第3話 ガンガーを愛する者たちの、魂の再会
「人は自分が信じている世界を生きているんだよ」
サンが言ったその言葉が砂時計のように、わたしの中をするすると落ちて行く。
自分が信じた世界を生きている、、、?
「ナマステ」
その時、誰かがドアを開けた。
そこには手を合わせて優しく微笑む女性の姿があった。柔らかそうな金色の髪の毛を、インド人のように三つ編みで束ね、若草色のパンジャビ姿がよく似合っている。
砂時計はまだサラサラとわたしの中に落ち続けていたけれど、彼女の明るいトーンに意識がまた切り替わったのを感じた。彼女に気づいたサンは、瞳の奥で彼女の何かを見つめていた。彼女もサンの瞳の奥に何かを見つめていた。それは一瞬の出来事だったけれど、彼女とサンの間には、わたしが知らない彼らの物語があるようだと感じさせた。それはとても古くからの、お互いがお互いを大切に生きる中で、共に過ごした時間の流れ。
二人は「おかえりなさい、ただいま」というように歓喜のハグを静かにしあい、頬にキスをし、サンと彼女はフランス語でペラペラと、久しぶりの再会に話が尽きないようだった。
わたしはそろそろここを出ようと思った。二人の邪魔をしないようにと。
残っていたチャイを飲み干して、わたしは話している二人を前にどのタイミングで「またね」の挨拶をするべきが悩んでるいた。
すると彼女はハッとわたしに気づき、とても嬉しそうに、大きく手を広げて私をハグしてくれた。それはとてもとても長いハグだった。彼女の甘いフレグランスの香りは、ここインドに漂い続けるスパイスとお香の香りではなく、久しぶりに嗅ぐ、お洒落な都会の女性の香りがした。温かい身体の温度に包まれて、わたしはなぜか自分の存在をやっと認めてもらえたような安堵に涙ぐんでしまった。
彼女はわたしの体をそっと離すと、今度はわたしの瞳を覗き込んだ。澄んだ湖のような青い瞳だった。
「再会できて嬉しいわ」 と、心の奥で聞こえた気がした。どこかで会ったことあったかな。。。なんだか懐かしい。でも分からない。お互いそんな風だったに違いなかった。彼女が声に出して聞いてきた。
「What your name?」
「I’m Megumi」
「?mega?megami?」
女神?いやいや違う違う。
「No no no Me gu mi めーぐーみー」
何度もわたしの名前はメグミと言っても、彼女はわたしの名前をメガミと聞き取る。わたしは必至にメグミと伝えるが、サンもどうも女神と聞き取る。女神と呼ばれるのはなんだかとても申し訳ない気持ちになったし、ものすごく恥ずかしかった。
めぐみなのか、めがみなのか、そのやり取りを何度かして、彼女がオッケーと言い
「You are MEGA!」と指を鳴らした。わたし達はそれだー!と笑った。
その日からわたしのここでのニックネームはメガになった。
彼女の名はフリーダムと言った。フランスから来ていた。
さっきデリーからリシケシに着いたところで、このアシュラムに部屋をとったようだ。彼女もインドが大好きで、一年の半分をフランスで過ごし、そしてまた半年をここインドに訪れる旅人だった。フランスのガーデンに咲く可憐なバラと、インドの土と太陽を吸い込んだジャスミンを足して二で割ったようなうっとりとするオーラを持っていた。サンとはここリシケシで、いつも再会している古くからの友人のようだった。
私たちはサンの部屋で会話を楽しんだ後、そろそろ絵を描こうかなというサンの申し出により部屋を出ることにした。フリーダムとわたしは一緒に部屋を出て、冷んやりとした階段を降りた。カラフルな色彩の部屋を一歩出ると、そこはいつものリシケシだった。
騒がしい路地へと出ると、フリーダムはショールで頭を包み嬉しそうだった。
そして彼女の瞳が感じ取る景色、そして身体が触れるすべてのことに微笑んでいた。
