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親父と俺(5):空に太陽がある限り

知ってる人もいるでしょうが、俺は学問の世界で一番のイケボと自称している(笑)。上久保ゼミの募集要項には「カラオケ1500曲歌える」ということになってるし、現在の趣味は「ポケカラ」です(笑)。

いや、ぜんぜん隠してない。自分みたいな仕事の人間、隠したらダメ。いろんな場所で、堂々と公言してる。隠すから、ポケカラやってる、バラしてやったぞー!みたいなアホが出てくる。

教授会の面々も、学生も、みんな知ってますからね。

研究室で、休憩時間に唄ってますから。でも、なにが問題ですか?自分、悪いけど、うちの教授陣の誰よりも仕事してきましたぜ。これくらい、いいでしょう?(笑)

例えばこんな感じです。一曲だけ披露(笑)。
ついこの間まで、ポケカラのフォロワー数が、noteのフォロワー数を上回っていた。おいおい。
https://u.pokekara.com/mv/1836841806094282752?u_share=u1466761253812260864

しかし、俺のイケボは、現在では授業中に学生が心地よく眠れるためくらいにしか役に立たない。まったく無駄な能力となってしまっている(笑)。

ということなのだけれども、俺が人生で最初に覚えてみんなの前で歌った鼻歌は、スター・にしきのあきらさんの「空に太陽があるかぎり」だということに、「公式に認定」されている(笑)。
(あ、この自伝的小説、タイトルが「親父と俺」なので、ここだけは、一人称を「俺」とさせていただきます)。

あいして~る~♪ とても~♪
あいして~る♪ ほんとに~♪
(中略)
そ~らに~♪ たいようが~♪ あるかぎ~り~♪

と、スターにしきのになって、唄い踊っていたらしい。

若い人は知らないので、載せときます。こんな曲。

ませガキですな(笑)。

ほんとはどうかしりませんよ。ピーターを唄っていたという説もあり、諸説ありです。おふくろさんがそう言っていたので、「公式認定」としている。

大事なことは、おふくろさんがそんな俺をみて、

「この子は、音楽の才がある」

と見抜いたということだ。
その根拠は、普通歌を覚えると、メロディーを覚えるでしょ。
ところが、俺はメロディだけじゃなく、前奏から最後まで、伴奏を覚えて歌っていたのだ。これは、音感がある証拠だとおふくろさんは思った。

前回までに述べたように、予定日より1か月前に「仮死」で生まれたせいか、なにをやるにも人より遅れていた俺だが、音楽に関してはそれほど苦労がなかった。

おふくろさんは、さすがにプロの音楽家とかそういうことを考えたわけではなかったが、近所のピアノ教室に俺を通わせ始めた。

ピアノは、それほど苦労がなかった。ちょっと話が先に行くが、ピアノの先生にも期待された。先生には、俺と同級生の息子がいて、ピアノの英才教育を受けていた。その息子のライバル役として、先生から俺は期待された。

だが、ピアノは他の事と違って、やればやるほどできるので楽しかったのだけど、自分は本気でやらなかった。

小学校の中学年になると、あんまり練習せずに、週1回のレッスンにいって、先生に怒られてばかりになった。期待を裏切ってしまった。

本気にならなかった理由は、親父とおふくろさんの間で、俺を巡って綱引きが起きたからだ。要は、親父はスポーツをやらせて男らしく育てたい(その話は、次回以降)。おふくろさんは、音楽をやらせて品よく育てたい。この路線対立があって、俺が親父の路線を選んだということだ。

幼少時の俺は、「男らしさ」にこだわりがあった。

だが、実際はここまで書いてきたように、鈍くさい子どもで、スポーツはなかなかうまくできなかった。その男らしくない自分が嫌だったんですね。

別の機会に詳しく書きたいが、小学校以降、両親が小学校の先生(小学1-5年は、おふくろさんが同じ小学校、6年で入れ替わり、親父が同じ小学校に来た)という環境で、俺はちょっと周りの子と違うとみられがちで、それも気にしていた。

これも別の機会に書くが(そればかりですみません)、学校の先生の子どもは他にもいたんです。ただ、今思えば、親父は山奥から、おふくろさんは海からきた「大洲市の人ではない」先生の子だったので、そこの少し他の子と壁があるように感じていた。

そういう微妙な環境なので、自分は「男らしく、活発で」みたいなアピールをしたかったんだと思う。

それで、品よく音楽をやることは、後回し。そのほうが楽だったのにね。それで、得意ではないスポーツを、苦心惨憺やっていた。男らしくあるために。

おふくろさん、ごめん。

今思えば、言うことを聞いていればよかった。やっぱり、音楽の方が才能ありましたよ。ピアノを続けておけばよかった。音感だけじゃなく、美声ですからね(笑)。

大学でもね、なんで体育会入ったのよって。大学入学時、3つ選択肢があった。射撃部(大学から始められる2つだけの運動部)、応援部、合唱団グリーククラブでした。

グリークラブに入っておけば、今頃ゴスペラーズか、デュークエイセスだったかもしれない(笑)。

もちろん体育会もね、最終的には悪くない。子どもの頃から「全国大会」に出たいとずっと思っていて、中学や高校で、周りには全国大会に出た人もいた。自分は、大学4年の時、個人戦の最下位で予選突破して、インカレに出たんですよね。

僕は、射撃というのはホントに下手で、団体戦では使えないので、2年生から「学連委員」という運営に回された。そっちは才能あったので4年の時には学連幹事長になったけど、選手としては、コンプレックスがあったんですよ。

だけど、ある時カミさんが、「インカレ出場、すごいことでは?」と指摘して、「そうなのかも?」という気になった。

考えてみれば、苦心惨憺「男らしさ」を追い求めて大学4年、最後の最後に個人戦の最下位とはいえ、「全国大会出場」を果たしたのだから、たいしたもんである。

おそらく、現在の教授会メンバーで「インカレ出場経験者」は自分しかいないしね。

ということで、親父と俺のスポーツ編の結論を書いてしまいましたが(笑)、話をピアノに戻す。

俺は、小学5年のピアノの発表会、これは本気で取り組んだんですよね。

「ウォータールーの戦い」という、男らしくグッとくる曲を先生が選んでくれた。なぜか、瞬間的にやる気のスイッチが入って、一生懸命やったんですよね。

こんな曲です。俺の動画ではないですが。

この曲、最初の勇ましさと、最後の戦い終わったのバラード調の対比が最高なんですよね。

今から思えば、後に俺が「英国」に行くわけですから、不思議な縁だったかもしれない。

しかし、この曲を発表会で弾ききって、燃え尽きました。ピアノはそれでやめてしまった。

実は今頃、家でピアノやり始めてるんですよ。趣味でね。
「ウォータールーの戦い」を練習してます。

それでは、またね。

親父と俺、バックナンバーはこちら。





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