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6月7日のお話
地下鉄を丸太町駅で降りて、京都御苑を右手に見ながら烏丸通を上ります。6月といえどもこの暑さ。真夏に来たらどうなるかと想像して、夏の間は出張をキャンセルさせてもらおうかなぁなどと考えながら、狩野は京都府庁までの道のりを足早に歩いていました。
約束の時間まではまだ40分もありますが、狩野には仕事を始める前にどうしても立ち寄りたい場所があったのです。
菅原院天満宮を通り過ぎて一つ目の交差点、下立売の角の信号待ちをしていると狩野はいつも、そばにこじんまりとたたずむ菅原院天満宮を見て不思議な気持ちになります。
この京都にあるここは、845年6月25日に道真が生まれた地です。ところが道真をまつる総本山は遠い地にある太宰府天満宮にあります。道真が晩年を過ごした地です。翻って、生まれた地はこんなにも質素ということに、狩野はふぅっとため息をつきます。
「私たちは自分の出身地がどこかとか、そういうことをよく話題にするけれど、どこの生まれかというより生涯のうち何をどのように行い、どこが評価してくれたかということが意外と重要なのかもしれない…。私はどこでどのように、誰に評価される生涯になるのか…」齢30歳にして、そんなことを考えていると、長い信号もあっという間に青になります。
下立売の交差点を渡り、左にまがるとそこに見えてくるのが狩野の目的地。京都府庁の庁舎です。
京都という土地は、東京の江戸地域と同じく行く先々に歴史的な出来事や建造物に行きあたります。この京都府庁もご多分に漏れず、幕末のころには京都守護職の上屋敷がおかれ、狩野のような平民の血筋のものがこの敷地に足を踏み入れることすらできなかったような場所なのです。そして明治維新後は、時の売れっ子若手建築家の手による近代建築の建物が京都府庁として存在する場所になりました。
あの時代の人たちは、幕府の上屋敷から政府の近代建築に建て替わるこの場祖をどのような思いで見てきたのだろう。そんな風に思いをはせると、京都市という街は終わりがなく、頭の中で平安から明治・大正と場所場所によって時空を行き来しなければならなくなります。
そんな京都府庁で、狩野がどうしても立ち寄りたかったのは、旧本館という場所です。今は使われておらず、見学のための立ち入りは自由ですが、そこまで人気スポットというわけでもなく、平日の昼間などは他に誰にも出会わないことが少なくありません。狩野はこの旧庁舎の「中庭に抜ける扉」が本当に好きだったのです。
採光の窓が多いわけではない近代建築の旧庁舎は、廊下や階段の影などは、外が晴れて日差しが強ければ強いほど、コントラストが際立ち暗く闇に沈みます。そんな闇の中に、すっとあいている扉と扉の向こうに見える明るい中庭。扉は小さいわけではないのですが、中庭に出るために、室内の廊下から扉まで三段ほどの階段を下らなければならない構造上、目線の下に、その光につながる扉が飛び込んできます。
そして扉をくぐると一気に開ける広大な中庭と、枝垂桜を中心にきれいに配置された西欧風庭園が視界いっぱいに広がるのです。
狩野は思いました。この建築を立てた人は、きっと大変なロマンチストだったのだと。そうでなければ、こんな、急に華やかな異世界に飛び込むような感覚を味わえる扉を作ることは出来ません。そして、そのあとにこの中庭を作った庭師は、大変茶目っ気のあるいたずら者だったのだろうと妄想します。だって、あのような荘厳な近代建築の扉の向こうにある西欧風庭園に、枝垂桜を配置しているのです。日本庭園で有名な円山公園の枝垂桜から株分けされているということだから、なおのこと。西洋と日本の美しいものを掛け合わせたいという冒険心が感じられて、とても勇気づけられる空間です。
彼女の目的地はここ、中庭のベンチのひとつでした。
京都という歴史ある街の、腕の立つ職人たちが、こぞって西洋文化をとりいれようとあがいていた時代。その時代の活気が、この空間にはどことなく残り香の様に漂っているような気がして、狩野はとても気に入っていました。
いつものベンチに腰掛けると、途中のコンビニエンスストアで買っておいた炭酸水を飲みながら、自分の仕事の、慣習や伝統・先人のレールと革新的な企画の調合具合を頭の中で見直します。そういう作業に、ここの空気はもってこいの場所だと思っているのです。
「伝統は、その時代時代で生まれた革新の積み重ねの上にある」
私が今日持ってきた提案は、のちの伝統につながる革新になっているだろうか。狩野は、空想の中でこの地の時空を遡り、大正時代の庭師、明治時代の建築家、幕末の京都守護職、神童と言われた菅原の道真公をも思い浮かべて問うてみます。
その時、ふと、神童を身ごもる臨月近い女性が脳裏に浮かび、目が合いました。脳裏に浮かんだ映像と目が合うというのも不思議な感覚ですが、確かに視線がかちあい、彼女の想いが目線を通して直接狩野の頭の中に響きました。
もうすぐ生まれる我が子を心から愛し、その子がどんな人生を歩もうと、産んだことを後悔しない。それが生むものの使命。
狩野はハッと息をのみました。視界は戻り、目の前には緑色の葉が優しく揺れる枝垂桜が静かにたたずんでいます。
もしかして、と思い、視線を手元の企画書に移します。夜通し作ったその企画書には、この企画の開始日が太字でしっかりと書かれていました。
2016年6月25日。
私が自信をもたないでどうするのか。狩野はようやく気持ちに決心をつけて、ベンチから立ち上がりました。二週間と少ししかない準備期間でも、この企画はきっとうまくいく。その最後の調整に来た今日の打合せうぃ、誰よりも自信をもってやり切ろう。そう呟いて、中庭をあとにします。
2016年6月8日(水)14時~
狩野はアポイントのメモを改めてスマホで確認して、現役の京都府本庁舎へ足を踏み入れました。この街の仕事は時として時空を超えます。そしてそういう時は、だいたいその仕事は成功するときなのです。
※この物語はフィクションです