ピンク色に咲く花を見ては手でそっと触れ、目と目があう通りすがりの人にも微笑み返し、路地をノサノサと歩く牛にも挨拶をし、ここリシケシにいる今を、心から喜んでいた。そんな彼女と一緒に居ると、わたしも同じように微笑んでいたのが不思議だった。フリーダムはお腹が空いたと言って、ランチを一緒にしようと誘ってくれた。リシケシをよく知るフリーダムの、行きつけのレストランに連れて行ってくれた。そこはガンガーが見える、インド人の兄弟が営む小さなレストランだった。フリーダムは彼らとも知り合いで、ただいまのハグを満面の笑みでしていた。ガンガーが見れるだけでも、フリーダムはとても嬉しそうだった。さっきまでおしゃべりに花を咲かせていたフリーダムも、ガンガーを前にすると身体いっぱいに深呼吸をし、何かに満ち溢れていくのがわかった。フランスからインドへの飛行機、デリーの混雑を抜けリシケシへのバス移動を経てやっとたどり着いたリシケシの地。
「疲れきっていた身体が、今やっと呼吸できたわ」と笑った。
そしてガンガーへと向かって、美しい低い声でこうつぶやいた。
「I love ganger 」
そう。
ここに集まる旅人も、ここに暮らすインド人もみんな心に共通点を持っている。
それは、みな、ガンガーを愛していることだ。魂から。
「Me too 」
わたしもいつのまにか、その一人となっていた。いや、初めから愛していた。私の魂は知っていたんだ。だからもう一度会いに来たかったんだ。
それはとても不思議な感覚だった。
そういえば私は日本に、故郷と感じるような場所を持っていただろうか?ガンガーのように、見るだけで涙が溢れるような川や、山や、場所があっただろうか。。。
その場所から離れられなくなるほどに、その土地や街を、そこに住む人を愛したことがあっただろうか?こんな風に深呼吸して、あなたを愛しているわなんて思わず呟いてしまうようなこと、あっただろうか?
フリーダムがジンジャーティーを飲みながらこんなことを話してくれた。
「このガンガーがある日、人の手により姿を変えてしまったとしたら?メガはどう思う?あの森や山が、ずっとそこで見守ってくれていた自然が姿を変えてしまったら?その自然から愛をいっぱいもらっていた沢山の生き物も魂も傷つき、帰る場所を失うことになるわ。」
もう二度と、こに景色が見れないとしたら、、、?いやだ。絶対にいや。私はいつでもまたこのガンガーに会いに来たい。
ガンガーは目の前で太陽の光をキラキラと集め、ゴーゴーと流れ続けていた。ガンガーは一体いつからここに流れていたんだろう。どれだけの人がこのガンガーの水と流れに、魂を癒してきたんだろう。そんなことを思っていると、フリーダムがわたしに明日の朝、ガンガーで沐浴をするからメガもどうか?と聞いてきた。
わたしは英語があまり話せないので、自分の思ってることをなかなか言葉にして伝えられないもどかしさがあったけれど、フリーダムは不思議とわたしのことを感じ取ってくれる人だった。
「Yes!!」 私は即答した。
明日の朝、行く前にメガの部屋のドアをノックするから、その時気が向いたら出てきてねと言ってくれた。わたしは部屋のナンバー「8」をフリーダムに伝えると、彼女は自分のラッキーナンバーだとウインクした。
その姿がとってもチャーミングで、私は嬉しくて自分の胸に手を当て微笑んだ。
カランコロン、、、カランコロン、、、
テンプルからは今日も、鐘の音が鳴り響いている。
ここへ来て初めての約束が、わたしの目の前にやってきた。
それは、しなくてはならない用事ではなかった。
それはまるで、宇宙からの贈り物のように開けるのがとても楽しみな、
そんなたましいの再会が運んできた
ー魂の約束ー だったのかもしれない。
つづく
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