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私が「ぜいたくはス敵だ」を世に送り出すまで

この記事は、私が2024年春にゲームを作ろうと思ってから、実際に2025年春のゲームマーケットに拙作「ぜいたくはス敵だ」を送り出すまでの過程を、後世への記録という意味で書き連ねたものです。

乱文乱筆で申し訳ありませんが、1つの物語として読んでいただければ幸いです。


キッカケ

2024年早春、国際展示場で開催されたゲームマーケットに初めて足を踏み入れた私は、会場を渦巻くモノ作りの熱気にやられました。

自分も世にゲームを一本送り出したい…どうせやるなら、大正・昭和の近代日本史を題材としたい…!

そのような野心に身を焦がしながら、国際展示場駅前から新橋駅までのバスを待っていた記憶が脳裏に焼き付いています。

しかし、ここで一つ問題がありました。

私が今までやってきたゲームはデジタルの1人用ゲームであり、ゲムマで出展されるようなアナログゲームは、ニムトやはげたかのえじき以外、殆どやったことがなかったのです。

アナログゲームを作るには誰かの手助けが必要であると思い立ち、頼れるような場所を探すところから始めました。

ボードゲームカフェへ

そんな折、都内のボードゲームカフェがゲーム制作のサポートを行ってくれる旨を見つけました。

早速、連絡を取り、私が作りたいゲームの趣旨を伝え、ここに私の人生で初めてとなるアナログゲーム作りが始まりました。

アナログゲーム初心者の私に、こういうゲームを作るなら、こういうゲームをやった方が良いと、色んなゲームを遊ばせてもらいました。

エルドラドを探して、クランクといった名作デッキ構築ゲームから、イーオンズエンド、スレイザスパイアボードゲームといった重ゲーまで、様々なゲームを遊び、その度に私のゲームはブラッシュアップしてゆきました。

初めてのゲームを次々プレイし、色んなゲームシステムを考え、プレイしては没にし、そしてまた作りなおす。

この期間は私にとって至福でした。

そして、ある程度のところまでゲームとして成立したタイミングで、テストプレイしてもらえるところまで漕ぎ着けました。

暗転

私が当初作りたかったゲームは、歴史上の出来事をテーマとした、デッキ構築型対戦ゲームでした。

システムはある程度ゲームにはなったのですが、問題はカード効果でした。

カードの効果はコストと釣り合っているか?効果は使い切りかパッシブか?その効果がゲームにもたらす影響は何か?

この根本となるゲームバランスを前にして、私はゲーム作りの難しさを思い知りました。

そう、とても一人で調整し切れるような代物ではないのです。

アナログゲームをやり始めて、一人でゲームを作っては世に出す人とお話しする機会も度々ありましたが、彼らの胆力というものに、改めて驚かされました。

事情もあって(家から1時間以上かかっていた事もあり)そのボードゲームカフェにお伺いする機会もめっきり減り、テストプレイや様々な助言までしていただいたゲームは、それ以上の発展を見ずにお蔵に入ってしまいました。

とはいえ、この時のゲーム作りの経験というのは、私の人生の中でもかけがえの無いものであり、私の拙作にお付き合いいただいた事には、改めて御礼申し上げます。

ボツの嵐

一人で作るには限界があると思い知った私は、軽量ゲームにシフトしました。

そして、トリックテイキングやセットコレクション、はたまた世にあるゲームを模倣したゲームを作ってテストプレイしては、ことごとく没にしてきました。

一つのゲームのシステムを考え、モックを作り、テストプレイをする。

この一連のサイクル、私の場合はだいたい1ヶ月でした。

この1ヶ月を躁状態で送り、ボツにしたら次の1ヶ月を鬱状態で送る。

頭の中で完璧に練り上げたシステムも、実際モックにして遊んでみると粗だらけであり、到底商品化など無理でした。

いつしか私のゲーム制作の熱は冷め、このまま1ゲーマーとして余生を過ごそうと考え始めました。

こんなのでよいのか

難しいゲームを考えては没にする日々に疲れ、月日は流れて2024年秋のゲームマーケット。

もはやゲームを出展するなど考える事などなく、1ゲーマーとして散財して大会を終えました。

そんなある日、ボードゲームカフェで同卓した方が、2024秋のゲームマーケットで買った大喜利ゲームを持ち込んでいました。

それこそ忘れることがない”銘柄カクテル「鬼たのし」”です。

当時、私は大喜利ゲームをそこまでやっていませんでしたが、お酒の銘柄にありがちな単語を組み合わせて、新しいお酒を作るという、非常にシンプルな作品に衝撃を受けました。

こんなので面白いゲームが作れるのか。

いい意味で、こんなのでいいのか。

複雑なゲームシステムばかり考えていた私にとって、この時プレーした”銘柄カクテル「鬼たのし」”の衝撃は言葉になりませんでした。

暁光だっピ!

