11月28日のお話
2019年11月28日
「勇者の憂鬱ってやつね。」
夜の公園、男はベンチに座りながら、耳だけを傾けていました。
「勇者?」
「そう、勇者。少年漫画とかで主人公になっている、あれです。」
「あれ、かぁ。」
男は少し疲れてしまっていました。
「いや、疲れているわけじゃないんですどね。」
「疲れているなんて言っていないわ。憂鬱って言っているのよ。」
自分が疲れていると思いたくない。男性にはよくある真理です。そう見せてしまってはいけない立場にあるから、いつでも笑顔で人々の前に立つのです。そして、迷いや障害は何もないと言う自信満々の表情で、輝かしい未来を語る。そう言うのが、かっこいいのです。人間の間では。
「憂鬱、か。」
「そう、勇者になればなるほど、迷えない。迷いを他者に見せたくないが、勇者として人々に期待されればされるほど、迷うことは多くなる。そう言うものを、勇者の憂鬱というのですよ。」
「なるほど、勇者の憂鬱かぁ。」
男は天を仰ぐように上を向いて、ふうむと唸りました。疲れという言葉だけでなく、憂鬱という言葉も受け入れ難いようです。
全く人間というものは、面倒くさい考え方をするものです。なぜ生きている間に”迷いがなくなること”をかっこいいと思うのでしょうか。迷いがあるのを悪いと決めるから、迷う人がカッコ悪く思えてしまうのです。
迷いがなくなることはありません。それは人間も犬も猫も、ネズミだってそうです。人間は思考が複雑化している分、特に迷いが多い生き物です。
それなのに、自分たちの状態から最も遠い”迷いのない状態”をよしとするのです。本当に不思議です。
「迷いながらでも、走ることはできるでしょうに。」
思わず冷たい声が出てしまいました。
「迷いながらでも…。あ、あの、エル、今日は厳しですね。何か嫌なことあった?」
「あ、いえ。ごめんなさい。」
この半年、街の様子を含め色々とあったからでしょうか。人間がもう少し、と思う時間が増えたことが苛立ちになって伝わってしまっているのかもしれません。
「あなたが昨年決意された夢、あれは素敵だと思います。」だからこそ、そんなことで悩まないで欲しい。そう思うのです。迷いの中でも、走り続ければ前に進みます。迷っている時は進めない、迷っていたら進む方向を誤る、なんて誰が決めたのでしょうか。
「定めた目標までは、まっすぐ前に進むだけだったはずです。」
男はふうーっと大きく吐くと「そうだよね。うん。そうだ。」と自分に言い聞かせるように呟きました。
2020年11月28日
「勇者だって困難の壁に阻まれることもあるわよ。」
夜の公園、男はベンチに座りながら、耳だけを傾けていました。
「勇者か。俺は今でも、勇者なのかな。」
男は随分自信を失っているようでした。このベンチに来るなり、ガックリと肩を落として「これまでのプロジェクトが急にストップになった。」と項垂れていたのです。トップ肝いりで始めた仕事に、意気揚々と取り組み、周囲を巻き込みながら本当の勇者のように前進していた以前の男は見る影もありません。
「途端に、周りの奴らが掌を返すんですよ。無駄だよ、とか理想が高すぎるとか。そう言って。でも頑張らないとか無理だし、プロジェクトは止まっても、困って相談にやってくる人は止まらないし断れない。」
人間は調子の良い人に群がります。これは猫にも言えることです。猫もリーダー猫が必ずいて、そこに弱い猫たちは庇護を求めて集まります。勢いに乗っている生命体個体は魅力的に見えるというものなのでしょう。
しかし縄張り争いのリーダーは移ろいますが、ミッションを帯びたリーダーは最後までリーダーです。一時的に仲間が減ることはあっても、そのミッションを諦めない限り変わらないのです。良い例が、先日の猫の集会場の移動というミッションでは、ワイが色々と分裂を乗り越え見事に成し遂げるまでリーダーでありつづけました。
猫界の解と人間の解が同じとは言いませんが。
「あなたが一昨年決意された夢、あれは素敵だと思います。」だからこそ、この人はプロジェクトを諦めるべきではありません。
