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「パパはなんでいつも忙しそうなの?」
一日の大半を在宅ワークで過ごしていると、家が自分の世界のすべてになりそうな気がする。パソコンを開いて会議に参加し、書類をチェックし、コーヒーをすすりながらメールを整理していると、時間はあっという間に過ぎてしまう。しかもそこに、小学一年生の息子・蓮(れん)がちょこまかと動き回る姿が加わると、忙しさに拍車がかかる。
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「パパはなんでいつも忙しそうなの?」
ある休日の朝、リビングでゆったりしていると、蓮が突然そんな質問をしてきた。見れば、妻が平日出社に使っている通勤バッグをさわりながら、何やら考え込んでいる様子だ。確かに、在宅とはいえ平日は仕事と育児と家事を同時進行しているからバタバタしているし、休日も何かしら動き回っていることが多い。蓮の目から見ると、僕はいつでも「忙しそう」に映るらしい。
「そう見えるかい? うーん、言われてみれば、ずっとバタバタしてるかもしれないな」
自分でも少し考え込んだ。たしかに落ち着きのない性格だと自覚はある。でも、ただ単に“せわしない人間”というわけでもない。僕が忙しくしているのには、ちょっとした理由があるのだ。
すると、さっきまで隣の部屋で洗濯物をたたんでいた妻がひょいと顔を出し、
「そういえば、わたしも気になってたわ。あなた、平日も休日も仕事以外にいろいろやってるでしょう? 投資の勉強もしてるし、新しい料理に挑戦したりもしてるみたいだし。どうしてそんなに行動的なの?」
蓮も妻も同じ疑問を共有しているようだ。そこで、僕はテーブルに3人で腰を下ろし、ゆっくりと話すことにした。せっかくの休日だし、みんなで“家族会議”としゃれ込むのも悪くない。
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「人生で一番危ないのは、何もやることがない状態に慣れちゃうことなんだよ」
そう切り出すと、蓮が目を丸くした。「なんで危ないの?」と素直な反応を返してくる。妻も「確かに、何もしないで過ごせるならラクそうなのにね?」なんて同調してみせる。たぶん、二人とも「危ない」と言われてもピンとこないのだろう。そこで僕は、脳科学の話をできるだけやさしく、かみ砕いて説明し始めた。
「人間の脳って、不思議なことに、だらだらテレビを見たり、ソファで寝転がってばかりだったり、SNSをずっと見ていたり、そういう刺激の少ない状態が続くとね、『これでいいんだ』って脳が勝手に決めつけちゃうんだ。すると、ほかのことをやる気持ちがどんどん少なくなるんだよ」
「へえ、そういうものなのね」
妻は納得したようにうなずくが、蓮はまだよく分からないという顔だ。やむを得ず、もう少し具体的な例を加えてみる。
「たとえば、毎日テレビをずーっと見てるだけの暮らしを想像してみて。最初は退屈かもしれないけど、そのうち慣れて『これでいいや』って思うようになるんだ。怖いのは、人間の脳がそれを基準にしちゃうと、わざわざ新しいことを学んだり、行動したりしなくなることなんだよ」
ここで蓮が手を挙げるようにして、「でも、学校の宿題とかあるし、僕は毎日何かはやってるよ?」と反論してきた。まだ小学生だから、強制的に勉強や行事があるわけで、「何もしない」生活とは縁遠いだろう。むしろ、放っておくと遊びに没頭して、宿題を後回しにするようなタイプだ。
「そうだな。でも大人になると、だれも宿題なんて出してくれないし、『ちゃんと勉強しろ』とも言ってくれないんだ。だから自分で“小さな目標”を作らないと、あっという間に無為な時間を過ごしちゃう。僕はそれが嫌だから、いろいろ“やること”を作ってるんだよ」
そう言いながら、僕はテーブルの上に置いていたメモ帳を見せた。そこにはいくつかの“小さな目標”――たとえば「今週は朝起きたら最初に歯を磨く」「平日中に新しい一軍レシピを一つ完成させる」といった手頃な課題たちが箇条書きされている。
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「それ、あたしもやってみたい!」と妻が声を上げたのは、このメモ帳を見たときだった。彼女は平日毎日バスで出社しているが、職場と自宅を往復するだけの生活になりがちだと感じていたらしい。たまの休日も洗濯や買い出しに追われているうちに終わってしまう。そこで最近、「ちょっと新しい料理でも覚えたい」と漏らしていたのだ。
「じゃあ、家族みんなで“小さな目標”を作ってみるってのはどう? せっかくなら、わたしたちも在宅パパの『忙しそう』の正体を体験してみたいし」と妻が提案する。
「おお、面白そうだね。それなら、どうせならゲームみたいに楽しんじゃおうか」
そう応じた僕に、蓮が目を輝かせた。彼はマリオなどのゲーム好きで、RPGという言葉にもすぐに食いつく。すると、すぐさま「でもゲームって強い敵を倒さないとレベル上がらないよね? 僕らも“強い敵”を探すの?」と盛り上がり始める。ところが、ゲームに例えるなら、大きすぎる目標をいきなり掲げるのは失敗のもとだ。
「そこがポイントなんだよ。いきなり無理なクッパ戦に挑んでも、挫折しちゃうだけなんだ。だから最初はクリボーくらい弱い敵、つまり“簡単そうな目標”からやってみるのがいいの」
