Eczema:アトピーの話【1】
先日の記事で映画レビューと言いつつ、オスカーでのウイルスミスビンタ事件を書いたわけですが。もうどっちがメインかわからんやん!みたいな状態で。そこで少し触れた私が経験した自己免疫疾患や脱毛、見た目の話と関連付けて、アトピーの話です。
毎度、毎度、前置きが(クソ)長い私のNoteですが、その2で、このNoteキモである私に効いた治療法。そしてその3で、めちゃくちゃ汚いボロボロの見た目(文字通り)だった私への夫アルゴの対応なぞが出てきますので気長にお付き合いください。
とはいえ、治療法、症状などは千差万別で個々人に色んな考え方があるのは百も承知しているので、なるほど、こういうアプローチもあるのかと言う程度に、何かの参考になればいいなと思う。そして同時に、アトピーの事で苦しんでいる人、悩んでいる人の心を少しでも軽くできることができればいいなと思う次第。
たまには英語的に役立ちそうなことも書いておこう。アトピー性皮膚炎は、Atopic dermatitisというのが正式名称だけれど、 Eczemaというのが一般的に知られている・使われている名前。英語圏の薬局などで市販薬が必要な場合や、お医者にかかる場合は、Eczemaという名前を憶えているとよいと思う。
私には7-8年、写真がものすごく少ない時代がある。20代後半の頃。以前、Noteにも書いたけれど、アトピー性皮膚炎が劇症といわれるレベルに悪化した頃。劇症という言葉を使ったけれど、正しくは、最重症:強い炎症を伴う皮疹が体表面積の30%以上に及ぶ状態であり、私の場合、60%超に及んでいた。なんせ体中の皮膚がデロデロのボロボロなもので、洋服が着れないのである。コットンのTシャツ、シャツが触れるだけで痛い、かゆい。
そんな状態から回復した私は、例えば、よく行く中華系の食材店のまったく知らない店員さんに『まーー!!皮膚、よくなったわよね?すごく肌がきれいになってる!よかった。ずっと見かけていて気になっていたの。治ったの?よかった』とか。話したことがない人が思わず声をかけたくなるほどに回復。主治医に『あなたの回復ぶりはうちの病院のポスターとかパンフレットに載せたいわ。ポスターガールよ』などと言われるくらいの回復ぶりなんである。ずいぶん、長い時間がかかったけれど。
私たちの世代(40~50代)の子供時代は、おそらく、「アトピー」という皮膚の状態の名前が出始めた頃だと思う。物心ついた時から私は皮膚が大層弱かった。腕や膝の裏側、首、口の周りなどが常にかゆく、ガサガサしていた。後になってかなりひどい状態になるので、幼少の頃のアトピーの状態は軽症だったとは思うけれど、それでも子供というのは時にひどく残酷なので、アトピーを理由にからかわれたり、いじめられたりもした。
10代そして20代前半の頃は、局所的に皮膚が荒れたりはするものの、化粧をすることもできたし、肌をさらすことができた。子供の頃アトピーでも年をとるにつれて、症状が軽減したり、おさまったりする人も多い。
悪化してからは水ですら激しい痛みを感じるほどだった。少しずつ濡らしていって、痛みをごまかしながら体を洗ったり洗顔したりした。シャワーを浴びるたびに、ぐぎゃぁぁぁと叫んでいたものだ。シャワーから出る水滴が痛い。ぬるま湯でもひどく熱く感じるが、だからといって冷水シャワーもまた痛い。
何度か書いたが、渡米し、研究生活を始めてから落ち着いていたアトピー、そしてアレルギーが悪化した。ねずみの呪いなのである(注:私は長らく動物実験に携わっており、げっ歯類を実験動物として使っていたため、アレルギー等が悪化したのである。詳しくはこちらのNote)
最初のうちは、子供の頃のような症状で、局所的に皮膚が荒れ、かゆみが続く程度だったので皮膚科に行き、薬をもらい対処できていた。だが半年後には首、顔全体、頭皮にまで炎症がおよび、それから先、体中の皮膚が剥け、鱗のような状態になるまで大して時間はかからなかった。
ちなみに皮膚科だとかの専門科医への予約などは面倒くさい。他の医者からの推薦が求められたり、初診の予約を取るのに3か月待ちとか割とザラ。いきなり専門家医へと連絡しても断られるケースの方が多い。
ステロイドクリームの使用について賛否両論があるのは知っているし、ステロイド=悪いもの、と認識しておられる方もいるかもしれないが、私の考えは、『コントロールしてうまく付き合っていくべきもの』である。アトピーの人は、皮膚のバリア機能が著しく低下しており、さまざまな刺激に皮膚が反応して炎症が生じやすくなる。炎症を抑えるために、ステロイドクリームはどうしたって必要なものなのである。
