アフリカの日々
ぼくがまだ実家にいたころだったから、たぶんもう十四、五年前になるのだろう。テレビでマサイ族、という民族がしきりに取り上げられていた時期がある。視力がすごい、だとか、ジャンプ力がすごい、だとか、そうした身体能力の「異常さ」が面白おかしく取り上げられていた。結局、当時のぼくにはそこから先へ進む胆力も時間もないままにマサイ族という民族は記憶の川を流れていってしまった。
イサク・ディネセンの『アフリカの日々』は、1913年にケニアに渡り珈琲農園を経営したデンマーク人イサク(本名はカレン・ブリクセン)の回顧録だ。池澤夏樹の世界文学全集は、世界各地を旅させてくれる。何度も繰り返すけれど、池澤夏樹の世界文学全集のすごいところは、国家に分け隔てなく選定されているところだ。ほとんどが英仏独露中だった従来の「世界文学」を、正しく「世界文学」として扱っている。アフリカ文学もたくさん取り上げられている。更に慧眼というのか、アンソロジストの鑑というべきなのは、白人の書いたアフリカを舞台とした作品は「エッセイ」「ルポルタージュ」というノンフィクションの形式だけを採用しているところだ。『やし酒のみ』や『鉄の時代』のような小説は、それぞれナイジェリアの、南アフリカの作家のものが選ばれている。白人が描く黒人世界の小説には、どうしても偏見が入り込む。できる限りそれを排そうという意志を感じるし、実際この『アフリカの日々』も奇妙なナイジェリア小説『やし酒のみ』との抱き合わせで一冊の本になっている。
ケニアに渡ったイサクは「六千エーカーの土地」を持っていた、と書いてある。約5km四方の土地であり、その大きさはほとんど平安京と重なるようだ。そう思うと、とんでもなく広い土地だ。もちろんそれは「父祖伝来の神聖な土地を勝手に囲い込んで(…)紅茶とコーヒーを栽培してしこたま儲け、ケニア人を従僕に使って、優雅な植民地生活を満喫した」(土屋哲『現代アフリカ文学案内』)ひとつの例であっただろう。イサク・ディネセンはそれに自覚的であった。
アフリカに対して真摯な態度と開かれた心をもって接するイサクも、白人と黒人の主従関係という構造までは批判して/できていない。その点は確かに、ケニアの国民的作家ングーギ・オ・ジオンゴによる「彼女は帝国主義的ブルジョワジー、全世界の搾取階級の代弁者なのだ」という、舌鋒鋭く苛烈な批判の一因となっている。白人の描くアフリカは魅力的で、奇跡の連続のように描かれている。しかし、そもそもアフリカ人からしてみれば西洋と「対比」される美点、あるいは奇跡は単に日常なのである。この権力勾配は簡単に解消されるものではない。しかし、やはりイサクがこの回顧録を書いたことには深い意味がある。彼女の描くアフリカは美しく、根源的で、色彩豊かだ。アフリカという多様性に、多様性という光を当てる。蛮族、人喰い民族という統一的な誤謬からすくい上げる。マサイ族という民族を、ジャンプする人という一面性から引き剥がすのだ。
首都ナイロビの南西部、ンゴングには多種多様な民族が住んでいる。現世のみを信じ、野性的に暮らす戦士のマサイ族。禁欲的で清潔、氏族の争いの絶えないソマリ族。臨機応変に振る舞うキクユ族。
同じく全集に収録されているカプシチンスキの『黒檀』はアフリカを「真の大洋、別個の惑星、多種多様で、かつ優れて豊かな調和世界」と評する。アフリカの地図を見ると、国境の直線具合に愕然とする。そこには肌の色は同じでも、まったく異なる論理で動いている多様な民族が存在している。
そこでは実に様々なことが起こる。ひとつはガゼルのルルとの交流。雌のルルはある日、屋敷からいなくなる。けれど、やがて伴侶とともに、また子供とともに裏口へやってくる。決して以前のように体を触らせたりはしない。神聖な距離感をもって、尊敬し合いながら交流を続ける。あるいは、友人デニスとライオンを撃った話。クヌッセン老と池を作った話。キクユ族の祭り・ンゴマで起こったマサイ族との諍い、キクユ族長の死、発砲事件、登る太陽、沈む太陽……。どれもこれもが、敬虔な観察によって書き記される。印象的だったエピソードを三つ紹介しよう。
