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第5話 自分を愛したい〜ガンガーの愛に触れる〜

コンコン、コンコン。薄暗く静かな部屋に響くノックの音。

ガンガーへ一緒に沐浴しに行くことを約束していたフリーダムだ。

私はそっとドアを開けて、小声で「ナマステー」と手を合わせ挨拶をした。フリーダムは私をそっとハグすると、チャーミングに微笑んだ。

昨日はマッサージの後、ベットに横たわり私はあっという間に眠ってしまい、でも不思議とフリーダムが来る少し前には、パッと目を覚ました。水をガブガブと飲んで、トイレをすまし、沐浴用に布を一枚バックへ放り込み、長い髪の毛を一つに結ったりしながら、その時を待っていた。

日の出前の朝のリシケシは静かだった。果物屋のおばちゃんもまだ来ていなかった。フリーダムはオススメの沐浴の場所があると言い、私たちはそのガンガーのほとりまで、黙々と歩いた。フリーダムは昨日の華やかな明るい感じとはまた少し違って、この朝の静けさを宿しているようだった。

どこからか牛の鳴き声が聞こえた。鳥がさえずる声も聞こえた。風が木々を揺らす音、猿が飛び跳ねた音、インド人のおじいちゃんがサッサと、神様の前を箒で掃除する音、そしてマッチを擦って火をつけお祈りする音、耳を澄ませば色んな音が聞こえてきた。それは私が知っている東京の朝とは、全然違う音だった。

フリーダムが私に目で「Look!」と伝え木を指差す。枝が小さく揺れている。良く見るとそこにはリスがいた。フリーダムはリスに向かって挨拶するようにフュッフュと口笛を吹いた。純粋にこの世界を楽しむフリーダムの瞳は、5歳の女の子のようでもあった。

ここよ。気をつけてね。とフリーダムが言い、木々が生い茂る坂道をゆっくりと降りると、ガンガーの流れる音が近づいてきた。白い砂辺は歩き辛く、サンダルを脱いで裸足になる。しばらく歩くと、目の前に夜明けを待つガンガーが、静かに堂々と流れていた。ひんやりとした風が身体を包む。

大きな大きな石が沢山ゴロゴロしていた。一体いつからこの石はここにあるんだろう。不思議な気持ちになる。

フリーダムはすっと立ち止まり、辺りを見渡し、ここがいいわねと荷物を降ろし、胡座をかいた。

「メガ、一緒に瞑想しましょう」  フリーダムが立っている私に微笑みかける。私はオッケーと言って、向き合うようにして座わった。砂はまだ冷んやりと冷たかった。

私は正直小さい頃からじっとしていることが苦痛だった。瞑想もインドへ来て何度かしれみたけれど、これで合っているのか合っていないのかも最初は良くわからず、すぐ身体が痛くなってやめてしまうのだった。

でもなんだか今は、自然と瞑想したい気持ちになった。

もしかするとフリーダムの色が、私に宿ったからかもしれない。私は一緒にいる人の色を、宿しやすいのだ。フリーダムは何回か深呼吸して、そしてすうっと目を閉じた。

私も何度か深呼吸をする。身体の奥で鳴り響く鼓動、まだ少し息切れしているわたしのからだ。鼻先から今、ひんやりとしたガンガーの流れる空気を吸い込んでいる。その空気は私の肺を通って、身体の隅々まで行き渡る。そうして私を通った空気は今度私の外へと排出される。この私から排出された二酸化炭素は、空気中を漂いどうなるんだろう?植物たちが吸ってくれているんだろうか?私が空気を吸って、吐いて。植物たちも吸って吐いて。そうやってお互いが共存しているんだとしたら、、、。

ガンガーのほとりの空気は、プラーナをいっぱい含んだ美味しい空気だった。私から排出される二酸化炭素は果たして、この世界や植物たちにとってどんな味なんだろうか。そんなことがなんとなく脳裏に浮かぶ。

あたりがうっすらと明るくなりだすと、同時に背中がぽかぽかと温かくなりだす。太陽だ。太陽が世界に顔を出しはじめた。目を閉じたまま、そのエネルギーを感じる。そして生き物たちはあちらこちらで生命の歌を叫び始める。

