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第6話 マヤの魔法


自分を愛すると誓ったガンガー沐浴の翌朝、ひどいだるさで目が覚めた。

頭がガンガンする、お腹も下し、吐き気もする。私は一人、小さな部屋に閉じこもり唸っていた。なんでー?昨日はあんなに元気だったのに。生まれ変わったって喜んでいたのにー?うう。

インドに来てからはじめての体調不良だった。ガンガーが冷たかったからかもしれない。食べたものに当たったのかもしれない。いや、私の中の何か悪いものが、今肉体から離れようともがいているのかもしれない。とにかく、とにかく、辛い。そして無力。何もできない。何もする気もでない。出てくるのは排泄物とマイナス思考だけ。だるい汗だくの身体をぶら下げながら、部屋の外にある共同トイレへ何度も往復する。もちろん自動ウオシュレットなどない。バケツに汲んだ水で、左手でお尻を洗う。

(だれか、助けて〜。)と胸の中で叫ぶ。具合が悪いと急に心細い。こんなインドの小さな町で、身寄りもない私、何かやばい病気だったらどうしようという思考が出てくる。昨日の満たされた感覚はなんだったのだろうと、浮かれていた自分にがっかりする。

トントン。誰かが部屋をノックした。私はヨロヨロになりながら扉を開けた。

隣の部屋に泊まっているイスラエル人のマヤだった。

「Are you ok ? Mega!!」

私のうめき声を察知したのか、トイレへ往復していることに気づいてくれたのか、隣の部屋に住むマヤが来てくれた。おお女神様〜!マヤはお母さんみたいに私を抱きしめ、ベットに横にならせてくれた。私は頭が痛い。熱がある。気持ち悪い。お腹はピーピーだとジェスチャーで伝え、もうダメだと白目を向いてみた。何か悪い病原菌だったらマヤに移っちゃうかもしれないのに、マヤは何も気のすることなく、私の側にいてくれた。私は昨日ガンガーへ沐浴した話をマヤにした。マヤはちょっと待っていてと部屋に何かを取りに行った。

マヤと初めて出逢ったのは、ガンガーに架かるラクシュマンジューラーの吊り橋の上だった。私はインドの竹笛のバンスリを片手に持って、カフェでも行こうかと一人橋の上を歩いていた。すると向こう側から私とまったく同じ赤いワンピースを着た女の子が歩いて来た。近づいてくる彼女。胸が高鳴る。あれれ? なんとマヤの手にも似たようなバンスリが握られているではないか。私たちはすれ違い様にお互い目と目がちらっと合って、ぎこちなく少し通り過ぎ、そして立ち止まって振り返った。

「あなた私にそっくりね!」と、お互いにびっくりしすぎて笑った。


私は私に出逢ってしまった。そんな気さえするほどに、私たちは似たもの同士だった。


彼女はバンスリ教室に行く途中だと言い、バンスリババのところへ一緒に行こうと誘ってくれた。特に用事のない私はそのワクワクするお誘いに乗って、バンスリ教室を訪ねた。白いクルタの白ひげを生やした愉快なバンスリババとマヤとの、猿のいる屋上でのレッスンの帰り道、マヤに私が泊まっているアシュラムを教えた。

「ここが私の部屋だよ」と私の部屋の前に来た時、ちょうど私の部屋の隣に泊まっていた人が荷物をまとめて旅立って行った。マヤと私はこれはもうそういう流れだねと肩を組んで笑った。マヤは自分が泊まっていたゲストハウスから、すぐさま大きなバックパックをかついで私の隣の部屋に引っ越して来た。

マヤは一人で旅をしていた。1年はイスラエルには帰りたくないと言っていた。とても好奇心旺盛で冒険家。キュートなマヤはみんなから愛され、いつも周りには様々な人がいた。それでいて、時折訪れる一人の時間も目を輝かせて楽しめる、芯のある美しい子だった。

私たちは好きなものに共通点は多かったけれど、マヤと私の身体の違いは色々あった。彼女は目がクリクリと大きかったし、私の目は小さかった。マヤはまつげもマスカラなんか付けなくても充分すぎるほどに長かった。腰まである髪の毛はふんわりとカールし、光に透けると美しい茶色になった。私はマヤの姿形も、人を思いやる大きな優しい心も大好きだった。そしてマヤもまた、私の小さな目も、真っ黒でまっすぐな髪の毛も、美しいと言ってくれた。私のコンプレックスが、彼女には美しく見えていることが不思議だった。

