#72 言語とコミュニケーションと天然と

岩波科学ライブラリの「あいまいな会話はなぜ成立するのか」を読んだ。

これは完全にタイトルに釣られて買った。100ページ程度の本なのですぐ読める。まさに「あいまいな会話はなぜ成立するのか」は自分にとって人生のナゾなのだ。

年をとるにつれて減ってはきたけれど、私は「天然」と言われることがある。明らかに聞かれている事と違う答えを言ったり、自明の前提を聞き返したりして、恥ずかしい思いをする事がある。

だけど、こちらの言い分としては「そもそも会話が成り立つってめちゃくちゃすごい事じゃないか」という思いがある。

本書に出てくる例文を使うと、ケータイを手にした人が「充電器持ってる?」と聞いてきたときに、「はい」と言って充電器を渡す、というコミュニケーションって、有り得ないほどすごくないか。

だって、言葉としては「充電器持ってる」と言っているだけなのに、

①「充電器」というのがケータイの充電器を指していて、

②持ってる?という質問に対してイエスかノーを答えるのではなくて、

③充電器を貸してほしいという依頼に置き換えて応答する

なんて事をやっているのだ。

マジかよ、
飛躍しすぎだろ、
あたまイカれているだろ、
ホモサピエンス。

・・と言いたくなる。

でもこうしたコミュニケーションは日常の中で当たり前のように無数に成立しているのだ。たまにその自明の事実に対して、ゲシュタルト崩壊が起こるような気持ち悪さを覚えて吐き気がしそうになる。

本書は「言ってないことが伝わるのはなぜか」という疑問に対して、「はっきりしたことは解明されていない」という大前提を置いた上で、幾つかの学説を紹介している。

援用しているのは言語学、進化心理学、脳科学といったあたりだ。「心の理論」と協調の原則、ゲーム理論を応用したコミュニケーションの利得とポライトネス理論、ミラーニューロンの話などがあった。ちなみに言語学の主流であるチョムスキーの生成文法理論によると、言語とはコミュニケーションの道具、ではないらしい。じゃあなんなんだろう。

本書を読んだだけでは人生のナゾに答えは出なかったけれど、「推論」(inference, abduction)にカギがありそうだという「あたり」はついた。要するに、厳密には因果関係のない事象にまで因果関係を勝手に見出す、人間の推論エンジンがコミュニケーションを成立させているという仮説である。

ジュディア・パールの”Book of Why”をもう一度読もうかな。。


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