広がる炎症というのは、小さな火が起こる→だんだんと大きくなる→そして火事になる。という流れと似ているように思う。
このだんだんと大きくなる状態の時、どうする?そりゃ、バケツで水をかける、消火器で火を消そうとする。この時のバケツの水、消火器がステロイドクリームなのだ。それで消えれば安泰。消えてしまった火に水をかけ続ける必要はない。なので使用をやめる。でも、ぼうぼうと燃える大火事では、バケツの水や消火器は少しは役立つけれど、消防車が必要となる。この場合の消防車が内服のステロイドであると私は思う。
こちらのサイトに詳しくはあるが、ステロイド外用薬を医師の指示にしたがって適切に使用すれば、内服薬で生じることがある副腎不全、糖尿病、成長障害などの全身的な副作用は存在しない。
基本的にアトピー治療は「症状がないかあっても軽く、日常生活に支障がなく、薬物療法もあまり必要としない状態に到達して維持すること」「軽い症状は続くけれども急激に悪化することはまれで、悪化しても症状が持続しないこと」を目標として進められるので、根治、完全に治るということは難しい。そもそも根治などという状況があるのか私は知らない。
私がアトピー性皮膚炎であることを母親は大層、気にしていた。幼稚園や小学校でからかわれたことを知って、ごめんねと謝られたこともあるが、そんな謝られたってどうしようもないのである。母親が罪悪感を感じる必要はないと幼心に思ったものだが、やはり感じてしまうのであろう。なので、幼い頃からありとあらゆる治療を受けた。というか、受けさせられていた。皮膚科も良いと評判のあちこちに連れていかれ、漢方が良いと聞けば、漢方を試し、これが効くと聞けば民間療法も試し、食事制限もさせられた。
子供を治してあげたい、ただただそんな子を思う優しい気持ちであることが今ではわかるが、同時に、あれもこれもと制限される生活は私にとって次第にストレスとなった。
大人になってから知ったことだが、アトピーの原因の一つにストレスもある。
先にも書いたが、母の気持ちはわかるが、そのような体質に生まれてきたのだからしょうがないのである。母が頑張る理由はわかっても、がんばりすぎる母親を受け止める子供は時に苦しいものなのである。私は12歳の頃、初めての胃潰瘍を発症した。
IgE抗体というものがある。免疫グロブリンの一種でアレルギーの原因物質が体内に入ってくると、ヒスタミンやロイコトリエンなど化学物質を放出させる。そしてこのヒスタミンなどの化学物質が、鼻水、くしゃみ、かゆみ、咳、喉の違和感などを引き起こすのだけど。
アレルギーの検査でこのIgE抗体を調べたところ、私の数値は標準値の70倍近い数値を叩きだした。いうなれば、スーパーサイヤ人、ディオ様(JoJo)レベルの圧倒的な高さだったのである。こんなとこで強くてもちっともうれしくない。
因みにヒスタミンは赤ワインにも含まれる。私はそれを長い間知らず、体にいいらしいよ、赤ワイン、と聞いて数年間、赤ワインをがぶがぶ飲んでいた。アレルギー体質の人は赤ワイン、避けることをお勧めしたい。おいしいけど。
IgEの存在は、アレルギー反応をおこしている状態を意味しているのではなく、アレルギー反応をおこす準備ができているということを意味する。つまりもう、私は万全ばりばり、ものすごい勢いでアレルギーがでる状態だったのだ。
特異性IgE抗体を調べることで、何に対するアレルギーかがわかり、非特異性IgE抗体を調べることでアレルギーの程度・強さがわかるのだが、やっかいなことに症状があるのに、血液検査でこの抗体が出ないこともある。後述するが、私は小麦がこの「出ない」場合のものだった。
今は昔と違って、色んな情報がネットにあふれている。私がこんなアレルギーもろもろのことを知ったのは自分の具合が悪くなってから調べたり、お医者に教えられたことだ。まずは知ることから。それが第一歩だと学んだのは、病院のベッドの上だった。時すでに遅し、なんてものではない。
幼い頃に母親の行ったアプローチが悪いとは言わない。一生懸命にやってくれたことだし、そこに愛情を感じる。でも考えてみれば至極当然のことで、物事が起こる原因、要因をいうものを調べ、見極めなければ、様々な治療は、結局のところ、ぼうぼうの山火事にバケツで水をかけて消そうとする、そんな行為と同じことなのだ。
(続)
続きです。
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