河野太郎の「政治の小ささ」は残念だ。
自民党総裁選、不出馬表明をした岸田文雄首相、突如現れたように見えるけど「もっとも古い政治家」の「コバホーク」こと小林鷹之氏と書いた。次々書きたいと思うが、今回は河野太郎氏。
コメント欄に、私が伊藤忠にかつて在籍したから親中派の河野氏を支持なんでしょとレッテルを貼られました。
これはやめましょう(笑)。
今の時代、保守とかリベラルとか、レッテルやカテゴリー分けをして、敵と味方を分けようとすることこそ、意味のないことはない。
世の中は複雑、人間も複雑なのだから。
今は、1人の政治家がある政策では保守的スタンス、別の政治家がリベラル的スタンスだったりするのが普通だ。
例えば、自民党。憲法・安全保障では保守的スタンスの政治家が多いのは当然かもしれないが、内政は伝統的に利益分配が中心でリベラル的だ。その典型だったりするのだから、安倍晋三元首相なのだから、単純にカテゴリー分けはできない。
政治とは、利害関係の調整。政治家はいろんな人に会うのが仕事。自分と考えの合う人だけに会うのでは、そもそも政治の仕事にならない。むしろ、考えの違う人に会って面倒なことを調整するのが仕事でしょ?
いろんな人に会えば、いろんな関係ができる。カネも動くし、貸し借りもできる。そういうものだから、あの人は敵、あの人は味方、と政治の外の人が簡単に分けられるようなことは、ありえないのだ。
無理やり、あの人は保守だということにしていると、必ず「裏切られた-!」みたいな場面に出くわすことになって、ショックを受けてしまう。だから、そういうのはやめておいたほうがいいです。
私が元伊藤忠だから中国→河野太郎って、そんなことありえない。伊藤忠は世界中に駐在事務所があり、ビジネスを展開している。私は、伊藤忠とは、同期入社のつながり以外、何の関係もない。そんなの、当たり前の話だ。
そして、私は河野太郎氏を厳しく批判してきた。
その代表的な論考が、この2つだ。
私の河野氏の評価は変わらない。まずは、これらの論考の要点をまとめておきたい。
まずは、菅義偉内閣で、河野氏が行革担当相に就任した時の論考。
『河野太郎という政治家が本気で首相の座を狙うなら、小さな問題を取り上げて国民の怒りをあおって人気を得ようとする「大衆迎合的」なやり方はよくない。政治家としての品格を疑われ、長い目で見れば国民の信を失うからだ。それならば、「縦割り行政」の本質的な問題を堂々と解決し、誰もが「首相候補」と認める「大政治家」を目指したらどうか。』
『河野氏に、ぜひ言いたいことがある。それは「令和の中曽根康弘」になり、宰相の座を奪い取れということだ。
鈴木内閣で行政管理庁長官に就任した中曽根氏は、政治家として絶望的な状況に追い込まれていた。鈴木内閣の組閣で、中曽根派幹部で「弟分」であった渡辺美智雄氏が蔵相に起用された。また、行管庁長官の前任は中曽根派の宇野宗佑氏で、「派閥の子分の役職を親分が引き継ぐ」というものだった。
これは、自民党幹事長を経験し、総裁選出馬経験のある派閥の領袖の中曽根氏にとって、「侮辱的人事」であった。総理・総裁の座を狙ってきた中曽根氏にとって、その芽を摘まれる状況といえた。
だが、ここで中曽根氏に思わぬ「追い風」が吹いた。行管庁長官の所管である「行政改革」の断行を、経団連が強く主張し始めたのだ。中曽根氏はこれを起死回生の好機ととらえた。
中曽根氏は「第二臨時行政調査会」の設置を思いついた。土光敏夫元経団連会長を会長に抜擢し、瀬島龍三伊藤忠会長ら著名な財界人、学者らを委員にして、行革を断行した。世論の絶大な支持を得た中曽根氏は、政治家として復活を果たして首相の座を射止めたのだ。
