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11月3日のお話

2045年11月3日

この日、カリノエージェントというベンチャーが歴史的なヒットを飛ばすことになる娯楽プラットフォーム「KARINOハピネス」をローンチしました。

通称カリハピと呼ばれるそのサービスは、多様化する“幸福な人生のフォーマット“が検索できるものです。検索結果が、複数のコンテンツにより表示されることが特徴で、占いの性格診断の結果のようにテキストデータで表示されるライト版から、ノベル小説のように物語として体験できるもの、映画のような映像作品まで用意されており、自分に適した「幸福な人生」がどういうものかを色々な角度から知ることができる。そんなサービスです。

ヒットした要因は、このコンテンツの広がりを誰もが無限に追加登録できるところにあります。例えば、最近は流行らなくなってきましたが、50年から100年前に女性たちにとって絶対的な幸福な人生フォーマットとして君臨していた「専業主婦、マイホームタイプ」を例に見てみましょう。もともとサービスに用意されているテキストデータ、物語、映像版に加え、ユーザー投稿によって作られている「漫画」コンテンツや「体験談」「同人誌的な二次創作」まで、タイプカテゴリのページからアクセスすることができます。実はサービス公式のコンテンツよりも、このユーザー投稿コンテンツの方が人気で、若干クオリティが低くても、生の体験に基づいたリアル感や現在進行形の物語として更新されていく臨場感などが人々の娯楽にもなっていました。

カリハピ開発者のカリノ社長は、開発秘話のインタビューでこのように話しています。

「情報が周囲に溢れることが当然の社会になって、私たちは本当の意味での“自由”を手にしました。私が若かった頃は、その自由が真新しくピカピカしたものに思えて、みんなこぞってそれを享受したがったものです。しかし、それも社会に定着し始めると、ふと、人々は“選ぶという負担を軽減したい”と、感じるようになったのです。」

ここ10年、学校でも社会に出てからも、自己紹介の会話の中に、結構な頻度で「あなたが幸せだと感じることはなんですか?」「あなたの幸せを実現するためにどうしていますか?」という問いが入るようになりました。

多様化する幸せの中で、そのベクトルが近い人同士集まると心地よいし、そうでない人の幸せは邪魔しないように振る舞うことが社会性の中で求められるようになったためです。

それはそれでとても良い世の中の始まりでしたが、一方で「自分の幸せを定義できない、仕切れない性格の人々」は徐々に息苦しさを感じていきました。「あなたのハッピーは何?」と聞かれた時に備え、無難なハッピーを適当なソースから用意しておく。そういうことで、なんとか社会の輪の中からはみ出さないようにしがみついているしかない層が少なくない数出てきたのです。

「それは性格の問題。良い悪い、優劣ではないことです。それであれば、そういう人たちも気軽に自分の幸せを検索し、選び決断するために効率の良いプラットフォームが必要ではないか。起業した際、私はそういうふうに考えました。」

カリハピの中には、およそ124の幸福な人生フォーマットに分類されるようになっており、その種類は物語の分類に準拠しているといいます。その124のタイプの中でも、さまざまなストーリーが随時追加され、ユーザー同士によって深ぼられていく構造です。

ゲームの攻略マニアのような趣味を持つ人々が、結局どの人生フォーマットが一番勝ちパターンなのか、難易度などを分析して、まとめるようなブームも起こり、人々の娯楽は、ここに集約されるようになってきました。

「最近では、ユーザーの皆様からの登録料よりも、そのタイプに登録することで視聴率を伸ばそうとされる映画の配給元さん、クリエイターさんなどからの掲載料が多くなってきています。この傾向は、ユーザーの皆様の負担はそのままに、より良いコンテンツを増やしていくことができるということです。スポンサーが強化される今後の新サービスにもぜひ期待してください。」

にっこりと微笑んで取材を終えると、カリノ社長は白髪混じりのグレーのロングヘアを一つにまとめて立ち上がりました。秘書からは「染められては?」と何度か言われましたが、グレーの髪が気に入っているの、と跳ね除けて、公にもこの姿で出るようにしていました。

長生きできるようになったとはいえ、もう彼女もそう60歳を超えています。なんとなく、これからの20年は“貫禄と余裕のある大人”として生きていきたいと思っていたのです。

次の打ち合わせに、と会議室を移動しながら、カリノ社長は思いついたように電話をかけました。相手は、パートナーとして事業づくりを共にしていた社外取締役です。彼はカリノエージェンシーのキャリア部門の骨子を設計し、エージェンシー機能の統括を常に助言してきました。名前はこれま公に明かしていません。それは彼自身が別の分野の第一線で活躍するスターだからです。

「いよいよ、あなたとの共同事業を発表すフェーズになってきたわね。記者発表の準備の打ち合わせなんだけど…。」

カリノ社長は、このブームの次に、「フォーマットにはまれなかった人々」と「フォーマットにハマりたくない人々」が発生することを楽しみにしていました。彼女の言葉を借りると「それこそが、人間の楽しいところ。本当の自由。」だといいます。

そういう母集団ができた世の中で活躍するのが、個別の自由選択を個人向けに支援してくれるエージェント型のエキスパート。社外取締役の彼を筆頭に、優秀な人材を揃えてきた人たちが、プラットフォームの基本メニュー作り以上に活躍する世の中です。

会議室に到着すると、そこにはカリノ社長が好んでいるミレーのオフィーリアの絵画が大きくサイネージ絵画として映し出されています。この会社の動きの、もともとの着想は、古典文学のシェイクスピア、ハムレットに登場するオフィーリアの人生を考えていたところからでした。

「ミレーのオフィーリア。子供の頃、なんだかこの絵が怖くてね。」

この会議室に初めて通すお客様には、彼女は決まってこの話をします。

オフィーリアが生きていた時代は、人生は逃げ場のない一本道の時代でした。特に女性は、父親の指示に従い、結婚する以外、幸せな人生の道がなかったのです。彼女はその時代に忠実に生き、その幸せの道が閉ざされて心を病みました。

それが美しい水と女性の死の芸術に昇華されたのは、彼女が時代に忠実に生きた美しい人だったからです。そうでなければ、単なる心の弱い薄幸の美女というだけの扱いだったと、カリノ社長は考えています。

「シェイクスピアが、今の時代に生きていたら、どういうハムレットになるだろうな、と考えるのです。その頃も、幸せな人生の定義は変革期ではありました。それが大きく変化し、多様化し、一本道じゃなくなった今、彼はどんな悲劇を生み出せると思いますか?とても興味深いですよね。悲劇の対比に幸せがあると考えると、幸せを定義する我が社は、彼から学ぶことがたくさんあるのではないかと思っているのです。」

着想  ジョン・エヴァレット・ミレー 
オフィーリア (Ophelia) 1851-52年
76.2×111.8cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

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