとまとまりとしての「命」の在り方が実は重要で
全体としての一部の命を
今、お借りしているだけで
だから、他の命を食す事が許されているだけで
いつ、全体の命の在り方が変化して
私たち人間の命も
動物や野菜と同じ様に扱われてもおかしくない。
自分の命は自分だけのもの
人間の命は人間としてだけ全うすればいい
そんな風な狭い世界で
「命」を捉えているより
自然全体としての一部の「命」
そう感じる事が
実は大切で
人間として社会に馴染むより大切な様な気がします。
そして、「命」をこの身体
この「個」に留めているって
すごい奇跡的なのかもしれないです。