短編小説 「出発前」 関本ぶりき

せやけどほんまにねえと何がほんまか知らんけど、うううん。
うううむ。なんというかかんというか、まあね、レクサスに乗ってくなよ、レクサスに。
「それではよろしくお願いします」
「いえいえ、ありがとうございます、はははは」
ははははははなんて最後につけてしまう、卑屈なおじさん。

 そういうそれで、すっとユニバーサルスタジオジャパンてな遊園地に行けばいいようなものだが、下ジャージ、上ヘインズの白いシャツといういでたちで行くのは嫌だ、とりあえずは部屋に入って着替えるぞ洋三、ということで部屋に入ったがこれ缶コーヒーは飲みたいはたばこは吸いたいは、洋三はアマゾンプライムのテレビを観だすやらで、一時間ぐらい経ってしまったのだが、まだ九時である。そんな急ぐこくともない。

 しかし、そんな落ち着くことをせずすっと行けば良かったのだ。

「お前ね、ぎゃあぎゃあぎゃあぴぃぴぃぎゃあぎゃあぴぃぴぃと泣いたところで泣いたところで、歯が欠けたといっても、そりゃまあ痛いだろうが痛いわけないだろうという気はまったくないがまったくないがね、いうてもこども歯でしょ、ま、今日は日曜日でね、そりゃ探せばどこぞ歯医者営業してるかも知らんが、今日その歯医者を探せたとして歯医者にいったとして、だ、ならば、ならば今日のユニバはなしやぞ」
「わかった、ユニバがいい」

 洋三の歯が欠けた。それというのも、あずきバーのことをなんにも知らずしてあずきバーを食べたからだ。あずきバーの知識を一切もたず勢いであずきバーを食べたらどうなるか、想像に難くない。

 以前婚姻契約をしていたが、離婚届を出し、元妻となった人間がいた。あああ、元妻だなあ、てなわけだが子どもというのはかわいいものだ。きっと我が子だろう。そう思っている。

 ま、別段いい。ま、俺の子だろうがなかろうが洋三はかわいい。

 それは十年前。子どもが産まれたことを元妻の親父さんに電話で伝えると、筆で「洋三」と書かれた長半紙を持ってきて、名前はもう決めたと言う。そんな、困りますよ勝手に、と言うところなのかもしれないがなにより元妻の親父さんてのがテキヤという奴でテキヤは威勢がいいと決まっている。そこに逆らおうという気はなかったので、あ、そうですか、てな具合で洋三となる。親父さんの名前が洋二。で孫が洋三。ま、好きにしろ、それで世界がまわるなら、なんて思っていたら元妻の親父さんは洋三が三歳になる頃にお亡くなりなられた。心不全であった。テキヤの葬式というのは賑やかだったことを覚えている。

 親父さんがなくなって、一年後。婚姻関係は終わった。

そして今日に至る。当たり前の話だが、今日に至るまでには様々なことがあったわけだ。そういうことに思いを巡らせるのも悪くはないだろうが、そういうことに思いを巡らせても洋三の歯がなんとかなるわけでもなし、市民税の滞納分を誰かが払ってくれるなんてこともないわけだ。
今問題なのは、いかにして、          
いかにしてどうしたらいいんだ。別に今いわゆるところの問題というやつはないのではなかろうか。洋三の前歯は乳歯のようだし、ならばやがていつか抜けることが運命づけられている歯なわけだし、ま、いいか。一か月に一度会う父と息子としては自然に実に自然にやっている、と思うのだ。問題というならば一か月に一度の体面を自然にふるまえるだろうかということだ。実に、実に自然じゃないか。

 歯が痛いと言っていたのに、もうテレビに夢中である。子どもが鬼を退治していく話だそうだ。それは決して桃太郎ではなく、鬼滅の刃というそうだ。そうか、お前の歯が欠けたいうのに、お前は鬼が滅びる刃の方がいいというのか。これがそんなにおもしろいのかどうかはわからないが、俺にとっては全然おもしろくないのだが、それをおもしろいとしている息子がいる。いいではないか。先月洋三が我が四畳半に来た時にリクエストしてきたのだ。アマゾンプライムで鬼滅の刃がみたいと。今の住処ではどう見にくいのだ、と。何がどう見にくいのかいまいち分からなかったのだが、よくよく話を聞くに新しい経営コンサルタントの親父というのは、どうも情操教育情操教育で人が鬼を殺す鬼が人を殺すというのを見ている息子というのに眉をひそめるそうだ。