ここリシケシが、目覚める時がきた。エネルギーがどんどん高まる。

そんな中、目の前にいるフリーダムが、とても穏やかに瞑想している感覚が私に伝わってきた。外側で鳴り響く朝の音が、脳や耳の奥や指先、身体のあちこちに響き渡る。でも、内側はとても穏やかで、私のエネルギーと、フリーダムとがどんどん一体化していくような感覚があった。

「オーーーム」 フリーダムが大地に響く声を出した。AUM。宇宙の真言だ。

フリーダムの声は私の身体にビンビンと振動した。そうして私も次の呼吸の時一緒に声を出した。

「オーーーーン」

二人の声は最初それぞれの色を発していた。でもどんどんと声を出していくうちにじわじわと重なり合い、ついに溶け合った。自分がまるで楽器のような、そうシンギングボールにでもなったかのように、身体がブルブルと振動し始める。身体がその振動でくすぐったい。そしてそんどん痺れる。

太陽がぐんぐんと登り、まぶたの外側の世界が明るくなっていく。鳥たちの鳴き声も声がどんどん強くなっていく。どんどん内側のエネルギーが高まっていく。

二人のボイスが渦になって、空を超え、宇宙にまで響いていく。そしてまたそのボイスが宇宙から大地に降り注がれ、私の根っこからぐーーんと戻ってくるような、そんな感覚があった。世界と、フリーダムと、私と。身体が透けていくような、全てと溶け合っていくような、目を閉じた世界で、わたしはとても不思議な繋がりを感じていた。

フリーダムと私は、最後のAUMを心地よく出し切り、ゆっくりと目を開けた。

目と目が合った瞬間、まるでそこにいるのはもう一人の自分のような不思議な感覚があった。


あなたは私、わたしはあなた。


どこかで聞いた言葉が、胸にこだまする。

生まれた場所も、育った環境も、年齢も違うけれど、ここリシケシで出逢ったフランス人のフリーダムと、こうして目を閉じて感じあう世界で溶け合うって。。。なんて素敵なことなんだろう。

フリーダムは私と同じことを想っているようだった。お互いに、ああ気持ちよかったねと目と目で会話した。コミュニケーションを言葉で取る必要のない相手って、なんて心地よいんだろうか。言葉はいつも私を自由にもしたし、不自由にもした。思っていることがうまく伝わらない。話せば話すほど誤解され、時には相手を怒らせてしまったり、傷つけてしまったり。。。私は自分の思いを、口にして話すことが苦手だった。

フリーダムは背伸びをしてから立ち上がると、赤いパンジャビのズボンだけさっと脱いだ。そしてガンガーへと静かに向かっていった。

私はそんなフリーダムの後ろ姿を見つめていた。大いなるガンガーは陽の光に照らされキラキラと光り輝き、そこに金髪を三つ編に結んだフリーダムが水に入っていく後ろ姿はあまりにも美しかった。美しくて美してくて、なんだか泣けてくるほどだった。

フリーダムは静かにガンガーに入っていき、手を合わせてお祈りし、突然バシャンと水に潜った。

そしてガバッと顔を出すと気持ち良さそうに叫んだ。


「Mega!」


私も服を脱ぎ、サロンを巻いてガンガーへと向かう。意を決してガンガーへと足を差し出す。冷たい!!なんて冷たさなの?!

それは山々から流れてきた、雪解けの水のような冷たさだった。

ゆっくり、ゆっくりとガンガー女神の懐へ。

身体の細胞があまりの冷たさにダンスし始める。頭がシャキッとする。そしてフリーダムがやっていたように、思い切ってサブンと水の中に思い切って潜り込む。

世界の音が聞こえなくなる。ゴボゴボゴボ。。。

水がゴーゴーとうなっている。

私は心の中で叫ぶ!


神さま、私は自分を好きになります。もっともっと好きになって、自分を愛して、この世界を愛していきたいです。神さまどうか、わたしを洗い流してください。人を羨んでいた私を、人を憎んでしまった私を、ひがんでいた私を、拗ねていた私を、自分を大嫌いだと思っていた私を。どうか、洗い流してください。私はもっと、自分を愛します。世界を愛します!


ゴボゴボゴボ。。。


ザバン!!

顔を出すと光り輝く太陽と目があった。まつげにくっついた水滴に反射して、世界はキラキラと輝いてみえた。

産まれた。

私はいま、産まれたんだ!!!


