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みんなちがって、どうでもいい

「みんなちがって、みんないい」
金子みすゞ氏の詩として有名なこの言葉は、広く受け入れられている理想的なフレーズかもしれません。

実際、耳障りはとても良く、誰もが肯定される平和な世界が思い浮かびます。でも、現実的にはなかなか難しいものです。
なぜなら、人と違って当たり前という事を理解出来ても、その"違い"、特に自分が嫌だと思う価値観を受け入れられる人はそう多くはないからです。

その証拠に、他人の違う価値観に苛立って、攻撃的な言葉を投げつけている場面など日常茶飯事です。(特にネット上では)

僕は個人ゲーム開発者として活動しているのですが、この界隈でも、他人のゲームや活動の仕方に対して、わざわざ文句を言う開発者を見かけます。
けれど、そんなことを言う暇があるなら、自分のゲームを開発したり、好きなゲームを遊んだり、好きな事について語らったほうが、よほど有意義ですよね。


みんなちがって、どうでもいい

なので僕は、「みんなちがって、どうでもいい」というスタンスです。
(この言葉をどこで知ったかは忘れましたが、落合陽一氏の言葉らしい?)

ここでいう「どうでもいい」とは、決して他者を否定する意味ではありません。
「わざわざ自分と違う考えを持つ人に干渉しなくていい」という、肩の力を抜くような考え方です。

つまり、異なる意見を無理に認める必要もなく、嫌いなものは嫌いでいいということ。
ただし、その「嫌い」をわざわざネット等に書いたりしないという事でもあります。
それが"干渉しない"という事です。直接言わずとも、その「嫌い」が該当する誰かに届く事もありますからね。

あとは”お互いに"なので、考えが合わない相手方も同様に干渉してこない必要がありますが、ネット上(というかSNS)であれば干渉してきた相手を簡単にミュートやらブロックやらが出来るので、干渉させない、相手にしないという方が近いかもしれません。
(まぁ、現実ではそう簡単にはいかないですが……)

もちろん、自分に深く関わる分野や、本当に大事な事柄においては、異なる意見を出し合う事や声を上げること自体が必要な場合もあります。
しかし、そんな機会は決して多くないはずです。少なくともSNS上に鬱憤を晴らすために投稿する文句がそうであることは皆無と言っても過言じゃないかもしれません。


おわりに

自分にとって本当に大事な事以外には「意識して関わらない」こと。
それが、怒りや不満を煽る仕組みが溢れている現代で、自分の時間と感情を「どうでもいいこと」に奪われないようにするために大事な事だと思います。

仮にちょっとした文句のつもりでも、その内容の情報を読み、場合によっては調べ、文句を作って投稿し、他の人の反応を見る、という事は思っている以上に時間を浪費するものです。
誰だって、嫌いな事や無意味な事より、好きな事や有意義な事に時間を使いたいですからね。

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