2024/07/13 心の種

 いま、書きたいことを思いついたので書きます。
よく「つらい経験をした人が笑いながら過去の話をする」というものがあります。そしてそれは「過去のつらい経験である事象が現在の自分を傷つけないようにする防衛反応」として認識されていることが多い気がします。

 僕はそのことに関して全くその通りであると思っており、なおかつその当事者ではないため、半ば「ふ~ん」という気持ちで受け取っていたように思われます。

 しかし今日、ふと自分を振り返ってみると、自分が鬱でどうにもならなかった時代のことを、今の自分は「ふ~ん、ハハッ」と思っていることに気づきました。

 これは現在の自分がある程度鬱の状態から寛解しているということの証左であるということもできるのですが、前述した「防衛反応」であるという側面も否定できないと考えられます。

 缶ジュースを握りつぶしたときのように、心に負った凹みは見かけ上ある程度修復さえできれど、完全に元の形に戻ることはないと僕は考えています。そして、そういった心の凹みに植えられた鬱々とした心の種、そういったものを発芽しないようにしているのが「笑い」、さらに言えば過去の自分に対しての嘲笑なのではないでしょうか。

 人はどれほど善く生きようとも他人に対してマイナスな感情を抱いたり、ある種見下すような態度をとってしまうものであると個人的に考えており、「防衛本能」はそれを過去の自分に対して向けてしまっているのではないでしょうか。

「過去の自分に対して嘲笑や侮蔑的視線を送るのはやめましょう。過去の自分も現在の自分と地続きであり、自分を肯定することこそが幸せへの第一歩なのです。皆さんも心優しく、人に優しく、自分に優しく生きていきましょう。今回はそういった結びとさせていただきます。」

 といった結末にすることは容易ではあるのだが、それでは、じゃあ、この胸の奥にくすぶる過去の自分への恨み、現在まで続く焦燥感、現在から過去へと流れていく後悔の念はいったいどこへぶつければいいのでしょうか。

 僕たちはそういった煩雑な気持ちをすべて缶ジュースの凹みに押し入れ、その種が発芽しないように「ぎゅう、ぎゅう」と押し込め続けるしかないのでしょうか。




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