Eczema:アトピーの話【3】
アトピーの治療の話とかの続き。その1ではちょっとした概要、その2では治療法の勧めなぞを書いたので、ここでは実際にやった改善もろもろとメンタル面について書いていきたい。
ありとあらゆる検査をした後、私はアレルギー源を徹底的に排除することから治療の第一歩が始まった。
家はもちろん、ハードウッドフロア、埃やカビを避けるためにカーペットはない。エリアラグなどもない。壁紙に潜むカビなどもあるので、家には壁紙もない。除湿器および空気洗浄機の設置、寝具はすべてアレルギー対策のしてあるカバーやシーツを使用。部屋の窓は決して開けず、空調にて温度調整。
食事制限も始めた。これは制限が多すぎて後になって摂食障害的なもの、外食恐怖症になってしまうのだけどそれはまた別のお話。
アレルギー反応が出る食材は徹底排除、もちろん、エピペンも処方された。少しでも連鎖反応でアレルギーが出そうなもの。例えば、桃やバナナはバラ科に由来する植物なので、バラ科に由来するものは避けた。リンゴ、梨、アーモンドなど。ナッツ類のアレルギーは主にマカデミアンナッツとアーモンドだったけれど、ピーナツやピスタチオなども避けた。
グルテンフリーの食事。最近では、グルテンフリーのものが多いのであまり苦労はなかった。ちなみに不耐性というのは、うまく消化できないため、消化しきれない分が体に溜まり、それがアレルギーなどを引き起こす要因になる。
それからもちろん、アルコール、カフェインの制限。これは大の酒好きであり、コーヒー大好きな私にはつらい以外の何物でもなかったし、正直、色んな制限の中でこれが一番、つらかった。だが、数年の間は我慢した(今は種類を選ぶものの、じゃんじゃん飲んでいる)
やってらんねぇぇぇぇ!(叫)と思ったが、致し方ない。とにもかくにも普通に生活していくためなのである。これらの制限は、しんどかったがこの頃、夫アルゴが何かの気まぐれで完全菜食主義(ヴィーガン)生活をしていたため、割とやりやすい環境ではあったのだ。それにしてもいまだにヤツがなぜヴィーガンだったのかは今をもって謎である。
アレルゲンの徹底除去に、主治医との定期的な診察、そして処方薬。アレルギーの薬3種類(抗ヒスタミン内服薬)、点鼻薬、ロイコトルエン拮抗薬、点眼薬、ステロイド外用クリーム3種(強さが違う)、胃酸を抑える薬と整腸剤などなどを服用。あと喘息の薬もろもろ。
薬は基本、内服・目薬・点鼻薬は朝夕、クリームは症状が出てる時のみ一日、数回。目薬と点鼻薬は「今日はなんも症状でてないからいいか」というようなものではなく。予防的な意味もあるので、毎日ちゃんと朝夕やるようにと主治医に念を押されている。目薬、点鼻薬は、予防用のもの、そして症状がひどい時に使うものの2種類が出されている。鼻詰まりだとか、目のカイカイが酷い人は、お医者さんと相談の上、この方法を試してみるのもいいかもである。
アレルゲン免疫療法(減感作療法)といって、アレルギーを引き起こす物質の抽出液で作った薬を、皮下注射で少しずつ体に入れ、その物質に対する反応を弱めていくという治療法がある。現在はそれを行っている(注射に通っている)のだけど、その治療を始められるようになるまで、つまり、体の状況が落ち着くまで3年ほどかかり、それでもIgE抗体のレベルは尋常ではないレベルであったので「まぁ、やっても多分、効かないかもしれないけど、試してみましょう」という感じで始めたのだが、これが大当たり。注射に通うようになり、2年ほどで肌の様子がようやく普通のレベルになったのだ。
検査を力強くおすすめするのは、こういう風に、自分が何に反応するかわかれば、防止策、予防策がもろもろとれるからである。そして駄目モトでやってみたら大当たりという結果が出たからでもある。繰り返し、繰り返しになるが、Aさんに効くからBさんにも効く、というようなことはないのがこのアトピー治療の厄介な話なのである。
ちなみに、このアレルギー注射。通常であれば、毎週の注射→2週間に1度→1ヵ月に1度、こんな風に注射に行く回数が段階を経て少なくしていき、最後には注射無しでOKというものなのだけど、注射を始めてかれこれ8年ほどたっているが、私はいまだに2週間に1度通っている。マシになったとは言え、基本的に私は1年中、激烈花粉症のようなものなのである。
