ほしおさなえ『まぼろしを織る』
表紙写真は染織ブランドatelier shimuraと服飾ブランドmatohuによる植物染・手織の共同ブランド「hikariwomatou光をまとう」の制作風景。
撮影:桑島薫
巻末に主要参考文献として、染織家の志村ふくみさんのご著書が3冊、挙げられている。群馬県立近代美術館では1982年に「志村ふくみ展」を開催し、作品も所蔵しており、別館「山種記念館」で展示された着物を見たことがある。最近、『別冊太陽』で100歳記念特集号も発行された。
群馬には、世界遺産「富岡製糸場」をはじめ、わがまち藤岡市には全国各地から生徒が集った旧養蚕学校「高山社」があり、「群馬県立日本絹の里」、「染織植物園・染色工芸館」など、養蚕・製糸・染織関係の遺構や施設が幾つもある。
この小説は、草木染めや藍染などの染めと織りについて詳しく書かれているのではないかと読み始めた。第1章「夜叉五倍子(やしゃぶし)」は、主人公のわたし=城倉槐(しろくらえんじゅ)の祖母で著名な染色家だった城倉志満子(しまこ)の七回忌法要を終えた場面からはじまる。
(※5章までの章タイトルはすべて染料となる植物の名前)
城倉志満子には三女があり、上から多佳子(たかこ)、珠美子(すみこ)、伊予子(いよこ)。わたし=槐は次女・珠美子の一人娘。珠美子は夫との離婚後、呉服店の販売員として働き、女手一つで槐を育てるが、霙の降る日、マンションの階段から足を滑らせて転落し、亡くなってしまう。一人になった槐に手を差し伸べたのが三女の伊予子。わたし=槐はいま、祖母の家で染織を継いでいる伊予子のもとに身を寄せている。そこに長女の多佳子(結婚して中里姓)の次男、大学生の中里綸(なかざとりん)が同居することに。私=槐とは従姉弟の関係。綸は、若い芸術家・武井未都(たけいみと)がマンションから転落死した事故に巻き込まれ、九死に一生を得るが、以後、周囲に心を閉ざし、引き籠もっている。伊予子が綸を一時的に預かることはいわば「転地療養」といえる。舞台は埼玉県川越市。
小説中のちょうど真ん中あたりに、マンションから転落死した芸術家・武井未都が、生前に開催した個展《まぼろしの街》に寄せたメッセージが綴られる。
▼水の世界が好きだ。
水のなかにある実体、水に映る像、水に映る影、水を照らす光。
見ているうちに、どれがほんとうかわからなくなる。どれもほんとうじゃない気がする。
今回はとくに、雨の日の街の風景を描いた。
雨滴が落ちる水たまりに映った街。雨の流れる窓ガラスに映る街。人や、車や、建物。ネオンサインや家の灯り。揺れて崩れる風景のなかに、実際には存在しないまぼろしの街が現れる。
その像が一瞬の現象にすぎなのと同じように、わたしたちの心も一瞬の現象の集積にすぎない。一瞬を描くことこそ、心を描き出すことに通じると思う。
——作品は▼「どれも雨の日の風景が描かれているが、風景自体より水が作り出す世界に重点が置かれていた」。わたし=槐と一緒に、インターネット上で作品とメッセージを見た友人・鈴音の感想は、▼「相当繊細な人だったんだろうね。世界がこんなふうに見えるなんて、わたしにはちょっと理解できない。でも、この世界はなんとなく心惹かれる。美術としてどうなのかはよくわからないけど、心に直接はいりこんでくるようなところがある」。わたしもその言葉にうなずく。
雨の日、瀝青に溜まった水の膜に映る街の風景——どんな絵なんだろうと想像する。
(※フィリップ・ソレルスの小説『公園』(岩崎力訳、新潮社)の冒頭の一文「空の青は、濡れて光る長い街路(アヴェニュ)のうえにくすんでいる。」を思い出す)
綸は、叔母で染織家でもある伊予子の家に身を寄せ、幼い頃、祖母・志満子に手ほどきを受けた機織りを再開するうちに徐々に生気を取り戻し、藍染の糸に魅了され、染織に没頭してゆく。
この後、槐と綸の祖母で著名な染織家であった城倉志満子を介しての、武井未都と綸の淡い関係と未都の転落死の謎が解き明かされてゆくことに……。
ひととおり読み終えて、染料になる植物の名前や染織の用語などを小説の流れに沿っておさらいしておこう。
●木管(こくだ)=緯糸を巻きつける管。
