「MMT」はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性(島倉 原 : 経済評論家、株式会社クレディセゾン主席研究員)2024/03/25 7:00
改めてMMTを論じる意義
このたび出版された中野剛志氏らの共著『新自由主義と脱成長をもうやめる』の第2章は、MMT(Modern Money Theory、現代貨幣理論)をテーマとする座談会を収録したものである。
この座談会は、ランダル・レイ著『MMT現代貨幣理論入門』が2019年8月に刊行された直後に行われたものであり、筆者も同書の監訳者として参加している。
2019年は、オカシオ=コルテス・アメリカ上院議員の発言をきっかけに、国内外でMMTブームが起きた年である。
それからほぼ5年が経過した今でも、当時ほどの熱狂はないし頻度も減ってはいるものの、MMTの話題は様々なメディアで目にすることができる。
筆者自身も、ささやかではあろうがMMTに関する講演・学会報告・大学での講義などを求められる機会が増え、一定の注目を維持しつつ着実に浸透しているという実感がある。
2022年にはそうした活動の一環として、早稲田大学で行った公開講座の講義を書籍化した『MMT講義ノート』も出版した(それ以外の講演資料・報告資料などの成果物も、一部ではあるが研究者情報サイト「リサーチマップ」で閲覧・ダウンロード可能なので、関心のある方はご覧いただきたい)。
とはいえ、「税や国債は政府の財源ではない」「財政赤字や政府債務残高は財政破綻やインフレのリスク指標ではない」などといった、従来の経済学の常識に反する主張をするMMTに対するメディアや経済学者による評価は、5年前から現在に至るまで、総じて否定的である。
つい先日この東洋経済オンラインに寄稿された、埼玉大学名誉教授の伊藤修氏による「解剖MMT」なる連載も、やはり同様であった。
経済学者によるMMT批判の多くは、新古典派経済学に依拠する、いわゆる主流派経済学者によるものである。
だが、筆者の知る限り、代表的な非主流派であるマルクス経済学者の多くもMMTに対して相当に否定的であり、『資本論と社会主義、そして現代』という共著がある伊藤氏もまた、そうした1人なのかもしれない。
本稿では、伊藤氏のMMT批判に対する反論は一部にとどめ、「理論構造の根本的な違い」というより大局的な観点から、主流派・非主流派を問わず多くの経済学者がMMTを否定する背景を論じてみたい。
なぜなら、MMTをめぐる個別の論争の中身や当否を理解してもらう上でも、まずはそうした背景を明らかにすることが有益と考えられるからである。
商品貨幣論の欠陥を克服するMMT/表券主義
主流派やマルクス派は、「貨幣とは、金や銀のようなそれ自体に素材価値のある商品を、交換手段として経済取引に導入したものである」という商品貨幣論に依拠している。貨幣が導入される前は物々交換経済があり、貨幣も元々は市場で交換される商品の1つであったというわけだ。
だが、商品貨幣論は、現代の日本における日本銀行券(紙幣)のように、素材価値が乏しく貴金属などとの交換も約束されていない法定不換貨幣(fiat money)が通用している現実をうまく説明できない。『マンキュー マクロ経済学』のような標準的な主流派の教科書でも、法定不換貨幣が通用している理由については、自らの理論的不備を自覚しているかのような、いかにも歯切れの悪い説明がなされている。
また、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーが『負債論』で指摘しているように、商品貨幣論が想定するような物々交換経済はそもそも存在していなかったというのが、人類学的事実である。
なお、『負債論』では、伊藤氏が商品貨幣の事例として挙げている第二次世界大戦時の捕虜収容所における「タバコ貨幣」も取り上げられているものの、すでに貨幣の使用に親しんでいる人々が何らかの理由(特に、国民経済の崩壊)で貨幣を入手できなくなった時のやむを得ないやり繰りの手段とされている。実際、そうした現象は所詮一時的なものに過ぎず、貨幣制度の定着を説明する論理であるはずの商品貨幣論の裏付けとするのは相当な無理があるだろう。
対するMMTは、「貨幣の本質は発行者の債務証書であり、そこで約束された貨幣保有者にとっての債権こそが貨幣の価値を裏付けている」という「債権貨幣論」に依拠している(MMTの貨幣理論を示すcredit theory of moneyは「信用貨幣論」と訳されることが多いものの、「信用貨幣」は「本来の貨幣との交換が約束された代用貨幣」という意味の商品貨幣論的な用語であり、訳語として適当ではないと考えられることから、ここでは「債権貨幣論」としている)。
例えば、銀行預金は、政府部門が発行する貨幣(中央銀行券や硬貨といった現金)との交換が約束された債権貨幣である。
そして、MMTによれば、政府は、あるものを(納税を典型とした)自らに対する支払いの手段に指定する、すなわちそれに「政府に対する支払債務を解消できるという債権価値」を付与することによって、貨幣として通用させることができる。
これは、元々はドイツ歴史学派の経済学者ゲオルク・フリードリヒ・クナップが20世紀初頭に提唱した「表券主義」と呼ばれる貨幣理論である。
表券主義という貨幣理論
