食を伝える
風がとっても強いものの、今日は5月並みの暖かさとか。春が来るのはとてもうれしいものです。桜が待ち遠しいですね。気がつけば来週は3月です。毎週月曜日私の半生を振り返りながら、新たな道を歩き始める様子を綴っていますが、今日は、このところ自分の中にできつつある軸についてお話しします。
おにぎりを伝える
先日、オンラインでおにぎり講座を開催しました。お目にかかる方はほとんど初めましてで、10数名の方にご参加いただきました。ありがたいことに、子どもさんも一緒だったり、移動中や、職場からもご参加いただきました。アーカイブの希望も多くて、うれしい限りです。 おにぎりは、日本人ならほとんどに人がわかる食べ物であり、馴染みのものであり、必ず口にしたことがあると思います。私にとっては共通言語だと思っています。それでも私が「おにぎり」にこだわるのは、なぜか正直わかりません。たかがおにぎり、されどおにぎり。その言葉は真髄でもあります。
「食を伝えたい」
食を伝えたいというテーマを長らく掲げている私ですが、ひとことで食といってもいろいろな事があります。例えば、おにぎりを例にとっても、お米の産地から、銘柄、精米の仕方、保存の方法、もっというなら米農家さんの思いまで。炊き方にしても、研ぎ方、炊く道具でも炊飯器・土鍋・鍋・圧力鍋・フライパンに・災害ごはんまで。おにぎりを握るとなると、塩だとか、具を何にするかや、海苔の巻き方、保存の方法などなど。たくさんて課題が見つかります。そして、それには、多種多様な指向性や趣味嗜好、体調や家庭の事情まで。 伝えたいこと その中でも、何を伝えたいのか、しみじみ考えた時に、行き着いたのは、「おいしいの先にあるしあわせ感」。「愛」なのかもと思ったのです。
そのオンライン講座を受けた方から「慈愛に溢れていた」というコメントをいただき、とてもうれしく思いました。「ごはんにかける情熱を感じた。情熱は美しい」とも。自分で慈愛に溢れているなんて、考えてみもしなかったし、情熱があるとすら思っていなかったので、驚きでもありました。
ただ「おにぎりを食べさせたい」いつもその想いがあります。困っているとか、弱っているとか聞くと、「ごはんはエール」その想いが溢れてくるのです。おにぎりを握る時に意識していることがあります、無私の境地です。食はフラットに伝えたいという想いがあります。
私の軸
私の役割は、伝えることです。それを受け取り感じ取るのは、相手です。伝え続ける、与え続ける、それが役割だと思っています。
いろいろなジャンルや、考え方を含む食を伝え続けることは私の指名なのかもしれません。なるべくフラットに、丁寧に、正直に伝え続けること、それはいつか情熱になり、慈愛になり、人を幸せにするのかもと思っています。 オンライン講座を開催して、自分の中にある軸がしっかりと根を張っていくのを感じます。きっとその根を張った幹がいつかたくさんのはを茂らせ、花を咲かせるのだと思います。その日を夢見ながら、食を伝えていこうと思っている今日この頃です。