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英国流離譚:人生を変えた留学:日本留学準備編(1)どん底

それでは、自伝的小説「英国留学回想録」の書き直し、「英国流浪譚::人生を変えた留学」を始めます。

前回の回想録、そこそこ知られてましたが、途中で終わってるでしょ。だから、かみぽこは留学に失敗して消えた、ざまーみろ的なのがあって(笑)。ネット社会ってほんとに嘘ばっかりあふれてましてねえ。

私はこの通り、今日まで生き残っております。あしからず。ということでスタート。
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時は、2000年3月。

「。。。。落ちたよ」 
「そうか」 
「これからどうするか、ちょっと考えるよ。決めたら電話する」
「わかった」

俺はH大学の校門から電話していた。相手は俺の親父。H大の大学院社会人入試の結果を連絡するためだった。

結果は見事に不合格。

面接の時から、だめだろうなって感じはしていたが、やっぱりだめだった。親父の声は冷静だった。少し救われた気がしていた。 

しかし、その夜妹からe-mailが来た。なんと親父が40度の高熱を出して寝込んだという。更にこう書かれていた。

「お兄ちゃんはいつも勝手なんだよ。
どれだけお父さん、お母さんが心配しているか少しは考えたら?
勝手に会社辞めて、勝手にふらふらして。。。」

1999年6月末に8年勤めた会社を辞めた。親には事後報告だった。
その後のプランについては、自分なりに青写真があったものの、見事に失敗。

1999年7月、ノストラダムスの大予言が外れた。しかし、恐怖の大王は私にだけ降ってきていた。

結果として半年あまりふらふらしたあげく、その時お世話になった国会議員の先生に相談して、秘書みたいなことをさせてもらいながら、社会人枠で大学院に入り、政治学を勉強しようと思い立った。

議員に、知り合いのH大の教授に話をしてもらい、議員の推薦状ももらった。しかし、やはり短期間に付け焼刃で準備しただけで合格するほど、現実は甘いわけはなかったのだ。 

「ふう。。。」

コンピューターを切って、ごろりと横になった。
妹のメールはさすがのショックだった。
両親の苦しみにも初めて気付いた。
なにも考えたくない気分だったが、
両親の心配を考えると立ち止まることはできないと考えていた。

それでは、またね。


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