20代後半~30代前半というのはまだまだ楽しいこと満載の時期で、化粧ができないだけならまだしも、皮膚がドロドロになるというのは精神的なダメージも大きい。その1冒頭で書いた写真のない時期というのはそういうことなのである。髪の毛までずるっと抜ける程に頭部の皮膚もドロドロだったし、にじみ出てくる浸透液?的なものはなんだかひどく臭う気がした。
当時は何で頭にまでアトピコが……と茫然としたものだが、考えてみれば、皮膚って全部つながっている丸っと1枚仕様だから、そら出てもおかしくない。頭には500円玉くらいのハゲが3つほどできて、髪の毛も笑えるくらいに抜けた。そもそも私は髪の毛の量が少ないのに、さらに抜ける。枕にはタオルを巻いて、カバーもタオルも毎日変えなければならなかった。朝、起きるたびに毎日、割と本気で泣いていた。
大量の内服ステロイド剤の副作用でムーンフェイスにもなった。ステロイドには、食欲が進み、太りやすくなり、脂肪は顔面や肩、腹部につきやすく、手足にはつきにくいという特徴があり、顔が丸くなるものがあるのだけど、そんな風だった。
魔人ブゥ様であった。しかもアトピーの炎症で顔も体の皮膚も真っ赤だったもので「マジ、まんま魔人ブゥ様じゃん」と涙した。ブゥ様はピンクだけど。
自分でも汚い、醜い、太いと自覚しているし、周囲からみたら、ひっ!って声を上げるレベルで、実際そういう風に悲鳴にも似た声を挙げらるのもしょっちゅうだった。可哀そう、なんて言われるのも日常茶飯事。しかも知らん人から。今なら、余計なお世話じゃ!と言えるけど、当時は、落ち込んだり、傷つく余裕すらもなかった。だって何とか普通の生活をしようとするだけで精一杯なのである。なので、当時、恋人だったアルゴが浮気をしていると知った時も『そらそうよな』と思っていた。
でもアルゴの態度は一貫していた。「え、全然。汚くないし、臭くないよ。あんたが何を言ってんのか意味がわからん。あんたの皮膚のこと、見た目のことで何か言うヤツがいたらぶっ飛ばしてやるし」と言って、実際に何人かをぶっ飛ばしていた。(そして、ここに来て再度、長い前置き。このあたりが件のウィルスミスの記事に関連しているわけでw)
「どんな見た目でも、あんたはあんたじゃん?だから痛そうだとは思うし、自分が何もしてあげられないのがもどかしいけど、そんだけだよ」と言い続け、実際に、浮気女と完全に切れて一緒にいることになった。魔人ブゥな私と。
アルゴは、浮気をした理由は、私の皮膚や体の状態のせいではなく、単に自分と過ごす時間を全くとってくれない、いつもすれ違ってばかりいるというのが理由であるということをはっきりと言っていた。私の皮膚がこんなんだからでしょ!と責めたら「こんなん……とは?(真顔)」と返ってきた。効くと聞けば、クリームだの、入浴剤だのお金に糸目をかけずに買ってきた。行動的には、母がやったことと同じなのだけど、アルゴは強要することは決してなかった。
それは私にとって大きな意味を持った。
その1に書いたが、母は私の皮膚をみて謝り、よく泣いていた。父方の親戚の何人かは(注:私はこの人たちが大嫌いなのだけど)などは、しつこく「かわいそう、かわいそう、汚いし、かわいそう」というようなことを延々と言い続けるような人たちだった。このように、「かわいそう」と「かわいそう」の間に「汚いし」とサラっと本音を忍ばせてしまうあたりにクソ親戚のクソ具合がわかるものである。
なので、長い間、そうか、アトピーの肌というのは汚いもので、可哀そうなものなのだ、という認識しかなく。治療に必死になる母の姿を見て、そんな風にまでしなければならないほどに重大なことであるのだと思えた。いじめられたり、からかわれたりしたことから、アトピーの肌=きたないもの、見苦しいもの、という認識だけが残り、そんな肌を持つ私は、哀れ極まる存在なのだと思った。そしてそれは私の心の根っこのところに深い深い劣等感を植え付けた。
なんだかんだで、見た目って大事なんである。自分が実際に、デロデロのべろべろの、文字通り、お化けのような見た目になって、それに反応する周りの人のリアクションを見続けてきたから、確信をもって言える。人は見た目を優先するのである。それはまぁ仕方のないことなんである。異形のものを見かければ思わず目で追ってしまう。そういうものなんである。