「洋三て」
「何」
「俺もアズキバーもってきてくれ」
「自分でとってきいや」
「あほ、あほ、あほやなあ」
「あほなんなんかどうか知らんけど、今テレビみてるから」
「テレビいうても実質ビデオやろ、一時停止したらええがな」
「うるさいなあ」
「おまえ、もう歯は大丈夫やな、十分も泣いて後は鬼に夢中やな」
「とどのつまり何よ」
「とどのつまりなんかどこで覚えたんや。平田さんか」
「しらんよ」
「おい、俺もあずきバーたべるからもってきてくれ」
「いやあ」
「いや」
「いや」
「おまえな、それが月に一度しか会えないお父さんに対する態度か、な、別に言葉にださんでもええよ、言葉にださんでもええけども、あああ、お父さんは毎日たこ焼きを売るがためにあんなクッションの悪い軽トラックを毎日毎日運転しているから腰がいたんだろうな、なにか僕にもできることはないだろうか、そうだあずきバーをとりに行くことはできるな、と口に出せとはいわんが、心の中で思ってそっと行動に移してたら-お前のその真心にぐっときてお前に百円玉の2枚か3枚でも渡そうかというものを、いやあ、てそんな言いようしてたらせんですんだ喧嘩がおこるてなもんやろが」
「俺が歯痛い言うた時、我慢せえで、自分の腰の痛みはおもんぱかれてのはどうもな」
「十歳児の言いようとは思えんな」
 しかしこの手のやりあいは嫌いではない。どちらかというと好きなほうだ。なにせ四十男の寡暮らし、家で息子とこうやってやりあう。いいもんだ。
 今日は軽トラックでユニバーサルスタジオに行く。だから休みの日の特権、朝からビールはやめて朝からあずきバーである。たこ焼きと書かれた軽トラにはレクサスにはない味わいがある。あずきバーを食べて目指すぞ、埋め立て地のテーマパーク。
「洋三て」
「何」
「洋三て」
「何」
「お前な、呼ばれたらそっちに顔を向けろ、テレビみたまま何やあらへんがな」
「なに」
「3回呼んではじめてこっちむくてのな子になってしまったのかお前は、あのね、あのね、お前ね、よお聞いとけよ、あのね、あずきバーてのは素人が安易に手をだしてはならんねん、な、よおみとけよ、俺ぐらいのあずきバー喰いになればお前みたいに簡単にいってはならんことをしっています。簡単にいくな、決して簡単にはいくな。今から食べますよってあたりをよおく見て、はあと息を吐くねんでなこれからあなたのこの辺をかじりますが、どうか得手勝手なお願いではありますが、あずきバーさんどうかどうかお手やわらかな対応をお願いします。と頭の一つもさげたところでようやくかじるねや」
固い、あら、え、あ、ちょお。
俺は立ち上がる。情けなくも素早く立ち上がる。
「あかん、あかんわ、洋三てあかん、うんこでたわ」
「何が」
「何がて、わかるやろ、あずきバー噛んだらババもれたって話や、おい、これちょおあのさ、あずきバーこれ冷凍庫に戻せ」
「ええええ」
「ええええやあらへんがな、お前はババ漏らした人間に活動的になれっていうんか、ババをもらした時はじっとしとくに限るやろ」
洋三はしぶしぶあずきバーを冷蔵庫に戻す。しぶしぶだ、かなりしぶしぶだ。ババを漏らした人間にたいしての慈しみというのが感じられない。平田という男はどういう教育をしているのだ。そんな場合ではない。平田さんがどうこうなど今はどうでもいいのだ。もっと重要な問題が今俺の目の前にあるんだ。
「洋三、大変なことになった」
「そりゃ、大の大人が大もらしたんやかね」
「その後や、今このアパートは断水中やということを思い出した。さらに、さらに、トイレットペーパーがきれているし、ティッシュペーパーもない、こんな悲惨なことがあっていいのだろうかトイレットペーパーはないが、が、が、が、ううん、ビッグコミックはあるか。ま、そうか」
トイレに行かなくてもいいようなものではあるが尻はトイレでふくものだと刷り込みされているのだろうか。ビッグコミックをよくもんでよくもんでわが尻をふく。ゴルゴに失礼ではあるが、そこはこらえてくだあさい。

「ズボンはいてよ」
「ズボンははけないな、ズボンがないし、パンツもないから、とてつもなく残念なお知らせですが、今日はユニバにいかれへんぞ」
「なんでよ」
「だからズボンがないからや、そしてパンツもない、今履いてるのが最後の綱やったのにこういうことになった以上、そういうことや」
「えええ、洗ったらええやんか」
「今日このアパート断水やいうたやろ、昼まで断水、昼から洗って乾くのまつか」
「ええええ、昼のパレード見られへんやん」