ひとつは、ソマリ族の雇い人ファラとの『ヴェニスの商人』についての雑談である。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』にはちょうど一ポンドだけの肉、というものを巡る論議がある。ぼくは高校生のころ『ヴェニスの商人』を読んで、その部分にずっと違和感をもっていた。そのとき抱いた違和感と同じことを、ファラは言葉にする。少しづつ抉っていけば、ちょうど一ポンドの肉は不可能ではない。イサクは、また友人のデニスは非常に教養的だ。本文にはこんなことも書かれている。
シェイクスピアやホメロスについて使用人と会話をし、新たな解釈を得る。こんな文学談義がいくつかあり、そこはとても印象的だった。触発されて『リア王』を読み返したのだけど、言葉によってしか他者を信頼できず、やがて悲劇に巻き込まれていくリア王の姿が他人事とは思えなくなっていた。これは完全に余談。
それから、手帖からの覚書のひとつ、デンマーク人船主のエピソード。若い頃、シンガポールの売春宿に泊まり、そこで中国人の老女から百歳のオウムを紹介される。それは、老女が若かった頃、恋人から送られたオウムで、ときおり意味不明な言語を喋る。老女は出会う人出会う人にその意味を聞くが、誰もそれがどこの言葉なのかは理解できなかった。しかし、このデンマーク人はそれがギリシャ語で、サッフォーの孤独についての詩だということがわかった。老女はそれを暗唱し、ただ頷いていた。まるで『千夜一夜物語』の、ひとつの出来のいい物語みたいだ。この寂しく、どうしようもなく美しい断片をぼくは忘れられない。
それから、友人の(おそらく本当は友人以上の)デニスとの飛行体験。イサクはときおり、デニスとともに飛行機に乗り、空を旅する。少し長いけれど引用してみよう。
このときぼくが思い出したのは、前田夕暮だった。彼の自由律短歌、「自然がずんずん体の中を通過するーー山、山、山」。朝日新聞の飛行機に乗った彼が、定型という重力から逃れて放った自由律の歌。短歌にとって自由律とは、三次元的飛翔だったのかもしれない。余談だけれど、デニスは飛行機事故によって亡くなっているが、イサクの初恋の相手――それは夫の兄弟でもある――もまた飛行機事故によって亡くなっている。ケニアに渡る以前のことだ。果たして、イサクはどのような感情で飛行機に乗ったのだろう。つい最近も、墜落する飛行機の小説を読んだ。マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』。ある時期まで、飛行機というのは危険極まりない乗り物だったのだろう。
イサクは、西洋とアフリカの交わることのない倫理観に直面する。「正義」と「死」に関するものだ。
『アフリカの日々』の第二部は、この正義感の相違に錯綜するエピソードにほとんどが費やされている。あるいは、死についてはこんなエピソードが特徴的だ。
アフリカ人は殺されるのではなく、死にたがったときに死ぬのである。死の問題は、そのまま意志の問題に直結する。少なくとも西洋の一般的な価値観は、強く揺さぶられる。死を受け渡さない。生と死を引っ括めて一人の人間の主体的な意志である。これは例えば、リルケがパリで感じた疎外された死と対比されるような死生観だ。そういえばキクユの族長キナンジュイの死因は雌牛に角でふとももを突かれたのが原因だった。薔薇の棘が原因で死んだリルケと、運命的に、観念的に繋がる部分がある。
半端なブルジョワジーは悲劇を解さない。そう述べるイサク自身が、ングーギによって「ブルジョワジーの代弁者」と評されるのは皮肉なのだけど、シェイクスピアを愛するイサクにとって、この言葉は最大級の、アフリカの人々への賛辞だったはずだ。
イサクにとって、アフリカは他者であるからこそ尊く、美しい「黒檀」の土地であった。こんな微笑ましい差異も彼女は記している。