河野氏は、堂々たる将来の首相候補である。かつての中曽根氏のように政治的に追い込まれた状況にあるわけではない。しかし、祖父の河野一郎氏の派閥を引き継いだのが中曽根氏であり、父の河野洋平氏は、政界入りした時、中曽根派に所属した。中曽根氏と河野氏には、浅からぬ縁がある。
また、河野氏と若き日の中曽根氏は、どこか似たところがある。首相を目指すことを公言し、時に孤立を恐れず、組織の意向に反するストレートな発言で物議を醸したりするところは、そっくりだ。
ならば、河野氏は、中曽根氏の再来を目指せばいい。行革・規制緩和を「やったふり」するパフォーマンスに走るべきではない。中曽根氏のように日本社会そのものを変えるような本格的な行革・規制緩和を断行する。そして、その業績を引っさげて、一挙に首相の座を奪い取るべきなのである。』
次に、菅内閣が退陣し、岸田内閣で河野氏が「デジタル担当相」に就任した時の論考。
『河野氏は昨年9月の自民党総裁選に敗れた後、党広報委員長に「格下げ」となった。世論の高い支持を得ていたはずの河野氏が敗れた要因は、河野氏の「政治手法」が多くの議員を怒らせたからである。
かつて河野氏は、菅義偉内閣の行革・規制改革担当相として、国民から「縦割り行政」の弊害について通報してもらう窓口を設置した。また、押印を「行政の無駄」として、全省庁で「ハンコ」を原則禁止にした。
このうち、ハンコの原則禁止においては、SNSを駆使して官僚やハンコ業界を悪者にし、国民の感情をあおって改革を実現しようとした。この手法が「ハンコ議連(日本の印象制度・文化を守る議員連盟)」など自民党内の反発を買ってしまった。
多くの国会議員が河野氏に一票を投じなかったのは、感情問題だけではない。
全省庁でハンコを原則禁止にすることは、確かに難題ではあるが、役所の部長クラスが音頭を取れば実現できたレベルの作業だといえる。そのため「大臣が陣頭指揮してやることなのか」という疑念を呼んだのだ。
河野氏は、政界で「一匹おおかみ」といわれ官僚に厳しいという。派閥やしがらみにとらわれない姿勢は河野氏の持ち味でもあるが、裏を返せば、仲間を募り、官僚と協力して難しい課題に粘り強く取り組む姿勢に欠けていると言わざるを得ない。
こうした要因もあり、自民党内では、河野氏が小さな問題を取り上げて国民の怒りをあおって人気を得る「大衆迎合主義者」ではないかという疑念が広がっていた。これが総裁選での敗北につながった。』
『河野氏はデジタル相でもある。日本社会のデジタル化の遅れは大きな課題であり、河野氏一人で簡単に解決できるものではない。河野氏は「大衆迎合」が宰相への道を遠ざけていることにそろそろ気付き、党内や各界の人材と協力して改革を推進すべきである。』
さて、河野氏はデジタル相としてどうだったですかね。やはり、小さな問題を取り上げて、敵を作って怒りを煽るやり方を続けていたんではないだろうか。
ちなみに、総裁選出馬表明の際、河野氏は首相になったら「裏金議員に返金を求める」と発言した。これもどうだろうか。古い自民党を敵とみなして、国民、一般党員の人気を得ようとする、いつもの河野氏という印象だ。
河野氏の政治は、前述の「ハンコ屋いじめ」に象徴されるように、ちまちましているという印象だ。首相を目指したいならば、これからの日本がどうあるべきか「国家観」を示し、スケールの大きな改革の戦略を持つべきだが、そういうのは聞いたことがない。
やはり、発信力、突破力は魅力であり、素質のある政治家だと思うだけに、河野氏の現状は残念だと思うのだ。