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生死を越える姿を「いけばな」から学ぶ

花は生死を越えている・・・

切ってもそのまま
蕾は花を咲かせます。
その姿は、悲壮感もなく
愚痴や恨めしさもありません。
ただ蕾だから
花を咲かせるだけなのです。

12月①

《花材》 スカシユリ、秋明菊、古代米、ワレモコウ

「当たり前だよ。だって、花なんだから、咲くさ。」
と、思うかもしれません。

そう、花だから咲くのは当然ですね。
でも、よくよく考えてみると
その当たり前は、今の世の中ではとても難しいのではないでしょうか?

人が何故、生まれて、何故、死んでゆくのか・・・
これも当たり前のことですが、
なかなか当たり前として、死を受け入れられる人はいないのではないでしょうか?

12月②

秋明菊

花は蕾をつけたら咲くという天命があって、
ただその天命を完うすることだけに存在しています。
たった一つの天命ですが、それを完うする姿は多くの感動をもたらしています。

あなたが、今日、辛いことがあって、
肩を落として家へ帰る道に、フッと小さな花を見つけた時、
止まっていた呼吸が溢れてはじめて、
凍っていた血流が流れはじめて、
心や身体が温かくなりませんか?

12月④

どくだみの花

「あぁ、この小さな花たちは、ずっとここに咲いていたんだなぁ。」と、笑顔にさえなるでしょう。
花たちによって、辛いという自分の想いから離れることができるのです。
そして、辛さや悩みは自分自身ではなかったのだと気がつき、生命を実感することができるのでしょう。
言葉を持たない花や木々から、気づきというかたちで教えられるのです。

やがて、枯れてゆく花たちは、人が見ていても、見ていなくても咲いて種を残してゆきます。
恐れもなく
迷いもなく
苦悩もなく・・・

天地自然の姿は、人類の姿でもあるはずです。
だから、本来は人も恐れや、迷いや、苦悩もなく、天命を果たそうとする存在だったのでしょう。
でも、そうではなくなってしまったので、天地自然は天変地変で方向が違うことを教えてくれている。
そして、道端の小さな花たちに本来の姿を現して、思い出させてくれようとしているのではないでしょうか?

12月③

いけばなでは、生ける瞬間、瞬間に木々や花たちと向き合っていると、生命の不思議さに気づかされます。
でも、それは自分の中にもあることなのだと実感した時、生死を超えたいけばなになり、天地自然との調和のある作品となるような気がします。

続きは、さらなる探究録で。

12月⑤

《花材》雲竜柳、アルストロメリア、ドラセナ


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