ゴルゴが尻を拭いてくれたとはいえ、まだ心もとない。とはいえずっと立ってるのは辛い、辛いわ、どうすればいい、うつ伏せに寝転べばいいのだ。そうすれば事件現場が接地することなく過ごすことができる。
ユニバに行かない、と言ったあたりから洋三はこっちを見だした。ババを漏らしたことを告げた時はそれがどしたのみたいに鬼滅の刃を見続けていたが、ユニバに行けない可能性を示唆するやいないや、ことの重大性に気が付きだしたのだろぅ。今大事なのは鬼滅の刃ではなくお父さんのうんこなんだと。
「な、行かれへんのん」
「昼から水流れるから、まあ、今大事なのはユニバよりもな、お父さんがババつけたままうつ伏せやってことや、な」           
「な、なんとかしてよ、な、うんこもらすんやったらあずきバーたべんといてよ」
「あずきバーたべたらうんこもれるなんて予想できるか」
「なんとかしてよ」
「ほなら、もう、もう、いらん出費やなあ、いらん出費やな、ズボンとパンツ買ってこい」
「お父さんいってよ」
「なにが悲しくてうんこついてるズボンもう一回はかなあかんねん。パンツにうんこつけて外でてええのは5歳までや。四十過ぎがしてええわけあるか」
「ズボンとパンツ買ってきたらユニバいける」
「そういう理屈やな」
「どこで売ってるん」
「ライフが十時からあくからそこで買ってこい、まだ十時前やからちょっと間どうしようまないやろ、鬼滅の刃を見るのをやめて、お父さんとお話しをしなさい」
「お話し、昔々あるところに」
「いかにも小学四年生がやりそうなユーモアやな、そういうことではなくて、なんかあるだろう、最近の洋三はどんな感じだと」
「別に、四十を超えてババを漏らした大人を見たぐらいやわ」
「それは最近ではなく現在や、現在、あるやろ、もうちょっと、なんか」
「なによ」
「平田さんとうまいことやってるの」
「ま、それなりに」
「それなりか、それなりねえ、俺はね、俺はやで、今から大事なことをいうからな、覚えとけよ、カタカナの仕事の人間はおおむねやくざと一緒やとおもっとけよ、な、そういう仕事は結局のところ何を生業にしてるのかわからないわけよ、コンサルタント、コンサルタント、なんのことかわかるか、コンサルタントがなんのことかわかるか、その点俺をみろたこ焼き屋、何をしているのかこれほどわかりやすい仕事はない、おい、おい、お前聞いてるんか、聞いてるならこっちをみなさい。なかなか下半身丸出しでうつ伏せで人生の真理を語る人間はおらんぞ、そのなかなかいない人間を目の当たりにできる絶好の機会や、な、どう考えても鬼滅の刃より大事なことが起きてるやろ、そう、そう、平田さんとはうまいことやってるん」
「ま、うまいことやってるんちゃう」
「レクサスというのは乗り心地ええの」
「車のことよおしらんから」
「ふううん、そうですか、お前さ、もし俺が誰かと結婚するとなったら俺と暮らすか」
「そんな人おるん」
「おるようなおらんような、ま、おらんねんけどな、おらんねんけども、毎日俺のとこでたこ焼き買ってくれる人がやな、昨日俺のラインを聞いてきてやな、ラインしてませんいうたら電話番号教えてっていうてきはったんや」
「どんな人なん」
「ううううううんんん、なんか、欧陽菲菲みたいな人や」
「なに、それ」
「雨の御堂筋の人や」
「知らんよ」
「で、どうするん」
「なにが」
「お父さんが誰かと結婚するってなったら俺とこくるか、という話や」
「無理ちゃう」
「なんで」
「いや、ま、経済的に」
「あ、まあ、お前な、まああ、ううううん、うん、あ、ぼちぼち十時やからいってくるか」
「あ、自転車かりてええ」
「ええけど、ブレーキ壊れてるぞ」
「前、後ろ」
「どっちもや」
「え、いつもどうやって乗ってるん」
「ブレーキが必要なほどこがないことがまず第一や。どうしとめたいときは靴の底で地面をぎゃっと」
「ぎゃっと、歩いていくわ」
「その冷蔵庫の上に財布あるから、そっから五千円ぐらいもっていけ。五千円あったらまずまず大丈夫やろ」
「どんなズボンがいいん」
「安ければ安いほどええわ。半ズボンでなければそれでええから。半ズボンはあかんぞ。成人男性の半ズボンは風当たりが強いからな」「いってきます」
なんじゃかんじゃ言って今日のユニバのチケットも平田さんがくれたわけで、平田さんはできた人ではある。できた人だが、できれば俺が今日このようなことになることを先回りしてズボンとパンツ代もくれたらよかったに、なんて思う。

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