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#55 嫌われ者とコレミチ君と

芥川龍之介の短編をいくつか読む。

Kindleの「378作品→1冊」みたいな全集で読んでいるのだけど、この全集シリーズって編集に愛がなさ過ぎて笑えてくる。作品の掲載順は単なる50音順だ。本屋や駅の構内でたまに売ってる、著作権処理のあやしいヒット曲集CDを思わせる。

「鼻」や「芋粥」を読んでて思ったのだけど、周りから嫌われている人間が主人公の作品が多い。しかも容姿が原因で露骨に蔑まれている。

嫌われ者を通じて人間の習性や欲望や成長を描くのって、もしかして文学の伝統なのだろうか。

村上龍の「テニスボーイの憂鬱」というバブリーな小説に登場する、コレミチ君というキャラクターが自分は大好きだ。本筋にはあまり関係のないチョイ役である。

コレミチ君は歯医者の息子だ。ド近眼で極端に足が遅く、運動神経が鈍い。

最初はラケットにボールが当たらず、よみうりランドのアシカよりボールの扱いがヘタだとバカにされる。

でもコレミチ君はテニスを愛していて練習をやめない。誰よりも研究熱心で、毎日毎日練習に通い続けて、半年かけてラリーができるようになる。シングルスをやると五十八歳のおばさんにも負けるが、フォームは誰よりも美しい。

主人公は、生まれもった運動神経と若さを武器にテニスを楽しんでいる有名私大のテニサーの男女とコレミチ君とを見比べてこんな風に語る。

コレミチ君はきっときょうも薄暗い夕暮れ時にやってきて、おとうさんが大勢の人の歯を治した金で雇ってくれたコーチのレッスンを受けるのだ。テニスとは本来そのように暗いスポーツなのだ。腕力と反射神経とすばらしく速い足を持って、他のスポーツでも立派な選手として通用しているような人々にはテニスをやって欲しくない、テニスボーイはそう考える。


・・SNSでの誹謗中傷が原因で、ある人が死去したと言われていて、ネット上の誹謗中傷の規制が検討されている。

誹謗中傷をする側の特定や規制も論点なのだろうけれど、「誹謗中傷をされたり嫌われたりしても、人間は好きなことをやる自由がある」というそもそもの理念を忘れたくない。

誹謗中傷をする側の規制だけでなく、何かアクションを起こした人が「嫌われるのが恐い」という理由で萎縮しなくていい社会にするための施策にも焦点が当たればいい。嫌われる勇気、だけでなく、嫌われてもいい権利、間違ってもいい自由があるべきだ。

ちなみに村上龍の本名は「村上龍之介」らしい。芥川と一緒なのは畏れ多いから筆名を変えたという説があるけれど真偽は定かでない。

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