私はマヤに美しいと言ってもらえるたびに、自分の生まれ持ったものをもっと愛してもいいのかもしれないと思うのだった。なぜなら、

私たちはそれぞれの違いを、愛おしいと思っていたから。

誰かの美しさを真似して生きてきた私。自分のコンプレックスを消したくて、化粧で自分を隠してきた。でもそれはマヤにはどうでもいいことだった。

「メガ、綺麗にすることは美しいこと。でも、それは自分を隠すためにすることじゃない。あなたの美しさをより引き出すためにすることだよ」

マヤはそんなことを言った。

マヤの暮らすイスラエルという国と、日本という国の違い、育ってきた環境の違い、宗教の違い、食文化の違い、いろんな違いが私たちにはあったのだろうけれど、旅が好き、インドが好き、リシケシが好き、バンスリを吹くことが好き、今、この世界を好きと思う気持ちがいっぱい重なっていた。だから私たちは出逢ったのかもしれない。

イスラエルに住むユダヤ人には徴兵制度があって、彼女も18歳から二年間軍隊に入っていたと言っていた。マヤは多くはそのことについて語らなかったけれど、マヤは今インドで自由に旅できる時間が本当に幸せだとため息をついた。

私は徴兵制度があることにも、男性だけでなく女性にも徴兵制度がある国があったなんて知らずにいたので、それはそれは衝撃的だった。18歳から20歳なんて、恋も夢もファッションや勉強やら、興味のあること自由に色々やってみたい真っ盛りなのに、自ら志願するならともかく、その2年を強制的に軍隊で過ごすなんて想像すら出来なかった。私がいた日本という場所がどれだけ平和で、どれだけ自由だったのかとも一瞬思ったけれど、でも、そんな平和で満たされていたはずの日本で私は苦しんでいた。

なんで苦しんでいたんだろう。

本当はすべて自分で選べるところに生きていたはずなのに。

与えられれば与えられるほど、自分の無力さを感じていたような。

生きる力を落としていくような

最後には何の為に生きているんだろうとか、言いだしたりしてたな。

消費する暮らしを維持するために、自分の時間を犠牲にして必死に稼いで、本当の自分の声には蓋をして、他人に嫌われないように、社会に認められるように、親に迷惑かけないように、笑いたくもないのに笑って、飲みたくないのに付き合いで飲んで、自分と向き合う時間もないまままた仕事へ行って、欲求不満を発散したくてクラブで踊って、セックスして。知らないうちに鬱病になって、薬を飲んで、副作用で身体もだるくなって、また動けなくなって、職場をクビになって。こんな私いらないんだって、自分を自分で呪い出す、、、。

吐き気が襲う。胃から湧き上がる痛みと共に浮上してくるドロドロのなにか。

自分の声を失い仮面をつけた人たちが、満員電車にいっぱい詰まっている。その中に青白い顔した過去の私の姿も見えた。見たくない世界から逃げるように、耳にイヤホンを詰めて音楽を聞いている。空虚感を埋めたくて、携帯を見つめる。誰かの幸せ自慢を、どこかで羨んでいる小さな自分を感じて惨めになる。

もう、ここから降りたい。でも降りれない。助けて。助けて。。。


そんな自分も、いた、、、。そうなるのはある意味、あの社会では簡単なことでもあった。

海外に出ると、不思議と日本での自分がよく見えるようになった。慌ただしい暮らしの中では聞き取れなかった自分の心の声、いつの間にか本音を隠すことに慣れてしまって、押しつぶされそうになっていた魂。

満員電車を降りて、思い切ってインドへトリップ。

コンビニで買ったパンとコーヒーが、時間を無駄にしたくなかった私の食事だったのに、火で焼くチャパティに、手で食べるカレーの感触とスパイスは魂と身体と脳みそにショックを与えた。

都会では感じられなかったさまざまな自然の光や音、ガンガーを浴びるたびに、生き返っていくいのちのリズム。

ストリートチルドレン、物乞い、足がなく杖もなく手で歩く人、日本では考えられないような暮らしがインドにはある。目を伏せたいと思う場面もあった。

でも、インドにいるとパワーが湧く。なんでも揃っている大都会にいるよりも、生きている感触が得られる。私が悩んでいた悩みがいかにどうでもいい悩みだったかと笑えてくる。100人いたら100通りの生き方があっていいんだと思える。どんな人間も受け入れてくれるような大きな包容力を持った、あちこちに神様がいっぱいいる、スパイスの効いたカレーとお香の匂いが立ち込めるインドという不思議な国。

