日本独自の開運術!江戸時代に発展した【九星氣学】の歴史
天地の法則を知ることで、自分の運勢を上昇させたり、よくないことを回避することができる九星氣学。これはどこからきたのでしょうか。今回は九星氣学の歴史について解説します。
大自然の「法則」をもとめて
古代より私たちは、地震、噴火、大雨、天体など、大自然の巡りをよく観察し、法則を見出そうとしてきました。
古代中国では、時の権力者は重要な決定を占いによって決定しました。こうした背景から、大宇宙の法則や自然の摂理を解明する試みがされていたことが知られています。
こうした試みの中から占いを体系化した「易経」が編纂され、紀元前5世紀ごろには九星氣学の源流となる「陰陽五行説」が整ったと言われています。
そして、これらの学問から「九星術」「方位術(奇門、遁甲)」「風水術」「陰陽道」などが発展していきました。
6世紀に日本へ伝わる
日本には仏教の伝来とともに、朝鮮半島を経由して多くの学問がもたらされました。
日本でも中国と同様に、時の権力者である天皇と貴族が重要な決定に占いを用いたり、都市設計の際には、方位と土地の性質に細心の注意を払ったりしていました。
これらが示すように、日本における占いは長らく、特権階級とその占いに携わる神官と僧侶に所属するものでした。
映画「陰陽師」の題材となった安倍晴明や、真言宗の開祖である弘法大師も、占いにより有力貴族の後ろ盾を得たと伝えられています。
江戸時代に庶民に浸透
占いは室町時代から特権階級以外の階層に広がり始め、江戸時代には広く庶民に親しまれるようになったと言われています。
裕福な商人を中心に、方位術を応用した「家相学」が発展しました。この頃から「辰巳の玄関」「戌亥の蔵」といった言葉が、人々の間で広まりました。
他にも、おみくじや宝くじといった運勢を試すものや、高島易も江戸時代に発展したものです。
大正時代に体系化される
18世紀半ばの明治維新後も家相学から発展した方位術の研究が進められ、さらに発展します。
そして明治24年、園田真次郎による実証経験をもとに、方位術に九星術を組み合わせた「九星氣学」を「氣学」としてまとめました。
このように九星氣学は、古代中国を源流として日本で長い年月を経て発展した占いであり、実用的な開運の学問でもあります。
みなさんも九星氣学を生活に取り入れ、一緒に開運体質になりませんか?
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次回からは、九星のそれぞれの星が持つ特徴についてお話しします。
みなさんはどの星でしょうか?
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また、九星氣学の概略については、こちらの記事をご覧ください。
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