伝えること
大寒を過ぎて、春のような気温だったり、ぽかぽかの陽射しだったり(福岡は先日20℃)、そうかと思うと大雪も降ったりするお天気で落ち着きませんね。それでもあっという間に来週は2月を迎えます。
よしえ食堂ができるまでできるまでということ毎週月曜に更新しているこのnate。今日は、2月からはじめたいと思っていることをつづってみます。
食の学び
私は、これまで専門的に「食」について学んだことはありません。調理師学校や料理学校、栄養士学科や、食物学科などとも無縁でした。街の料理講座や料理教室も通ったことはありません。唯一、クリスマスケーキを作るお菓子教室には何年もの間、その時だけ通います。おいしいバターケーキが食べたくて。ちっとも上達しませんが。
思い返してみると、教わったと思えるのは、せいぜい小学校中学校高校の家庭科の授業くらいだと思います。学んでいないから「得意でない」「苦手」だと、ずっと思っているのかもしれません。
ですが、これまでに書きつづってきたように、祖母のかずかずの教えは、今思えば貴重なものでしたし、母が高校の家政科で教えることの大半を、私はうちで復習させられていたようにも思います。結局のところ、日常で必要な家庭科教育はだれよりも学んできたのだと思うようになりました。
例えば、プディングを作る時は、卵の凝固が問題だから蒸し器なのか、オーブンなので、レンジなのかとか。シュークリームの皮を焼く時は、水分と油の反応が大事だから、バターでもショートニングでも、サラダ油でも大丈夫で、それをいかに火入れて粘状にして爆発させるかみたいなこともたくさん母と実験していました。
正直、そんな練習が日常の食で役に立ったとは思いませんが、食の基礎はいろいろなところに学びがあったなと、最近は思えています。
伝える
そんな私が、最近やらなければと思っているのは、それを伝えていくことです。料理が日常すぎて、伝える必要性を忘れていることに気づきました。
家庭での食事も、家族で食卓を囲む風景などは幻想に近くなっているかもしれません。孤食といわれていた現実も、子どもでも、中学生高校生、大学生でも、社会人になってひとり暮らしになればそれも、最近は結婚年齢も上がってきていますし、結婚したからといって一緒に食べているかといえばそうでもありません。高齢者の孤食もあります。つまりは、孤食なのは仕方ないとしても、食について伝える機会は減っているので現状です。
そんな食のことを伝えなくても、テレビやネットで十分情報はあります。でも果たしてそうでしょうか?食べる実感は、そういうものでは感じられないはずです。食べるということは簡単でとても深い行為だと思っています。
些細なさじ加減や、季節ごとの味わいの違い、体調での違いなど、料理にはもっともっとその深さを知ると楽しくなる場面があります。
私は、そんなことを伝えていこうと思います。
毎年、梅干しを漬けると時の、赤紫蘇が酢と反応して、ぱあっと色を変える瞬間。シュークリームがぷうっと膨らむ瞬間。そんな体験は将来の財産になることを、今自信をもって、伝えたい。そしてごはんは何よりのエールであることも。