あの集会の移動の時にそうであったように、リーダーには必ず逆境でもついて来てくれる仲間がいます。大きな壁に目標が阻まれた時、その仲間だけがそばに残ります。仲間か、愛する人か、その存在がわかるチャンスです。
「周囲の人が離れた時は、本当に大切な人を見出す時かもしれませんよ。今はその人を大切にして、その人と共に壁の乗り越え方を相談すれば良いではありませんか。」
そういうと、男はハッとしたようにこちらを見ます。
「違います。私以外に、あなたの周囲の”人間”のことです。」
「あ。そうか。そうですね。」
頭をかきながら視線を左右に泳がせるその仕草を見てピンと来ました。ああ、先ほどのこちらへの視線は照れ隠しでしたか。大切な人という言葉を発した時点で、この男には誰のことか思い浮かんでいたのかもしれません。
「あなたが勇者であることはプロジェクトを破棄しない限り逃れられないので、今は壁が教えてくれたその存在を、まず大切にする時期ということでいいんじゃ無いですか。」
男はふうーっと大きく吐くと「そう、ですね。壁を一人で乗り越えようとしすぎたのかもしれません。相談してみます。」と自分で決意するように呟きました。
2021年11月28日
「今日は、お礼を言いに来ました。」
夜の公園、男はベンチに座らずに、こちらに向かって頭を深々と下げて言いいました。
「あら、改まって、どうしたの?」
先週、公園でばったり会った時はそんなそぶりは全く見せていなかったのに、今日の男はみょうにかしこまった様子で背筋を正しています。
「エルのことだから、気づいていると思うけど。去年の今頃、頭を悩ませていた問題も、その後色々あったことも、おかげさまで、なんとかなっています。」
確かに、最近の彼は顔色がよく、この公園でも前向きな思考で仕事のことを考えるのを楽しんでいるような様子でした。
「先月、ようやくプロジェクトの成功が見えました。そして早速、今月から新しいプロジェクトを企画しています。」
「先月、帰りが遅かったのは祝勝会でも続いていたのね。それはよかった。でも早速新しいプロジェクトだなんて、また困難と苦労が付き纏うのがわかっていて、元気なものね。」
私は彼の成功を喜びつつ、ここまでの3年間、随分と苦しさにもがいていた様子も見ていたので、それにまた挑むという決意には正直に驚きました。
「気づいてしまったんです。この、どん底から這い上がったときの達成感の気持ち良さや、良い時も悪い時もあるからこそ強まる仲間の絆とか。そういうことが起こるのが、僕はたまらなく好きだということに。」
やめられません。周りからどう心配されようと。
そう微笑む男の姿は、月明かりに照らされて、妙に貫禄がついたように見えました。
「でもこの感覚に至るまでに、諦めずに走りつづけられたのは、エルのおかげです。毎年必ずこの日にここで励ましてくれていた。だから、今年は今日、お礼を言おうと決めていたんですよ。」
ありがとうございます。そう言って、男はコンビニのふくろいっぱいに詰め込まれたキャットフード(ソフトタイプ)を差し出しました。
「ちゃんと、爪や歯で開けられる袋タイプにしてありますから。皆さんでどうぞ。」
思わず、私は耳をピンと立てて興奮してしまいました。好物が大量に、目の前に差し出されて冷静でいられるほど、私は猫を捨てていません。感情に任せてゴロゴロとすり寄ってしまう私を撫でながら、男は以前とは比べ物にならないほど芯の強い声で言いました。
「迷いがあっても真っ直ぐに進む。逆境は仲間を見つけ育む時期で、自分を知るために立ち止まれば、あとは何も怖いものがなくなる。成功に向けて思った通りに進めば行き着く幸せが必ずある。」
これから先、どんな困難があっても、この流れを知っていればがんばれます。
「エルに弱音を履けたおかげで、僕は人間たちの中では勇者で居続けられました。人間以外の友人を持つのも、悪くありませんね。」
その言葉を受けて、私もニャァと一声鳴いて答えました。
「私も、そういう人間の友人がいると、人間も捨てたものじゃ無いって思って優しくできる。」
立川の夜は、すっかり冷えて冬の空気に包まれていました。
FIN.