僕がそう言うと、蓮はすぐに「じゃあ“朝起きたら最初に歯を磨く”っていうのは“クリボー”なの?」と笑う。僕もうんうんとうなずきながら、
「そうだね。たとえば、毎日しっかり歯を磨くことを意識するのは手頃だろう。慣れてきたら、“朝の準備を一人で終わらせる”みたいに、もう一段階上げてみればいいんだよ」
「わたしは…そうだな、“平日の帰りに一駅ぶん歩いてみる”とかどうかしら。いつもバスに乗りっぱなしだから、ちょっと体を動かす習慣をつけたいのよね」
妻はそう言いながらスマホのカレンダーを開いて、帰宅時間を逆算している。バスを一駅前で降りて歩くなら、いつもより何分くらい早めにバスに乗ればいいのか、ざっと計算しているらしい。
「面白い! じゃあ、僕は…“近所でまだ行ったことのない公園を探して、そこで遊んでくる”とかどう? これなら僕のほうが先に達成できちゃうよ」
蓮はそう言ってうれしそうに鼻を鳴らす。僕は笑いながら「最初から意気込むなよ、クリボー級なんだから簡単に達成できたほうがいいんだ」と返してやった。こうして家族全員が、それぞれに合った“小さな目標”を設定することに。今までは僕一人で地味にやってきたことだけれど、こうして家族会議で決めると、なんだかワクワク感が増すから不思議なものだ。
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「でもパパ、なんでそんなに詳しいの? まるでゲーム作ってる人みたいだよ」
お茶を飲みながら、蓮が不思議そうな顔をしてきく。たしかにゲーム会社で働いているわけでもないのに、偉そうに“レベル上げ”だの“クッパ戦”だの語っている自分が滑稽にも思える。だが、答えはシンプルだ。
「実はさ、人生って自分でデザインしなきゃいけないんだよ。誰もゲームみたいに攻略本を用意してくれない。だから僕は“自分なりのゲーム”を作ってるだけなんだ。投資の勉強だって、最初は“用語をひと通り覚える”くらいの段階から始めたし、いきなり大きな資金を動かすなんてことはしない。少しずつレベルを上げていくんだよ」
妻も蓮も「なるほど」と頷いている。その様子を見ていると、なんだか僕自身も再確認させられる気がした。なぜ僕が忙しく見えるかといえば、常に「いま何をするか」を考えていて、その“小さな目標”を達成するために動いているからだ。脳は小さな達成感でも化学物質を放出してくれ、次へのモチベーションとなる。逆に、何もしないでいると「それでいいや」と思い込み、停滞してしまう。そんな怖さを知っているから、僕はいつも何かをしているだけ。
「やっぱり、わたしもやりたいことがあるわ。最近、本屋さんで立ち読みした投資の入門書が気になってるのよね。平日は忙しいけど、帰りに一駅歩いたあとに少し時間を作って、基礎から勉強してみようかな」
妻が嬉しそうに話し始めると、蓮も便乗するように「じゃあ僕は新しい公園を見つけたら、そこのベンチで絵日記を書く!」と勢いづいている。この家族会議、なんだか楽しい。まるでマリオパーティの作戦会議みたいだ。
こうして休日の午前中はあっという間に過ぎていった。家族みんながそれぞれ“小さな目標”を決めて、カレンダーやスマホにメモをしている。蓮は早速、「月曜日に学校が終わったら、まずグラウンドの反対側にある公園に行ってみようかな」と計画を立てているし、妻は「投資の勉強を週に2回、30分ずつ進めようかしら」と意気込んでいる。
すべては、ちょっとした“小さな目標”から始まる。投資の勉強だって、初めから難しいチャート分析なんかに手を出すのではなく、「主要な用語を確認する」とか「少額から積み立てを始める」といった初心者向けのレベルを踏むのが大切だ。そうしてクリアしていけば、いつの間にか次のステージが見えてくる。会社での昇進や大きな夢は、その延長線上に自然と現れるものなのだろう。
蓮は食卓の椅子からぴょんと飛び降りて、僕の顔をのぞき込むように言った。
「パパ、もう分かったよ。なんでいつも忙しそうなのか。パパはきっと“ゲームデザイン”してるからだね!」
彼の瞳は、まるで宝探しを見つけた子どものように輝いている。僕は少し照れくさくなって、「まあ、そんな感じかな」と笑う。妻は「ほんと、人生ってそういうものかもしれないわね」と、あたかも秘密を共有するように微笑んだ。
人生は一度きりの冒険だ。誰かが用意してくれるわけでもなく、自分で“どんなゲームにするか”決めなくちゃいけない。だから僕は、常に自分なりの目標を作ってはクリアして、また次のレベルに進むように心がけているのだ。忙しく見えるのは、そのゲームを思いっきりプレイしている証拠なのかもしれない。
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「パパ、ぼくももう少し大きくなったら、いっしょにパーティを組んで人生ゲームを攻略しようね!」
蓮の屈託のない笑顔を見ていると、ふいに胸の奥がじんわりと温かくなる。家族みんながそれぞれの場所で、ちょっとだけ背伸びの目標を立て、それを達成する喜びを分かち合えるなら、こんな楽しい旅はないだろう。僕はそう思いながら、にぎやかな日常に戻っていく。どんなに仕事が忙しくても、この家族ゲームのデザインを続けていくかぎり、退屈とは無縁でいられそうだ。