茶畑での風景を残すことを考えてみる
砂子原茶業組合は高齢化、人手不足、それに加えてお茶の需要の下がり方、など、色々考えても寿命が長いとは言い切れない。
今日も放棄された場所がほぼ森になっているのを見て、もしかしたらもう何年も経てば、この茶山の全体がそうなっていくかもしれないという未来を想像する。
私が関わり出して7年、その間にも亡くなった方、もう出られなくなった方もいる。
茶山での風景やみなさんとのあれこれを残したいという気持ちがとてもある。
写真をやっている人に頼みたいという気持ちもあるのだが、自分にできることとして、自由律俳句で少しずつ切り取っていこうかと思っている。
早速手持ちのノートに少しずつ書いている。
これをどうするか、とかなんにも考えていないが、私は砂子原の風景も人もとても好きなので、自分の記録、記憶としても記したいと思っている。
茶畑の中だけではなくて、そこで生まれたふれあいも。