【エッセイ】読書好きなのに本を読まなくなった成人男性が1か月で11冊を読書できた方法①(全4回)
「好きなのにできない」「やりたいのになぜか身体がついていかない」
そんな経験、皆さんにもありませんか?
それは、あなたがあの野比のび太くんのように「特定意志薄弱児童」なわけでも、「やらないことを楽しんでいる」わけでもありません。もちろん「やる気」「熱意」なんて抽象的でボヤーっとしたものが理由でもありませんよ。
このエッセイでは全4回で僕が大好きだった「読書する時間」を僕の人生に取り戻した方法について書いていきます。エッセイの構成は次の通りです。
その1「自分のこと、概略」
僕の読書歴や読書から離れるまでを振り返りました。
その2「自分のこと、分析」
なぜ僕が「読書から離れたのか」分析しました。
その3「自分のこと、戦略」
どうやって読書する時間を取り戻すか、方法とゴールを考えました。
その4「自分のこと、方策」
「読書する時間」を取り戻すために行った具体的な方法を書きました。
どこから読んでも構いませんし、その3やその4だけ読むのもいいと思います。ただ、できれば全部読んでいただきたいです。
なぜかというと「『できない理由』はみんな違う」から。僕と理由が違う人が僕と同じ方法をやっても上手くいかない可能性が高いです。
スポーツでもそうですよね。野球が上手くできない理由は人それぞれ。走るのが苦手な人もいれば、ボールを投げることが難しい人、そもそも体力がなくて試合時間スタミナが持たない人。色々だと思います。スタミナ不足の人が素振り練習を頑張ってもあまり意味があると思えません(もちろん多少のスタミナはつくでしょうが)
ですので、「なぜ僕がどれだけ本が好きか」「読書から離れた理由は何なのか」という2点も含めて読んでもらうと、より自分に役立つポイントが見つかりやすくなると思います。
「好きなことができる」はあくまでも出発点。大事なことは「それを楽しむ」ですよね。
なので、スタートに時間をかけずに、最短ルートで突破して、「好きなことができる」というちょっとした幸せを手に入れてもらう参考になれば幸いです。
1. 自分のこと、概略
読書にハマっていると自覚をしたのは小学生の頃だった。
幼稚園の時から本は読んでいたが、ハマっているという自覚はなかった。(それにしては本がないとぐずっていたらしいが)
図書室という夢空間にある本から次々に気になったものを読んでいった。読み尽くさんばかりの勢いで。30代も半ばとなった今では、何を読んでいたのかは忘れている。唯一、覚えているものがあって、それはおそらく海外の児童文学で、卵を拾った少年?が卵を孵そうと村のいろんな人たちに相談するが、どうしても上手くいかずに諦めていたところ、春になったら芽が出て植物の種だったことに気づく、みたいな話だった。シリーズものの1作目だったと思う。書名がわかる人がいたらぜひ教えてほしい。
それはともかく。読書好きは中学生になっても変わらず、週末は古本屋に出かけ、本を買う日々だった。小学4年生からハマったミステリものに対する興味が加速したのもこの時期で、古本屋にある海外ミステリを読み漁っていた。本格もの、倒叙もの、クローズドサークルなんて言葉を知ったのもこの時期だったと思う。サイコスリラーにもハマり、登場人物一覧を見て「プロファイラー」とか「心理捜査官」という文字を見つけたら迷わず買っていた。そんな時期だった。今から思うと、ちょっと心配な子である。
先輩から教えてもらったライトノベルにハマり、オタク化したのもこの時期である。小さな頃に大好きだったアニメがラノベ原作であることを知り、全巻揃えた。もちろん呪文も覚えた。その後も、気になったラノベは次々と読んだ。その先輩や同級生から情報を仕入れては、古本屋を巡る。サイコスリラーとラノベを同時購入することもあった。心配な子の度合いが増していたかも知れない。
高校生になってもその傾向は変わらず、一緒に部活をしていたオタク仲間の同級生がミステリとラノベが好きだったことや、部活の空き時間が多かったことから、お互いに本や情報を交換しつつ、読書量は増大していった。通学時間が長かったことも影響しているかもしれない。国内の新本格と呼ばれるミステリを読み始めたのもこの時期だ。予想がつかないことやどんでん返しが多いこと、伏線が張り巡らされているものこそ至高である。そんな思想に取りつかれ、先読みできない楽しさを求めていた。まさに思春期である。
大学に入って、心理学を専攻していた僕はミステリやラノベは娯楽として楽しみつつも、新しい心理学の世界にのめりこんだ。空いた時間は大学の図書館に閉じこもり、ひたすら好きな心理学分野の本を読んでいた。高校時代よりも通学時間が伸びたため、さらに本を読むようになり、いつも鞄の中に2、3冊の本を入れていないと不安でしょうがなかった。1冊ではダメなのだ。その本を読む気分じゃなかったら、本が読めなくなってしまう。
その傾向は今でも続き、旅行に行くときは最低でも3冊は本を持っていってしまう。空港の搭乗直前に重量オーバーで引っかかった時には6冊の本を所持していた。旅行に行ったのか本を買いに行ったのかわからない。捨てるわけにはいかないので、鞄から取り出しコートの左右ポケットに2冊ずつ、ズボンのベルトに挟んで2冊。なんとか持ち込んだ。さながら密輸だった。
そんな読書好きの僕だったが、社会人になるとパタッと読書をしなくなってしまった。本を読むことが嫌いになったわけではない。むしろ本好きは相変わらずだ。本屋や古本屋を見つけると必ず入るし、2回に1回は買って出てくる。しかも想定していたよりも倍の量の本を買って。しかし、なぜかパラパラと数ページめくっただけでそのまま部屋のオブジェとなってしまう。
「大人になってたら本が読めなくなるからねー」
小さな時から何度も聞いたセリフであったが、まったく信じていなかった。自分が好きなことを手放す?まさかそんなことがあるわけがない。
自分がそうなってしまうとは夢にも思わず、衝撃を受けた。
しかし本は積まれていく。高く高く。それに比例するかのように埃の層も高く、高く。それは掃除をしないからだって?衝撃だ。
【その1のまとめ】
・僕の本好きは昔から(もう30年近い?)
・ミステリ、ラノベが大好物。本格、倒叙、クローズドサークル何でも来い
・「大人になったら本を読まなくなる」って皆さん言われましたよね?
第2回目は「自分のこと、分析」と題して、読書から離れた理由について、自分なりに分析していきます。
お楽しみに。