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苦痛だった「女である」こと

 一年ほど前にトランスシーエンターXであることを知った。

「中性」であっていいこと。
それは本当に私の心を救ってくれた。

 最近セクシャリティ診断をやり直して「無性」であると知った時、少しだけ違和感があった。
「自分の中には女性としての本能があるんじゃない?」
そう思った。
けれどそれから数日の間、思い出される過去の記憶のほとんどが、「女と決めつけられることへの不愉快感と嫌悪感」を伴うものばかりが思い出されて、私は少しばかりの寂しさを味わっていた。

 * * *

 二十代後半の頃、結婚が決まったあたりから、検査をしても異常はないのに体の調子がどんどんおかしくなり、体はひどく浮腫んで全身湿疹まみれだった。
ただアレルギーの数値だけが異常に跳ね上がる。
そんな私を友達が女性限定の痩身サロンに連れて行ってくれた。
 そこに通うようになって私は痩せることができて、体調も安定してきた。
そこに行ってそこがいわゆるネットワーク商法で顧客を増やして行くサロンであるということは知ったけれど、私は「健康的な体」を維持することだけにしか興味はなかった。
けれど、当時の私は自己の確立ができていなかったので、そのサロンの人たちに流されるまま適当に客を紹介していた

けれど、その時も「女の人はこういうの絶対興味があるの」という誘い文句を聞かされるたびにざらつくような嫌な気持ちにはなっていた。
けれど、いうことをある程度聞かないと冷たくされて相手にしてもらえないと思っていたので、流されるままにその人たちの言いなりになっていた。

レオタードを着せられたり、パーティーで華やかなドレスを着せられたり。
心の中では頭を掻きむしりたくなるくらい不愉快で嫌なことだったのに、それをしなければそこにはいられない。
「別にそんなことしなくてもいいんじゃないですか?」
私がそういうとサロンの人たちは、
「女性は美しくなると嬉しくなるし、自信もつくものよ。それに旦那さんも喜んでくれたら嬉しいでしょ?」
「せっかく綺麗なプロポーションになったんですもの。それをみんなに見せればもっと自信がつくわよ。そうなればもっと楽しくなるわよ」
媚びる様なその表現に違和感と不快感を感じながらも、自分自身が何者であるかもわかっていなかった当時の私は、そう言われて「そういうものなのだろうか?私にはそんな経験がないから知らないだけなのかも?」
と「これは自分の好奇心を満たし、経験のためにらやるんだ」と言い訳しながらチャレンジしてみたけれど、ちっとも楽しくなかった。

 そのうちマッサージのセンスを買われてサロンのスタッフとなりそこで働くようになった。
最初は女性の裸を見ると罪悪感を覚えていたけれど「仕事」と思えば別になんとも思わなくなった。
ショーツ一枚で私の前に体を晒す女性たちは私の仕事の対象であり、美しいプロポーションを作ることに専念したし、それが楽しくも思えた。
まるで生身の女性をフギュアの造形をする様に、私はそこに楽しみを感じていた。

 その仕事をする上ではスタッフ自身もサンプル、トルソーにならなければならない。
自分のプロポーションも完璧なものに仕上げなければならなかった。
しかし周りから「おはぎさんの胸が綺麗」と褒められても嬉しくなかったし、ドレスを着てメイクをしてヘアセットをして飾り立てても道化のようにしか思えなくて辛かった。

 売り上げを上げることも楽しいと思ったこともあった。
年間売り上げで上位にランクインし、本社で表彰されることも経験した。

 けれどある時、本当は少しも楽しくない。
女性として、世の中の女性の幸せに貢献する。という会社の理念に実は私は全然納得していないことに気がついた。
 私自身が「女性として美しくなっている。満足している」じっかんが持てなかったからだ。
今にして思えばとうぜんだ。
私は女性ではないのだから。
女性として満足するなんてことはありえない。

 私はある日職場で倒れて救急車で運ばれた。
元々鬱傾向のあった私はここでのストレスでさらに状態を悪化させて仕事を辞めた。

 * * *

 最近、あの時のことを思い出す。
楽しいしやりがいも感じていた。はずだ。
けれどそれ以上に辛さやしんどいと思っていた気持ちの方が思い出される。何より虚しさを強く思い出す。
 最後にお世話になったサロンの皆さんは本当にいい人ばっかりだったのに、そこで働いた思い出が辛いというきおくがメインになってしまうのが申し訳ない。

 それもこれも「女ではない」ことを自覚しないまま「女でなければならない」と思い込もうとしていたことが辛さや虚しさの原因だったんじゃないかとふと思った。


 私の肉体は女性だ。
それは物理的にそうなのだと認識して受け入れている。
けれど女ではない。
女性のように華やかに可愛らしく着飾ったり、女性的なセックスアピールをすることも苦痛で耐えられない。

マニキュアや化粧は似合う女性がそれぞれにふさわしい様にしていれば、みていて好ましいと思えるが、それは私自身がやることではない。

 結婚式の時に着せられたドレスも死ぬほど嫌だった。
「あんたは小柄で可愛らしいから、こういうファンシーなのが似合う」とレースやカラフルなリボンのたくさんついたドレスを母や姉に勧められ「金は親が出すんだからいうことを聞いてそれを着ろ」と言われた時は暗澹たる思いでそれを受け入れた。
 母のコントロール下にあった当時の私には彼女に反発する術を知らなかった。

 20代から40代……
良い思い出が少ないのは「女でなければならない」と思い込んでいたからなんだろうな……
だから「苦痛」の記憶が強く残っていて、楽しかったことがもいだせないのかもしれない。

 女でもなく男でもなく……
そんなものに縛られなくて解放された私には、これから楽しい思い出が少しずつ増えて行くと思う。

 子供の頃、まだ「明日、朝起きたら男の子の体になってるかも」と本能で性差を無意識に乗り越えていた頃のような無邪気な思い出が。

お付き合いありがとうございました。




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