尾山神社150周年!魅力と歴史
みんな、こんにちは!
突然だけど尾山神社が150周年を迎えるって、知ってる?
尾山神社って?って人もいるかな?
前田利家公を祀った神社だよ!
今日は2023年に御鎮座150年になる尾山神社について解説していきます!
尾山神社の歴史
昔々、ある人が亡くなったんだ。その人の名前は前田利家公。
利家公が亡くなったあと、息子の利長公は、お父さんを神様としてお祀りしたかったんだ。
でも、ちょっと困ったことがあって、利長公は勝手に神社を作ることができなかったんだ。
なぜ自分の領地で勝手に神社を作れないの?
利長公が勝手に神社を作れなかったのは、当時、前田家(利家公の家族)が「外様大名」という立場だったからなんだ。
外様大名っていうのは、上司に当たるお偉いさん(徳川幕府)とはちょっと距離がある家族のことなんだ。
だから、加賀百万石の大名だとしても徳川幕府の許可がないと、自分たちの思い通りのことはできなかったんだよ。
だから公然と神社を作ることができなかったんだ。
でも、利長公は賢くて、すでにある神社を新しい場所に移動させる方法で、お父さんの魂も一緒にお祀りすることに成功したんだよ。
それが、卯辰八幡宮っていう神社なんだ。
みんな、一緒にお祈りして、利家公を大切に思ったんだよ。
それから、時が経って、尾山神社ができたんだ。利家公とお母さんであるお松の方もお祀りされるようになったんだよ。神社は大事な場所になって、たくさんの人がお祈りに来るようになったんだ。
ところでなぜ外様なのに加賀百万石?
加賀100万石というのは、加賀藩(今の石川県)がたくさんのお米を持っていたことを示しているんだ。
100万石っていうのは、すごくたくさんのお米があるってことなんだよ。それだけ豊かな土地だったんだね。
なぜ外様大名なのに加賀100万石だったのかっていうと、実は前田家は、戦国時代の頃から独立していた殿様だったんだ。
利家公は、織田信長や豊臣秀吉のもとで働いて、たくさんの戦いで勝って、名声を上げたんだよ。そのおかげで、たくさんの土地とお米を手に入れることができたんだ。
でも、江戸時代に入ってからは、徳川家が日本を統治していて、彼らは自分たちに忠誠を誓う大名たち(譜代大名)を重要視していたんだ。前田家は、織田家や豊臣家とのつながりがあったから、徳川家とはちょっと距離がある外様大名とされたんだよ。
そんな戦国時代を生き抜いた前田利家公を祀る尾山神社はみんなの心の故郷として、これからもずっと大切にされるんだろうね。
みんなもぜひ、尾山神社にお参りに行ってね!
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