●夜叉五倍子(やしゃぶし)=カバノキ科ハンノキ属の落葉高木。染織に用いるのは小さな松ぼっくりのような形をした木の実。井戸水と布に包んだ実を大鍋に入れ、数時間ことこと煮る。茶色になった染液に糸を浸けると糸が染まる。
(※不思議な名前の植物)
●媒染剤=金属化合物の水溶液で、糸に色を定着させるために用いる。アルミニウム、鉄、銅などいくつかの種類があり、媒染剤によって色の出方が変わる。夜叉五倍子の場合、ミョウバンでは茶色になるが、鉄媒染では黒っぽくなる。
(※染色に金属が関係する不思議)
●紅花染め=ピンクを作るために産地では最初に紅花から黄色の色素を抜くのだという。黄色を抜いた紅花を固めて、紅餅(べにもち)というものを作って保存する。/紅花の収穫は夏だが、温度が高いと黄色の色素が吸着しやすくなるので、よりあざやかな紅色を得るため、紅花染めは冬の寒い時期におこなう。/一度の染織では薄い色にしかならない。何度も染め重ねることで、紅色や韓紅といった濃い色になっていく。
(※どうやって黄色の色素を抜くのだろう)
●織機=織機には800本の経糸がならんでいる。織る前の経糸は緒巻(おま)きと呼ばれる筒に巻かれている。その糸が一本ずつ、綜絖(そうこう)と呼ばれる細い針金の穴に通り、さらに薄板を櫛状にならべた筬(おさ)というものに一本ずつ通っている。/織機の下にあるペダルを踏むことで、綜絖に通した偶数番目の糸と奇数盤目の糸が交互にあがり、その隙間に杼(ひ)に取りつけた緯糸を通す。通したら、筬で叩いて、緯糸を押さえる。織られた部分は、緒巻きとは反対にある千巻(ちま)きと呼ばれる筒に巻き取られていく。
(※後に帯を織るには千本の経糸が必要とある。凄い数の糸)
●蘇芳(すおう)=マメ科の落葉小低木。芯材を赤色染料とする。
(※「蘇芳」さんという名字もあるようだ)
●苅安(かりやす)=ススキの仲間の草。黄色の染料とする。
(※名前の由来は「刈り易い」からという)
●絹糸=絹糸には「生糸」と「紬(つむぎ)糸」の二種類がある。/生糸とは、蚕が吐き出したままの一本の糸を引き出し、織物に使える太さによりあわせたもの。蚕はひとつながりの糸を吐き出し、繭を作る。だから傷のない繭からはひとつながりの糸を繰り出すことができる。/これを数本合わせたものを生糸と呼ぶ。生糸は独特の光沢を持ち、なめらかでやわらかい。留袖や訪問着のように礼装に用いる着物は、すべてこの生糸でできている。/これに対して、紬糸は屑繭と呼ばれる繭から作られる。たまに蚕が二匹でひとつの繭を作ることがあり、これを玉繭という。玉繭には二本の糸がからまってできているので、解くことができない。また、傷がある場合もひとつながりの糸にならない。/こうした繭は屑繭と呼ばれ、ひとまとめに煮られて「真綿」と呼ばれるものになる。真綿といっても、綿花から採られた植物性の繊維である「木綿」とは別物。袋状の「袋真綿」と四角く一枚に引きのばされた節があり、生糸とはちがう素朴な風合いがある。礼装にはならないが、この風合いを好む人も多い。
(※知らなかった)
★御神渡り=冬の結氷した諏訪湖に起こる自然現象。諏訪湖が全面結氷したのち次第に氷の厚みが増し、昼夜の寒暖差によって氷の膨張と収縮がくりかえされると、湖の真ん中で氷が裂け、盛りあがり、一筋の氷に山脈のようなものができる。御神渡りができるときには轟音が響くといい、諏訪の人々はこの氷の山脈を、神が渡った後、御神渡りと読んだ。/御神渡りが発生しない年を「明けの海」といい、ここ数年は「明けの海」が続いているらしい。(※これは染色用語ではないけれど、本小説中、重要な役割を果たしている)
●藍染め=藍の産地で作られた蒅(すくも)というものを水や養分と共に甕(かめ)に入れて発酵させたものを使う。その染液を作る工程を「藍建(あいだ)て」と呼ぶ。いったん藍甕に藍建てをすると、繰り返し使えるが、日々それの世話をしなければならない。なにしろ生き物だから、状態が悪くなると死んでしまう。
(※「蒅」という漢字に惹かれる)