表券主義によれば、素材価値の乏しい法定不換貨幣が通用する理由を矛盾なく説明することができる。また、納税などの商品経済に属さない行為によって貨幣の成立を説明するため、物々交換経済がかつて行われていたというフィクションを前提とする必要もない。
表券主義を実証した社会実験とも言えるのが、近代ヨーロッパ諸国のアフリカ植民地における経験である。当時の植民地政府は、本国通貨や植民地政府自身が発行する通貨を支払手段とする人頭税を課すことによって、当該通貨建ての賃金を対価として現地の労働力を動員することに成功した。さらに、その副産物として、それまで商取引のない部族社会であったところに貨幣経済が成立したのである。
とはいえ、政府の統治・徴税基盤が弱い途上国のように、政府に対して支払う必然性が相対的に乏しければ、政府が指定したものが直ちに貨幣として通用するわけではない。これもまた表券主義の帰結であり、途上国において米ドルなどの外貨と自国通貨とを一定比率で交換する権利が約束されたり(固定為替相場制)、自国通貨の代わりに(より支払ニーズの高い)外貨が流通したりするのはそのためである。
ちなみに、崩壊直前の旧ソ連でアメリカのタバコ(マルボロ)が貨幣として使われたのは商品貨幣論を裏付ける事例であるというのが伊藤氏の議論だが、実は表券主義(及び先述したグレーバーの議論)によっても十分説明可能である。
すなわち、当時のソ連では外貨取引が刑法によって禁じられ、取引額によっては銃殺刑にされるおそれすらあったため、同様に統治・徴税基盤が崩壊状態の他国であれば流通するはずであった米ドルの代わりに、(おそらくは高額で転売できる可能性が高いなどの理由で)マルボロの使用が「やむを得ず一時的に」選択されたというだけの話である。
このように、商品貨幣論の欠陥を克服しつつ、従来は商品貨幣論の事例とされてきたものも含め、貨幣現象のより包括的な説明を可能にするのがMMTの貨幣理論である(伊藤氏の論稿にはMMT批判の材料として他にも様々な貨幣現象が挙げられているが、それらについては稿を改めて取り上げることとしたい)。
商品貨幣論に固執する両学派の理論構造
こうした現実があるにもかかわらず、主流派経済学やマルクス経済学はなぜ商品貨幣論に固執するのであろうか。
実は、その背景には、固執せざるを得ない両学派の理論構造がある。
主流派経済学が中核とする一般均衡理論は、フィクションでしかない物々交換経済をモデル化したものである。
したがって、モデルの内に貨幣を取り入れようとしても、物々交換の派生物である商品貨幣しか導入できない。一般均衡理論の大家として著名な英国の経済学者フランク・ハーンは、法定不換貨幣を導入しようと長年にわたって取り組んだものの、ついに満足できる結果を得られなかった。
そして、同様な構図はマルクス経済学にも当てはまる。
「物質的生産力によって規定される経済的構造(下部構造)が歴史発展の原動力であり、その諸段階に応じて政治・法律・宗教・芸術などの社会的意識形態が上部構造として形成される」という史的唯物論を前提とするマルクス経済学では、原理論の段階では「政府から自立した商品経済」を想定するがゆえに、商品貨幣以外の貨幣を導入しようとすると、やはり理論モデルに矛盾が生じてしまうのだ。
つまり、主流派にせよマルクス派にせよ、「政府がなくても商品経済やその交換手段たる貨幣は成立する」という世界観を有している点では同根であり、それゆえ一致して商品貨幣論に固執する。
同様に、そうした世界観から、「政府の活動は総じて市場経済を非効率にする」「政府は所詮ブルジョワ資本家の手先である」と論拠はそれぞれ異なるものの、共に政府という存在を否定的に捉える傾向がある。
しかし、歴史学・人類学・宗教学などの知見を総合すれば、近代的な主権国家の登場前も含め、古代以降の様々な貨幣は「神」を含む主権者との関係に基づいて成立していると考えられるのであって(詳細は拙稿「公益的債権としての主権貨幣」参照)、そうした世界観はやはり非現実的ではないだろうか。
「政府」の存在を大前提とするMMTの革新性
対するMMTの理論モデルは、主権を有する政府が民間向けに貨幣を発行して支出するところからスタートする。
つまり、商品経済も貨幣も政府の存在を大前提として成立するという点において、主流派やマルクス派とは根本的に異なる世界観を有しているのである。
そもそも、クナップが属したドイツ歴史学派を主導したのは、主流派の自由市場主義ともマルクス派の共産主義とも一線を画し、国家の機能を重視した社会改革を提案することを目的として1872年にドイツで設立された「社会政策学会」であった。
そうした伝統がケインズを経由してMMTに受け継がれ、貨幣理論から政策論に至るまで首尾一貫した、従来の経済学に代わる現実妥当性の高い理論体系が形成されつつあるのではないだろうか(ただし、『MMT講義ノート』のまえがきやあとがきでも述べたとおり、MMTの各論には表券主義も含めて改善・発展の余地があり、相応の「バージョンアップ」を行うべきだというのが、筆者の見解である)。
したがって、主流派経済学者ミルトン・フリードマンが新自由主義をもたらし、斎藤幸平氏のようなマルクス主義者が脱成長を説く現代において、『新自由主義と脱成長をもうやめる』の第2章でMMTが登場するのは、半ば必然の流れかもしれない。
本記事は東洋経済ON LINE から転載しています。
MMTが主流派経済学者やマルクス経済学派から受け入れられていない理由について考察しています。
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