もちろん、ひぃって言われたら傷つくし、可哀そうと言われると泣きたくなる。『人は見た目じゃないよ!そんなこと言ったら駄目!自分を卑下しちゃだめよ!』なんていう人に「ほんじゃこの、でっろでろの皮膚にキスできるかい?こんな私にハグできるかい?」と聞いてみたら、むぐぐと多くの人は黙り込んで下を向いた。偽善者め。
偽善者め!とは言わなかったけど「きれいごとだけで生きていけるなんて、あなたはラッキーな人よね。ふふふ」って言っといた。まぁ、でもそんなもんよ。自分でも汚いなぁって思ってたから、しょうがないのよ。
だからってわけじゃないけど、私は開き直るしかなかったし、かわいそう、と言えば「かわいそうやろ?めっちゃ痛いし!痒いし!」とか。なんでこんなことに、と聞かれれば「ネズミの呪い」と答えることにした。まぁ、ネズミの呪いは割と本気で言っているわけだけど。
何が何でも前を向かねば、ストレスは増える一方であるし、開き直らなければ生きていけなかった。今でこそ開き直りのBBAではあるものの、そら20代の頃とかそれなりにセンシティブであったのである。
見た目が汚いという意識が十二分にあったため、見た目が汚い上に、心が汚いとなると手に負えないからちょっとなんとかせねば!最悪やん!と思った。言葉が汚いのは……まぁいいか。よくないけど。
でもまぁ、多分、私がそんな風にできたのはアルゴがいたから。浮気とかいろいろ(クソ)ひどいこともされたのだけど、それでもアルゴが一緒にいてくれたということ、治療などへのプレッシャーをかけなかったこと、可哀そうという言葉を決して使わなかったこと。そして彼の親族(亡きママやママの姉妹たち、いとこたち)もアルゴと同じようにしてくれていたことが大きい。
これらのことは、皮膚だけでなく、私の中にある劣等感や卑屈な気持ちをも癒やしてくれた。同時に、ふてぶてしくなるというか、開き直るというか、そういう気持ちになれた。私は私なんだから、一生懸命治療してにっちもさっちもだけど、自分以外にはなれないのだから性根を変えるしかねぇ!己に自信を持つしかねぇ!そんな感じである。
大体の場合において、夫アルゴは私のストレス製造マシーンではあるが、でも自分が何かしらのもの・存在であると教えてくれたのは紛れもなく彼であり、強くならねば、自分をもっと好きにならねば、と思えたのも彼がそう教えてくれたからである。なんも変わらずキスもハグも性生活も普通だった。アルゴはびっくりするぐらいにずっと普通だったのである。
20代後半から30代の殆どを私はアトピー、アレルギー、喘息の治療に費やし、そもそもその原因であった心のストレスの治療もあったし、そんなことをしながらも日々は目まぐるしく、次から次へと色んなことが起こった。
そんな中で、病状の治療や治癒だけでなく、心、というか私という人間そのものも変わり、自分では良い方向、少しばかりは良い人になった気がしている。それは、やはり伴侶であるアルゴがいてくれたおかげであり、逆説的な言い方だが、体を壊したり、見た目が酷い状態になったからこそ、私は自分にとってアルゴがどんな存在なのか理解できたように思う。
今、アトピーであることで苦しんでいる人や生きづらい思いをしている人もいっぱいいると思うし、子供さんがアトピーやアレルギーで何とかしてあげたいと懸命になっている親御さんもいっぱいいると思う。
そんな人たちに私は気軽に「大丈夫」とは言えない。
だって大丈夫じゃねぇのは私が身に染みて知っているもの。しんどいんだよ!しかも、日本人なんてあんま、しんどいとか、つらいとかいっちゃ駄目みたいな風潮が強いから我慢しちゃうし。だがなぁ、アトピーってのは、軽くても重度でも、しんどいの!かゆいの!見た目が気になるの!(叫)それはしょうがないことなの!
その1の冒頭にも書いたけれど。私がこの記事を書いた理由は、何か助けになれればいいな、とか。洋服すら着れない、眉毛すら全部なくなっちゃうほどにボロボロのひっどい状態だったアトピーでもなんとかなったよ、とそんなことを伝えたかったのである。
長い、長い道のりではあったし、しんどい思いから、はたまた死にそうにななったこともあったし。この年になって色んな副作用に悩まされたりもしているけれど。今は生きていることがうれしいなぁ、楽しいなぁと思う今日この頃なのです。
続く
その4
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