稲荷神社に参拝すべきか?その3

数年前、当時学生だった娘と御朱印巡りに行ったときのこと。その日は朝から雨模様で途中で土砂降りに遭ったり道に迷って大回りする羽目になったりでロス時間が長く、最後に予定していて楽しみにしていた稲荷神社には時間切れで行くことが出来なくなりました。そこで私はふと思いました。前に書いた通りで観音菩薩を祀ってからというもの天気に恵まれることが多かったにも関わらず御朱印巡りの日に限って生憎の雨になったこと。何か足止めを食っているかのように、急に土砂降りになってお寺の中で雨が小降りになるのを待っているということが2度もあったこと。道に迷って遠回りする羽目になってかなり時間を食ってしまったことなど、偶然が重なって、かなり余裕を持った時間設定だったのに最後の稲荷神社だけ行けなくなってしまったという結果についてです。どこの神社か忘れましたが、その神社に呼ばれないと行けない神社があるという話を聞いたことがあります。その神社に参拝出来た人は呼ばれている人で、呼ばれていない人は行こうとしても急に予定が入って行けなくなったとか、何かしら不都合が生じて参拝出来ないという話です。その神社に限らず行こうとして道に迷って中々辿り着かないとか、参拝しようとして何か気分が優れないとか、そういった神社には歓迎されていないという証なので参拝をやめた方がいい、みたいな話を聞いたことがあります。たまたまその日に限って良くない日で別の日に行けば大丈夫、といったこともあるようですが、いずれにせよ行こうとして行けなかったというのは神社の方でお断り、というサインだったと解釈して良さそうです。よく寺社に参拝するのは神仏とのご縁を結ぶことだと言いますが、参拝出来なかった寺社というのはご縁が無かったということでしょう。その御朱印巡りで稲荷神社に行けなかったことで私はそれを初詣の稲荷神社と結び付けました。初詣に行った元旦早々に警察官に怒られるような災難に遭ったこと、40年も毎年車を駐車していた場所に急に駐めることが出来なくなったこと、家族もその神社に行きたがらないことなど、稲荷神社の方から「来なくていい」と言われているサインか。御朱印巡りで稲荷神社に行けなかったことで初めてそう気付きました。私は稲荷神社には歓迎されていないのか。そんなことは偶然が重なっただけだ、別に行きたければ行けばいいんだ、という人もいるかもしれません。しかし神仏を信仰しているからには神仏からのサインは見逃すべきでなく、流れに従うというのが大事なことです。流れに逆らうのは神仏が導いてくれていることに逆らうことに他ならないということです。神仏からのメッセージと受け取るのか、単なる偶然として片付けるのかは個人の信仰に係わることでそれぞれの考え方だと思います。私の場合は今回の一連の出来事は「稲荷神社には参拝すべきではない」というメッセージだと解釈しました。勿論、参拝すべきでないというのは私個人だけのことです。

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