自分の奥底、子宮あたりから、歓喜の叫びが聞こえて気がした。

フリーダムが おめでとうと言うように、こちらを見て微笑んでいた。


気づけばどこからか牛がやってきて、牛も水浴びを始めた。そしてどこからか犬もやってきて、犬も水浴びを始めた。そしたらどこからかサドゥーもやってきて、ふんどし一枚になって沐浴を始めた。みんな、ガンガーというお母さんに逢いにやって来ているようだった。白い砂辺がキラキラと光を発し、ガンガーは美しく満ちていて、まるでそこは天国のようだった。

ガンガーから出ると身体が芯から冷たかった。でもだからこそ身も心も引き締まったような、意識がある意味ぶっ飛ばされたかのような感覚があった。

私は大きな石に抱きついた。太陽に温められた石はとても温かく、それはまるで母なる地球に抱きついているような感覚だった。安心する。本当に本当に安心する。


何を買っても満足できなかった私の中の大きな穴が、不思議とインドに来てから塞がっていくのを感じていた。何も買わなくても、満たされる何か。なぜ?なぜだろう?


私は石に抱きついたまましばらくぼーっとしていた。するとフリーダムが私を呼んだ。静かにこっちへ来てと手招きしている。言われたところをそっと覗き込むと、石の陰に、お母さん犬のお乳に群がる子犬が四匹いた。

お乳を吸う子犬はまだ目も開いていなかった。みんなお母さんの匂いと、お乳にとても安心した顔をしている。

ふいに胸の奥で記憶がうずく。

何かに怒っている私の声。

「欲しいのはそれじゃない」

母が自分の命の時間を削って与えてくれること。その全てに私は怒っている。

こんなに与えてあげているのに、まだ足りないの?と怒る母。

違うの。私が欲しいのはそれじゃないの!



遡っていくと、生まれてすぐの私が見えてきた。

眩しい光。分娩台。

生きたいという生命の欲求。

私が一番最初に欲しかったもの。

それはお母さんのおっぱいだった。でも、私に与えられたのはゴム臭い哺乳瓶。

来る日も来る日も哺乳瓶。

ちがう。私が欲しいのはそれじゃない。

私は泣く。でもお腹が空いたんだねと口に含まれるのはゴムの味。

飲んでも飲んでも満足できない。

違うんだってば。私が欲しいのはお母さんのおっぱいなのに。分かってくれない。分かってもらえない。

母は一生懸命私を生んでくれて、身体が弱かったので仕方なく哺乳瓶のミルクで私を育てた。でも私はどうも、与えられる哺乳瓶。それに納得いってない。


求めているのと違う!!というわたしの欲求不満の正体は、まさか、生まれた時から始まっていたの、、、?!私は唖然とした。でもそれって、その後もずっと続いていた。なんか違う。私が欲しいのと違う、、、思ってたのと違う。家族への不満。社会への不満。与えられることばかりに慣れて、そして何かにいつも飢えていて、与えてもらったらもらったで、不満ばかり言う自分、、、。


あの時与えてもらえなかったおっぱい。でも今は、自分で選ぶことができる。何が欲しくて、何が必要ないのかと、自分で伝えることもできるんだった。

そうだ。私は自分で、自分の人生を創造していくんだ。



じゅわわわーー


ああなんだかすっかり、、、


お腹がすいた。

「哺乳瓶が嫌だった、お母さんのおっぱいが吸いたかった!」なんて、なんか笑っちゃう。あー、そうだよね。欲しかったよね。私は犬のお母さんにちゅうちゅうと吸い付く子犬の頭をそっと撫でた。よしよし。



空は青かった。どこまでも、どこまでも青かった。

雲も一つもなかった。なんだか、空っぽになった。

胸に大きく開いていた穴は、悲しみを吸い込む穴じゃなくて、

ハッピーをいっぱい詰め込むためのポケットのように

ぐんぐんと広がっていくのを感じていた。


さあ、リシケシの朝ごはん。フリーダムと一緒にどこへ行こうか。毎日がスペシャル。毎日が二度とない「今」。

大きな流れの中で、その今を、私はどう感じ、どうチョイスするんだ?


おい。私よ。目を覚ませ。もっともっと目を覚ませ。私は何しに、ここへ来たんだ?


私の旅はまだ、始まったばかりだ。




つづく













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