見出し画像

当たり前のこと…

どうも、こんにちは。かみやです

ふと、普段なにも気にしてない、当たり前のことが当たり前じゃないんだと感じた今日この頃です。

つい1週間前の出来事なんですが、ある病気になりました。

病名は…

そう、ギックリ腰。。

ビックリです。突然の出来事でした。

前々から腰痛持ちではあったんですが、ここ2、3年は特に痛みもなく、快適に暮らしていました

一人暮らしなので、いつも通り朝起きて、洗濯をして、軽い朝食のために自炊をしていました。

自炊をしていたといっても、ただラーメンを茹でてたたげです。

茹で終わるまで、麺を眺めていると、

急に腰から『ズキンッ!』という感触が突き上げてきました。立ち方が変だったのでしょうか。

麺が茹で上がるにつれて、どんどん腰が曲がってきました。

ようやくの思いで作ったラーメンを、必死に自分の食卓に運んで、食べました。

痛みで、味はしませんでした。

食べ終わると同時に、そのまま倒れこむように横になりました。

「あ、これ終わった。」

もう動けないことを悟りました。

「コルセットどっかにあったなぁ。湿布もなかったっけ?」「あ、無理だ。痛くて探せない、、」

泣きました。

こういうときって、不幸が重なるもので、食料、飲み物も、もう家にありませんでした。

昼過ぎた頃になると、お腹も減って喉も渇いて、腰も痛くて動けなくて、ほんとに悲しくなってきたので、

救急車呼ぼうか、友人か仕事場の人に助けてもらおうか迷ったんですが、

不幸中の幸い、ある事情で引っ越しを考えていて、仕事はなかったから、「緊急じゃないから、知り合いに助けてもらおう。」

あと、救急車なんて呼びたくないって気持ちも多少ありますね笑 でも、

「誰か助けてくれ…」心の中は叫んでいました。

病気とか動けなくなったときの一人暮らしは、ほんとになにも出来ないので、なんか急に悲しくなりますね。虚しい。

そして友人に連絡。

友人「分かった、大丈夫なん?」

【大丈夫なん?】

この言葉の重み。大丈夫なん。

僕はこの言葉に、こんな重みがあるとは思いませんでした。

この一言がこんなに、心に響くなんて。

心配してもらえるのことが、こんな有り難いことなんだと感じた瞬間です。

別に言葉を軽んじてた訳ではなくて、当たり前すぎて、忘れてることなんだろうなと思う。

状況によってこんな響く言葉になるんだと、改めて言葉の力を知った瞬間でした。

そして助けに来てくれるという安堵感。

ギックリ腰になって、自分のことを心配してくれる人を、もっと大事にしなきゃなと思いました。

普段、あまり人間関係を大事にしてない(大事にしてないというか、いつも適当です笑)自分ですが、

こういう、自分を心配してくれる周りをもっと大切に、恩返ししていかなきゃな。

だいぶ動けるようになった今、一言声をかけるだけでも、こんなうれしいときがあるのを知ったので、こういう状況の時に、声をかけられるような人間になろう。

そして、当たり前だと思っていることは、当たり前じゃない。『そんな、大袈裟な』と思っているそこのあなた。

動けることに感謝したことはありますか?

動けるのも当たり前じゃないですよ。ということで、今日も1日、幸せを噛み締めて頑張ります❗

みなさんも一緒に頑張りましょう❗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?