もう一つ、私をゲーム作りに引き戻す出来事がありました。

SNSを何の気無しに眺めていたら、某団体が標語を募集していました。

鳥のマスコットで有名な、わかる人にはわかる”あの団体”です。

暇だった私は、ジョークのつもりで戦前の国策標語をもじって、その団体が標榜しそうな標語を作り、送り付けました。

幸い(?)採用こそされませんでしたが、参加賞としてスタバの1000円クーポンを貰いました。

ここで私の脳に電撃が走りました。

これはゲームとして成立するのではないか。

私はすぐに脳内シミュレーションを重ね、これはイケると確信しました。

調べてみたところ、国策標語は数多く記録に残っており、すぐにでも大喜利ゲームが出来るほど集めることはできました

そして、題名も、ぜいたくは敵だ!にスを落書きしたという逸話から「ぜいたくはス敵だ!」にすることも、10数分ですんなり決まりました。

ただし、この時点ですぐにゲーム化には至りませんでした。

それは、戦前の国策標語の持つ歴史の重みがあったからです。

センシティブとの対決

戦前の国策標語はかつての日本人を戦争に動員したツールであり、当然評価される点は一切ありません。

その結果、東京や広島や長崎は焼け野原となり、それだけでなくアジア全体に大きな傷痕を残した、いわば負の遺産です。

そのような標語を軽い気持ちでゲームとして昇華してよいものか。

当時、1週間程度葛藤したと思います。

ただ、タブーにすることが、かえって興味をそそられるから良くないというアフリカンカンフーナチス精神が発揚し、一念発起しました。

国策標語は触れても笑ってもいけないものではなく、こんなものは、ゲームでメチャクチャに茶化してしまえばいい。

当然、このゲームで遊ぶには、国策標語が社会にあった時代を義務教育で学んでいることが大前提であります。

その上で、国策標語を笑い飛ばすことで、このような言葉が社会全体を抑圧していた、不自由な世界を生きた人々の気持ちを想起し、現在の平和の尊さを感じる機会になれば良い。

このような、戦争と平和というテーマを確立し、ゲーム作りに邁進することにしました。

暗黒日記との出会い

とはいえ国策標語が、あまりにセンシティブな代物であることは間違いないです。

これをゲーム化することで、あらぬ批判を受けることは私の望むところではありません。

そこで私が用いたのがフレーバーテキストです。

フレーバーテキストとは、ゲームに直接の関係ないテキストであり、ゲームの雰囲気作りに用いられる事が多いです。

私はこのフレーバーテキストを使って国策標語を批判することで、ゲームで使われている国策標語を肯定するものではないという旨を示そうと考えました。

そこでフレーバーテキストとして引用したのが、当時の人々の本音です。

話はそれますが、私は日本の近現代史の中で、外交評論家の清沢洌という人物が好きです。

それは清沢が、日本中が真珠湾攻撃の熱狂の渦の中にあっても、確固たる自由主義の観点から、戦争によって狂った社会に対する批判の目を持ち続けたからです。

それが記されたのが、清沢が真珠湾の日から、後世に記録を残すためにつけ始めた、暗黒日記です。

私は当時の日本にこのような批判精神を貫いた人物がいたことに驚きました。

この暗黒日記を始めとする戦時下の人々の日記にある率直な言葉こそが、国策標語の欺瞞を暴くのではないか。

この日から2ヶ月余り、空襲が激しくなった1944年から敗戦の日にかけての記録、所謂敗戦日記を読み漁る日が続きました。

この中で初めて知ることもあり、大変勉強になりました

国策標語の中で生きた人々の言葉は、実際にゲームを手にとって読んでいただければ良いかと思われます。

二軸の大喜利

ところで、この時点では単にお題に乗せて国策標語をもじるだけのゲームでした

それでも良かったのですが、ふとロシアや北朝鮮のニュースを見ていて、ここにもう一工夫入れることを考えつきました

私たちが住む日本と、ロシアや北朝鮮では、世界が全く違います。

端的に言えば自由と不自由です。

この二項対立の上に、対立を破壊する無秩序という世界を加えれば、より深いゲームになるのではないか。

世の中にはイトを始めとする価値観のズレを楽しむゲームは多くあります。

あるプレイヤーは不自由な世界の観点から標語を作り、あるプレイヤーな自由な世界の観点から標語を作り、最後に皆がどの世界の観点から標語を作ったか、当て合う。

私はこの価値観のズレと言葉遊びを組み合わせ、二軸の大喜利にすることを思いつきました。

最後に

戦前の国策標語を題材とした大喜利ゲームなどに前例などあるはずがなく、このゲームが成功するか否か、全く想像つきません。

ただ、アナログゲームを作ろうと思ったことで、今まで人生の中で出会うことのなかった人々と繋がることが出来ました。

この出会いというものが、私の人生の中で大きな刺激になったことは間違いありません。

それらの出会いに感謝しつつ、この文章は終わりにしようと思います。

2025年春ゲームマーケット、土曜日、チャック横丁にてお待ちしております。

ご精読、ありがとうございました。


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