【読む変態国語】加藤映子『ハーバードで学んだ最高の読み聞かせ』1
黙って話を聞くことは良いことなのか
黙って話を聞くことは良いことなのか。
そんな疑問をずっと抱いている。たしかに自分が話しているときに、私語をされたり、話を聞いてくれていなかったりするとなんだか悲しい気持ちになる。でもそれは「人の話は黙って聞ききなさい」ってしつけられてきた結果生まれた、僕の個人的な価値観だ。前を向いて黙って聞かなければならない。あるいは、聞くふりをしておかなければならない。だから自分も、黙って聞いてほしい。聞いてなくても。
ほんとうに? たしかにみんなで聞く話は静かにした方が聞こえやすい。私語や好きなことをして場を乱すのも、周囲と時間を共有している手前よくない。でも「黙って話を聞きなさい」って言われるとき、求められるのはだいたいがポーズなんじゃないだろうか。それって指導している方も、聞いている(いや、ほんとうは聞いてなんかいないかもしれない)方も思考停止しているんじゃないだろうか。誰も何も考えていない。もっとアクティブに話を聴いて、なんならその後に議論に持ち込んでもいいんじゃないか。
子どもに絵本を読み聞かせているときにそんなことを思った。
子どもが読み聞かせの最中に、物語に興味をもって「あれは何?」とか「どうしてそうなるの?」とか聞いてきたとして、「黙って聞きなさい」と制するのか。子どもの主体的な話を遮るのか。少なくとも僕は遮れなかった。読み聞かせを一時中断するかたちで、「それはね、」とやりとりを交わした。やりとりを終えるとまた物語が始まる。
そんな読み聞かせをしていたから、この本に出会えたときとても嬉しかったし、これで良かったんだとほっとした。
本との出会い
この本は僕が敬愛している先生に飲みの席で薦めてもらった。「これ、とてもいい本ですよ」と。その先生は小学生相手にも読み聞かせをしているらしい。ダイアロジック・リーディングを参考にしながら。
実は今年の3月に薦めてもらって、飲みながらAmazonでポチって届いてすぐ読みきったのだが、今まで温めてしまった。僕の怠慢のなせる技だ。
ダイアロジック・リーディング
この本には著者の加藤氏が最高の読み聞かせと呼ぶ「ダイアロジック・リーディング」の手法について書かれている。あんまり詳しく書くと商売上がったりになってしまうので「ダイアロジック・リーディング」についてはあまり触れないでおく。
「ダイアロジック・リーディング」とは、ざっくり言えば〈やりとりしながら読み聞かせする〉ということだ。
自分の頭で考えろ
日本では「先生の話は黙って素直に聞く」がスタンダードだ。世界、すくなくともアメリカでは真逆だと加藤氏は言う。たしかに僕らは幼小で「先生の言うことを聞きましょう」教育を受けてきた。中高ではひたすらに正解を探した。自分で考えて、自分の意見を言うことはそんなに求められなかったように思う。それは同じ教育を受けながらも、自分で考えようとした少数の人たちだけが獲得できた力だったように思う。
と言ったら、少しヒガみすぎだろうか。
読書量と読解力は比例しない
読解力をつけるには本を読みなさいと言われる。
僕も言われたことがある。でも本は読まなかった。読んでおけばよかったなと後悔はする。でもきっと読まなかっただろうなと思う。読書は強制されてするものではない。だいいち、強制されてはつまんない。
加藤氏は月に4〜5冊の読書であれば小5、中2ともに読解力の向上が見られるが、月10冊を超えたあたりから読解力は緩やかに下落していくというデータを挙げている。わかる気がする。月10冊以上読みだしたら、それはもう分析とか読解とかというより、Youtube やゲームと同じ娯楽の域だ。読解力に必要なのは、読むことと並行していろいろなことを考える力だ。分類し、分析する力なのだ。10冊以上読んで、全部にそれをやっていたらさすがに疲れる。
ちょっと長くなったので2回に分けようと思う。
ほな。