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何者でもない私

早良(さら)って大学オーストラリアなんだ!すごいね!
やっぱり考え方が大人だなぁ
早良って将来の事しっかり考えられていてすごいね
英語喋れたらなんでもできるじゃん!
最近早良ってアクティブじゃなくなったよね



うるさい。どうでもいい。
どの早良の話をしているの?
だいたい人のことを学歴やスキルで判断するあなたどうなんですか?
逆に将来のこと考えないの?英語が話せるからと言ってなんでもできるわけじゃない。昔からアクティブじゃねぇよ。


こんな薄っぺらな言葉しか出てこない人はどうかしている。
周りの期待に答えようと演じている私もどうかしている。
学歴や功績で判断してしまう社会もどうかしている。



人の事を見た目とか、学歴とか、年齢とか、性別とか、表面的でしか見れない人たちを見ると私は呆れる。悲しくなる。虚しくなる。情けないと思う。

他人に評価されたり評価する世界は息が詰まりそうになる。
人間や物事の外枠だけしか見れない人間が増えていること、そしてそれさえにも気がつかない人が多く存在することにお前ら大丈夫かと問いたくなる。

もっと皆んな物事に興味を持つべきだし、目の前の状況を疑う事をするべきだと思うんだ。無関心だからなんでもいいやってなる。疑わないから流される。


私基本女性のグループ苦手だし、集団行動嫌いだし、てかそもそも女性と気があう事あまりないし、他人に評価されるの嫌いとか言い出すし、突然インスタグラムが嫌いになって消すし、きっと一般的に見たら変わっているし、好かれない人間のタイプだと思う。でも一般的って何。その一般的とかいう概念そのものをぶち壊して皆んながもっと他人の評価とか気にせずに、その人が輝ける舞台で輝ける世界って存在しないわけ?




高校時代は一年留学と生徒会長を務め、大学はオーストラリアへ進学した。
いわゆる普通の学生生活とは少し変わった生活を送ってきているわけなのだが、だからと言ってそれが『すごい』の対象にはならない。が、一部の人間は私を優秀だと言う。かっこいいという。

違う。留学とか、生徒会長とか、しっかりしてるとか、英語とか、自立してるとか、どうでもいいんだよ。そんな表面を掠め取っただけの私を見て優秀だと呼ばないで。そんな言葉で私を縛り付けないで。私じゃない私になってしまいそうで怖いんだ。

私の周りには果敢に社会で活動したり、好きなことに没頭して輝いている友人がいる。私も彼らみたいに好きだと思うものを追いかけたいし、それを通して自分をもっと知っていきたい。
友人たちのようになるには彼らの取り組んでいるようなことをしてみればいいのか。そしたら私も何か面白いと思うものに出会うことができるかもしれない。

試してみるものの一向に楽しいと思えるものが見つからない。彼らのようになれない自分を余計に責める。しかし、一部の人間たちからは未だに尊敬の目で見られる。



あれ?私って誰だっけ?
誰になろうとしているんだっけ?


私は社会で評価されたいわけじゃない。起業して褒められたいわけではないし、起業する理由も私にはない。誰かに認められたいわけじゃない。誰かになりたいわけじゃない。

私はもっと野生的でぐるぐると目まぐるしく本能のままに駆け回りたいと同時に誰も気がつかないような何かに気づき、それを静かに表現していきたい。

未だに私がやりたいことは何なのかはよく分かっていないが、
間違いなくnoteでこうして文章を書くことを私は楽しんでいる。
オーストラリアの自然に囲まれて生きていることを幸せだと感じている。
ホストファミリーと今しかない時間を過ごせている事を愛おしいと思う。
目で見えないもの、言葉で伝えられない繊細な何かをキャッチした時に胸が高鳴る。


何が成功だか失敗だか知らないけどいいんじゃない?
確かに友人たちは社会で実績を残したり、色んな取り組みをしているが、
別に私もそうならなくていいんじゃないの?だってやってみて楽しくなかったもん。彼らが夢中になれるものが必ず私も夢中になるとは限らないし、私ってきっと社会で実績を残したりすることに興味がないんだと思う。てか、社会に評価されること幸せに感じないし。自然に囲まれて心を静かにしてこうして言葉で表現したり、誰かの幸せのためにサポートすることが好きなんだと思う。

だとしたら今私やりたいことできてるじゃん。
生きたいと思う環境で精一杯生きてるじゃん。
何も負い目に感じることなんてないと思う。
他人からの評価なんて知ったことじゃない。


私は何者でもない私なのだから。


もうみんなの中の幻想の私はいなくなったし、みんなに望まれるような私じゃないんだ。




おわり



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