親父と俺(6):幼稚園の運動会と「上久保家の流儀」の始まり
(これは「自伝的小説」なので、一人称はタイトルと同じ「俺」としています)。
幼稚園の最年長の年、親父のスパルタ教育が発動された(笑)。
とにかく、俺は足が遅く、幼稚園の運動会で、1年目、2年目とかけっこではビリ。3年目、幼稚園最後の年の運動会が近づいた8月頃、親父から俺へのかけっこの特訓が始まった。
親父が俺を投げ込んだプールのある小学校のグラウンド、夕方になると、毎日毎日、ダッシュさせられた。腕を振れ、脚を速く回せ、と親父の指示が飛ぶ中、何度も何度も走った。
グラウンドの中央のトラックも使ってカーブの曲がり方も練習した(笑)。
親父は、学校が終わって、小学生を送りだした後、幼稚園から帰ってきた俺を連れ出し学校に戻って、かけっこの練習につきあってくれた。
親父は、なにがあっても、忙しくても一日も休まない。そして、走れるようになるまで、絶対にあきらめず、腕振れ、脚を回せと声を張り上げ続けた。
2週間、3週間と、ダッシュを繰り返していると、走れるようになってきた。
幼稚園の運動会のかけっこの練習で、周りに遅れなくなった。そのうち先頭を切って走れるようになった。
このへんは、すべてかすかな記憶だったが、自信がついて、おどおどした態度が少し変わったような覚えがある。
そんな俺の変化に、幼稚園側もみていたのだろう。
運動会の開会式で、「選手宣誓」のようなものを、女の子と2人で俺がやることになった。
親父とおふくろさんは、その幼稚園からの知らせに驚嘆した。この、ほとんど知恵遅れのように思っていた我が子が、幼稚園で園児を代表して選手宣誓??????(笑)
狂喜乱舞した親父は、平日だったにもかかわらず、小学校を休んで、巨大なカメラを携えて、幼稚園の運動会にいった。
親父がカメラを構える前で、俺は選手宣誓をし、かけっこでは一等賞になった。
しかし。。。
翌日、小学校に出勤した親父は、校長先生から
「学校休んで、子どもの幼稚園の運動会に行く奴があるか!」
と、しっかり説教を食らったそうな(笑)。この後も、
「子どものためなら万難を排してかけつける」
という、親父の姿勢はいろんな場面で貫かれ、それは俺の引き継いだ
「上久保家の流儀」
となっている。