遠慮はいらないよ。もっとあなたを生きなさい。

内側からグーンと広がるエネルギー。

全てある日本で心を殺して生きていた私は、今すごく呼吸しやすかった。

too much!」インドに長期滞在している途上国と呼ばれる旅人たちが、自分たちの国のクレイジーさを話す時、よくこんな英語が使われていた。

そう、too much。

溢れすぎていた。情報も、物質も。

〇〇しなくてはならない日常。

言いなりになるための教育。

繋がり続けるSNS。

マインドコントロールされ、迷子になって

そんな自分から脱出しようと

必死に自分を探し出す大人たち。

もっとあなたは本当は輝けるんだよという甘い言葉。

こんな自分じゃないはず。もっと私はすごいんだと自己啓発に多額を費やし、

結局は見つけられない、本当のわたし。

自分を保つことが難しい日本の社会で自分らしく生きることは、もしかしたら何も持たずに旅をし、悟りを目指すサドゥたちよりも過酷な修行かもしれないなーなんて感じるな。

「人生には無限のルートがある。自分には、こんな人生しかないと思い込んでいた自分を、まずは見つけ出すこと。そうじゃないルートでも生きれることを知ること、ちょっとずつでもいいから、外の声や社会の声じゃなくて、自分の声に従って挑戦すること。それって勇気いるんだよね。だって自分が一番大切にしなきゃいけないと思っていた価値観を、手放さないといけないから。頑張ってきた人ほど、プライドがある人ほど、人に嫌われることが怖い人ほど、手放すことは難しいと感じるのかもしれない。」


カランコロン、カランコロン。

今日もリシケシのテンプルの鐘の音が聴こえてくる。

ここにいることが、なんだか夢の中のことのようにも感じる。日本に帰ったら、わたしにも向き合わなくてはならない現実が待っている。いや、向き合わないといけない現実というより、向き合うべきは自分なんだ。

その現実の中で、心が自由な自分をキープし続けていけるんだろうか。キープ?

そもそもキープなんてする必要もないのかな。

もっとしなやかに、そうだガンガーの流れのように身を委ねれたらいいな。

だってインドでも、日本でも同じ自分でいる必要はないかもしれない。日本には日本の良さがある。その良さにフォーカスして、自分が心地よく生きればいいんだよね。そして日本と言っても場所で全然違う、付き合う人でも全然違う。選ぶ世界で全然違う。

私が何を選ぶか。何を選んだ世界に住むのか

私たちは同じ地球の上にいて、一人一人まったく違う世界で生きている。

「MEGA!」

マヤが笑顔を咲かせて帰って来た。両手にはいっぱいの水の入ったペットボトルが抱えられていた。私を思いやる愛がじわーっと伝わってくる。その微笑みだけで、なぜかハートが潤い涙が出ちゃう。

困ってる時、辛い時、助けてくれる人がいる。誰も私を知らなかったこの異国の地でも。なんてなんて嬉しいんだろう。

マヤはペッドボトルの蓋を開け、水を渡してくれた。そして衝撃の発言をした。

メガ、シャワー浴びに行こう!

と。ええーー?この熱があるときに?しかも水シャワーしかでないのに、、、?


私は断った。無理だと。でもマヤは本気だった。絶対良くなるから、シャワー浴びようと明るく笑顔でプッシュしてくる。マヤは部屋に干してあったタオルをパッと取り、私をシャワールームまで強引に引っ張り出した。私は唸りながらマヤに手を引かれシャワールームに押し込まれた。うう、こんな熱もあってお腹が痛いときに水シャワーするー?でも目の前にはシャワーがある。

私はもうこの流れに逆らうことをやめ、服を脱ぎ恐る恐るシャワーを浴びた


あれ??

なんか火照った身体に気持ちいい。。。ドアの向こうではマヤがインドの子供達に教わったという歌を大声で歌いだす。さっきまで閉ざされていた世界が、少しずつ私を優しく包み出すように、マヤの明るくて無邪気な歌声がアシュラム中に響き渡る。

クフフ。

私は綺麗さっぱり身を清めるような気持ちでシャワーを浴び、タオルを頭にインド人のおっちゃんのようにぐるぐる巻いて、ドアを開けた。

マヤは良く出来たね偉かったわね〜とお母さんみたいに私の頭を撫でて、ほらもう良くなったでしょ?という自信満々な笑顔を咲かせた。

あら不思議、本当に良くなっちゃった!

マヤの愛の魔法が効いたに違いなかった。部屋に戻ると窓からは明るい光が差し込んでいた。私はマヤにさっきの歌を教えて欲しいとお願いした。マヤはもちろんと言ってまた大きな高い声で歌い出した。

私たちは窓から差し込むその光の中で、何度も何度もその歌を歌った。

それはとても心地よい時間だった。

この歌は宇宙に永遠に響き続ける。

そんな気さえした。



つづく


















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