小江戸川越家紋散歩案内5 大河ドラマ家紋考察
こんにちは。
小江戸川越家紋散歩案内人のナベです。
大河ドラマ「どうする家康」が始まりました。
このノートにも多くの方が、色々と投稿されると思いますが、
ドラマの内容や出演者についてはお任せして、私はスキルを活かしてドラマに出て来る家紋について私見として考察します。
下図は第1回放送に出て来た主な家紋です。
五七の桐・織田瓜・丸の内に二つ引き。
この三点はわりと知られている家紋なので、考察は省略します。
松平元康が兵糧を届けた、大高城の家紋についてですが、
これは「石畳」紋といいます。
市松文様をご存知ですね。石畳文様ともいいます。単純な形なので昔から多く使われています。家紋の読み方としては、畳は省略して石だけで読みます。それで「丸に三つ石」紋というのです。
「三つ葵」紋に?を付けましたが、この家紋は資料の中にはありませんでしたので、紋図は私が作りました。
ドラマに出て来る葵らしき紋は、どれも不鮮明でした。
陣旗は水で染みて形がはっきしませんし、写真のは馬上の指物旗で揺れて動きが早くこの画像が限界でした。
これは演出上あえてぼかしたと思われます。
とういうのも、松平=徳川と「葵」紋との因果関係は、諸説入り乱れていて今だにはっきりとした答えは無いのです。
見出し図の上賀茂神社の「二葉葵」紋から家康が一枚葉を足して、三つ葵にしたというのも仮説なのです。
当時の三河の大名の間では、「葵」紋は多く使われていて、松平家の独占ではなかってのです。
誰が何処でどの様な形の「葵」紋にしたかは、歴史的な明確な根拠はありませんので、ドラマではあの様な形なったのではないかと私的な考察です。
ちなみに「三つ葵」紋が御法度になったのは、徳川吉宗の時代からです。
残念なのは、今川家の旗印の「赤取」「垢取り」紋が出て来ない事でした。