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女子体操:処分は「教育」のためになければならないのでは


女子体操のパリ五輪女子代表の宮田笙子(19、順大)が五輪出場を辞退した。日本体操協会が、本人に聞き取りの上で喫煙と飲酒の事実が確認され、日本オリンピック委員会(JOC)や日本協会の行動規範などに違反したと判断したと記者会見で発表した。

ご存じの通り、この処分を巡っては、「重すぎた」「規則に違反したのだから当然」と賛否両論となっている。私は、宮田選手の出場は難しかったとは思っている。

ただ、かつて大学の学生生活の役職を経験した者として、1つだけ指摘しておきたいことがある。

日本体操協会は、スポーツ競技の団体であるが、多くの学生選手を預かる全国の学校や体操クラブという教育機関を統括している。宮田選手は順天堂大学に所属している。

だから、今回の事例は、教育機関が学生を処分するということと同じことと考えていいのではないかと思う。

教育機関が学生を処分する場合、それは学生を「教育」するためであるということが重要だ。

教育機関には、刑事罰を与える権限はない。

もちろん、学生を処分する権限はある。厳重注意から、戒告から停学までの懲戒権はある。だが、その権限は、あくまで学生に犯した過ちを「反省」させて、行動を改めさせる「教育」として下される。

だから、懲戒処分を下すには、まず学生と丁寧な面談を何度も行い、犯した過ちのどこが問題を理解させて、反省文を書かせるなどして、どこまで理解したかを確認する。

その上で、懲戒処分を決める。その処分は、二度と同じ過ちを起こさないように反省し、再生して社会に巣立っていくために適正なものでなければならない。

そのため、例えば停学期間は「夏季休暇」「春季休暇」など新学期が始まるまでに終わるように設定することが多いし、就職が内定しているような場合、それに影響しないように配慮する。

学生の将来の道を奪うことに、教育的効果はないからだ。

(もちろん、刑法犯を犯して逮捕されたような事例は別で、その際は警察・検察の判断にゆだねることになります。ただ、その際もうちは「退学」はない。「無期停学」までで、「退学」については、あくまで学生の「自主退学」です。自主退学した際も、「復学」の道は閉ざしません。もちろん、これは大学によって違うかもしれませんが)。

宮田選手の話に戻ると、まだ未成年の学生である「出場辞退」という事実上の処分に「教育的効果」はあるのかということだ。

行動規範に違反している。宮田選手も反省して、納得しているとしよう。

しかし、4年に一度しかない五輪に出場できなくなったということはどうか。体操選手の選手寿命は短い。次の五輪は難しいだろう。選手生命自体が、これで終わりとなる可能性もある。体操界での今後のキャリアにも大きなダメージとなるのは間違いない。

ある意味、反省してもやり直すことが絶対にできない、人生を奪われたといっても過言ではない厳しい処分だ。

一方、未成年の喫煙・飲酒は協会の行動規範の違反たけではない。法律違反でもある。だが、罰則はないものだ。

その上、現時点ではなるが、協会の会長等の幹部、強化責任者、指導者など「大人」の処分はない。これが五輪終了後もなく、ただ宮田選手の「自主的な出場辞退」で事態の鎮静化を図るのだとしたら、どうだろう?

宮田選手は納得できるのか。納得できなければ、内心は反省することはない。その上、立ち直る方法もないとすれば、処分に教育的な効果はないと言わざるを得ないのではないか。

繰り返すが、私は宮田選手がパリ五輪に出場するのは難しかっただろうなと思っている。

しかし、日本のスポーツは、教育として行う「体育」と、勝つことを目的とする「競技スポーツ」が混在して成り立っている。

その是非はともかくとして、体操協会もクラブも大学も、選手を育てることは教育の一環として、立派な社会人として巣立たせることを目的として掲げているはずだ。

そういう組織が選手に処分を下す際、教育的効果と学生の将来を考慮しないことは、あってはならないのではないかとは思います。


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