英国流離譚:人生を変えた留学:日本留学準備編(7)はう きゃない せい ○X△ いん いんぐりっしゅ??
しばらくの間、「旧かみぽこぽこ」を書き直したものが続きます。ご容赦のほど。
しかし、この館内で日本語使用不可という規則には、最初ほんとにまいった。
授業中はまだいい。授業の間の休み時間が困った。なにしろ会話をしようにも、しゃべっていて単語3つの内1つはわからなくなるのである。
例えば、「わたしは弁当を買いに行きたい」というのに、「I want to buy……..」で弁当がわからないのである。
最初の一般英会話の授業で、こういう時にどう言ったらいいのか習った。
「How can I say bento in English?」
と言えと。
で、このフレーズが休み時間中、館内至るところで使われた。
「I want to buy……A~A~A~….How can I say bento in English?」
てな感じである。
1つ1つの会話にいちいち「How can I say…」では、結局なにがなんだかわからない。その内お互い疲れてきて、無口になる。。。。。
しかし、今思うとこれって幼稚園生の会話以下だったのではないだろうか。
なにより今思い出して驚くのは、1ヶ月くらい、コースメートが何歳で、
前に何をやっていて、何処に住んでいて、とかお互いほとんど理解してなかったことだ。
いや、元教員とか高卒とか書いたが、それは後からわかった話。高卒のH子など、休み時間に堂々とたばこぶかーっとか吹かしてるもんだから、最初25歳くらいに見えた。後で高卒と聞いて、ほんとにびっくりしたものだ。
なんせ最初の1ヶ月くらいは緊張感があって、館内はもとより帰りの飯田橋の駅まで一緒に歩いても、英語で会話しようとしてたりして、お互いのことをゆっくり話す余裕などなかったのだ。
そのことを思い知ったのは、5月になって初めてK美子と帰りにイタリアレストランに寄ったときだ。日本語で話してやっと彼女が前に保険会社に勤めていたことや、住んでいること、などなどを知ったからだ。
もちろん彼女も私が以前商社に勤めていたことを、この時初めて知った。