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エル・システマのすごいところ〜ドゥダメルの映画を観て
吹奏楽部の顧問をさせてもらっていたころ、指揮法の多くをグスターボ・ドゥダメルから学んだ。
もちろん直接ではない。動画を見て、音源を聴き比べ、彼の考えに耳を傾けた。もちろん指揮法の本も読んだし、レッスンの先生からも教わった。けれど多くの大切なことをドゥダメルから学びとった。ぼくの師である。
今日、ちょうど休みだったので彼のドキュメンタリー映画『ビバ・マエストロ!』を観に行ってきた。映画館はアップリンク京都。ミニシネマだ。箱の規模感もここちいい。自分で予約した前から2列目の席はちょっと前すぎたかもしれなかった。
広い意味で〈戦争と芸術〉を感じた。あるいは暴力、あるいは政治といったほうが正確かもしれない。ドゥダメルの祖国ベネズエラでは政局が不安定だ。不満に耐えかねた民衆がデモや抗議活動をおこなえば制裁される。ときとして暴力が生まれる。なんだかそれが世界で起こる国と国の衝突や摩擦を思わせる。それでぼくは、あくまで広く〈戦争と芸術〉について考えたんだろう。
ドゥダメルも学んだ「エル・システマ」は音楽教育によって社会変革を起こす取り組みとして広く知られている。(教育プログラムというべきかちょっとまよった)けれどこの映画を通してあらためて見つめなおすと「エル・システマ」の重要性が見えてくる。「無償」とか「音楽教育」とかはみんな大好きなトピックだけど、そこじゃない。
「エル・システマ」はベネズエラの人びとの文化資本に、個人のハビトゥスに切り込んだんだ。
クラシックいいなとか、楽器楽しそうとか思った子どもも、お家にそういう価値観や文化がなければ、そんな外からの小さな感動なんて環境にのみこまれてしまう。「うちのどこにそんなお金があるんだ」ってのは案外次の話なのかもしれない。お金の前に環境、文化。でも子どもはそれらに関係なく、あくまで自分の感覚として、小さな感動をいだくことはある。「関係なく」というよりは、環境の小さな派生系としてというほうが正確かもしれない。そうやって「ちょっといいな」って思えた気持ちを大切に育てる。種から発芽くらいまでは面倒を見てくれる環境が無償で用意されている。それが「エル・システマ」のすごいところなんじゃないか。
発芽してみてやっぱ違うわってこともあると思う。そのときは別の好きを探せばいい。
「エル・システマ」の考え方って別に音楽にかぎったものでもないんじゃないのと思えてくる。
さっき〈戦争と芸術〉なんて大それたことを言ったけれど、戦争や政治や暴力に対して芸術ができることはなんだろうとぼくはよく考える。社会の混乱に対して芸術のできることは何か。社会の混乱をなくすことはできないけれど、芸術は決して無力ではない。「エル・システマ」は社会変革の万能薬じゃない。音楽が合わなきゃ別の何かに打ち込めばいい。ぼくらはその環境をつくる必要があるんじゃないかな。それはなにも「子どもたちのための」なんて恩着せがましくなくてよくって、まずは自分のためでいい。自分が子どもたちと一緒に打ち込むための場所でいい。
ぼくの詩が、文学が、その場所のひとつであればいいなと思って書いている。