●臭木(くさぎ)=シソ科クサギ属の落葉低木・小高木。秋に紫色の小さな実をつけ、煮出して染めると、晴空のようなうつくしい薄青の色になる。/臭木という名は匂いが良くないところからついた名前。実の熟し具合で色の出方がちがう。/臭木の青は、藍の青よりさらっとしている。混じりけのない、あかるく澄んだ青。藍以外で青系の色を得られるのは臭木くらいしかない。
(※なんとも変わった萼と実。参考までにWikipedia)
●整経(せいけい)=製織の準備工程(はたごしらえ)の一つ。必要なだけの経(たていと)の本数をとりそろえ、長さ・張力を適度にし、平行に配列して、製織の準備をすること(精選版 日本国語大辞典)。機にかけるためには経糸を緒巻きという筒にならべて巻かなければならない。ゆるみなく糸を巻くのはたいへんな仕事で、そのための専門の職人が整経屋さん。
●藍建て(「藍染め」参照)=藍の染液を作ること。夏のなまの葉で草木染めのように藍染めをすることもできるが、なまの藍では淡い青にしか染まらない。そこで蒅(すくも)を発酵させて染液を作る。発酵がうまくいけば繰り返し染めることができるし、色の定着もいい。藍の色素を持っている植物がいくつかあって、その植物を使った染めを藍染めと呼ぶ。日本本土ではタデ科の蓼藍(たであい)を使うが、沖縄では琉球藍、インドではインド藍という別の植物を使う。日本の主な産地は徳島県。春から蓼藍を育て、秋に収穫。3か月ほど発酵させ、保存のきく蒅という形にする。藍染めをする人は藍屋から蒅を買って、建てて染液を作る。天然灰汁発酵建てとは、薬品を用いず、石灰や灰汁、栄養分といっしょに蒅を甕に入れて発酵させる方法。藍が建つまでは1週間から10日。それまで毎日、底に沈んだ蒅を浮き上がらせるようにゆっくりと混ぜなければならない。1回につき4、50回で1日2回。そのとき温度とpHを測り、記録をつけ、水温とpHを保たなければならない。青紫色の泡が立ち、それが育って消えなくなければ成功で、この青い泡の塊を「藍の花」という。寿命は数か月。植物性の綿や麻を染めるより、動物性の絹糸を染める方が負担がかかる。
(※本書の裏表紙には「藍建て」した「藍甕」の中の「藍の花」の写真が掲載されている)
●綛(かせ)=つむでつむいだ糸を巻きとるH型やX型の道具。千メートルほどもある糸を輪にして、ところどころを紽(ひびろ)という別糸で結んで、ねじっておく。この一巻を一綛(ひとかせ)と呼ぶ。
(※糸へんの文字になぜか惹かれる)
●蘇芳(すおう)=マメ科の木で、幹の芯を染料に使う。細かくした芯材を袋に入れて煮出す。媒染前は茶色がかった朱色だが、媒染によって真紅、赤紫、エンジ、紫などさまざまに色を変える。蘇芳の赤は重たく、深い。濃くも淡くも染められるが、あざやかなピンクや赤になる紅花とも、すっきりとした茜とも違う。蘇芳の赤は血の色に似ている。「情念の色」と言う人もいる。
(※既出だが、より詳しく)
●槐(えんじゅ)=蘇芳と同じマメ科の木。蕾を染料とし、主に黄色に染めるのに使う。
(※主人公のわたし=槐が、自分の名前で染めた糸で布を織ろうとする)
●紫根(しこん)=ムラサキという多年草の根。この根をお湯のなかで揉み出すと染液になり、媒染によって濃い紫から薄い紫までさまざまな紫になる。あざやかな紫を出すのはむずかしい。/紫根は藍、紅花とならんで日本三大色素と呼ばれ、古来貴重な染料として珍重されてきた。冠位十二階では最高位の色であり、奈良、平安時代には天皇と皇族などにしか許されない禁色だった。
(※わたし=槐の母、珠美子の結婚に際し、祖母の志満子が紫根で染めた糸で織った着物を贈っている)
著者のほしおさなえさんは、本書の執筆に先駆け、アトリエシムラ東京・成城において「染めと織りのワークショップ」を数回受講されたそうです。大変、勉強になる興味深い小説でした。ほしおさなえさんには、「活版印刷」をモチーフにした『活版印刷三日月堂』全6巻のシリーズ小説があることを知りました。「活版印刷」にも興味があるので、藤岡市立図書館にあれば読んでみたい。
わがまち藤岡市には、藍染めや草木染めの体験ができる染色工房も併設した「土と火の里」という施設があることを忘れてました。
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