上久保ゼミの「千本ノック」とは
ゼミで学生に話したことを、覚書的に書き残しておきます。
ゼミで毎週やっていることは、それ自体は地味な作業です。前に書いたように、「決め事」を最小限にしてあるし、最近流行の、楽しそうなグループワークをやるわけでないですしね。毎週毎週、課題をこなして話すという、一見単調にみえることが続くわけです。
だから、僕は学生に言うわけです。「ここは道場」だよと。そして、成果を出す場所は、「社会」なのだよと。
前にも話した「The Guardian書評」「研究書評」「クリティカルアナリティクス(CA)」という、ゼミのメニューは、いわば道場での訓練のメニューです。特に、僕は「CA」を重要だと思っていて、上久保ゼミオリジナルのディベートトレーニングですが、これには社会に出てやっていくためのさまざまな要素を入っています。
今日は、そのうちの1つを紹介したいと思います。それは、「批判する能力」です。
CAというのが、「立論1人対討論全員」で、ルールは「絶対にお互い同意しないこと」ですから、討論者はありとあらゆる角度から立論者を批判し、立論者はどんな批判がきても、それを跳ね返し続けなければいけません。
この、非常に双方にとって厳しい状況を「人工的」に作ってしまうわけですが、これが「日本で教育を受けた人」には非常に有効だと思っています。そこで、身に着けるものの1つは、どんなことでも「批判的」にみることができるようになることです。
「1対全員で批判し合う」という究極の状況から、日本で教育を受けた人がなかなか理解できない「批判する」とはどういうことかを、理屈ではなく、感覚的に覚えるのです。
いわば、ブルース・リーが弟子に奥義を伝える際、「Don't think, feel….(考えるな、感じろ)」といったようにね。日本で教育を受けた人は、批判とは何かを理屈で説明されても、今ひとつわからないんです。なんせ、「忖度社会」ですから。だから、有無をいわさず身体で覚えるような状況を作るということです。
「批判」というと、日本ではどうしてもネガティブなイメージがありますね。「批判ができる学生」なんて、就活の時に企業から敬遠されそうです。でも、それは浅はかな考えです。
僕が英国の大学にいたころ、「批判こそ最も大事」といろんな場面で、散々言われました。大学だけではない。英国社会全体が、なによりも「批判」を大事にしていたと思います。その心は、「批判」こそが、社会を発展させるファーストステップだと考えるからです。
社会を発展させるためには、問題を見つけて、その解決策を考えて、実行することが大事です。巷でよくいわれる「問題発見」「問題解決」ですよね。その問題を見つけるために必要なのが、社会のいろんな事象を「批判的」にみることなのです。
これは、学問みたいな特別な場面だけの話ではありません。世の中の仕事というもの、すべてにかかわることです。例えば、新しい商品を考えて、作り、売るという仕事。新しい商品とは、今まで多くの人が困っていたことを解決するものでしょう。だから、売れるわけです。
それでは、新しい商品のネタとなる、今まで多くの人が困っていたことを探すにはどうするか。それは、社会にあるいろんな問題を、そんなものだとスルーしたり、我慢したりせず明らかにすることが始まりです。そのためには、社会のいろんな事象を、批判的にみることが大事になるということです。
CAとは、それができるようになるためのトレーニング。僕が英国留学中、さんざん教授などから言われた「批判」ということが、最初よくわからなかったことから、試行錯誤した経験から作り上げたプログラムです。
さて、「千本ノック」ですが、一応野球経験者として(笑)、これは基本動作を徹底的に繰り返して選手を鍛え上げることで、もう選手がなにも考えなくても自動的にその動作ができるようになるということを目的とすると理解しています。
上久保ゼミの道場では、学生が日常的に、世の中のいろんな事象を目にしたときや、いろんな人の話を聞いたとき、そんなときに自動的にそれを「疑い」「批判する」ようになることができることを目指します。
それが、社会の問題を見つけ、解決する第一歩。仕事をするとき、新しい企画や商品を考えるときの第一歩です。
もちろん、「批判」といっても、それを上の人にストレートにその場でぶつけたら、人間関係上ろくなことはありません(笑)。そこはうまくやらないと。だけど、社会は汚いところ、忖度に次ぐ忖度でいきなければならないときがあっても、心の中には、常によりよきものを求める「健全な批判精神」が自動的に発揮されるように、研鑽を積み続けなければなりません。