見出し画像

総選挙(1):これまでの政治は実は「自共連立」だったのではないのか?

石破茂首相が衆議院を解散し、10月27日(日)投開票で衆議院議員総選挙が行われることになった。

自民党(以下、自民)ではずっと「非主流派だった石破首相が誕生し、野党第一党の立件民主党(以下、立民)代表には、従来の野党共闘路線から脱し、「中道保守」を標榜する野田佳彦元首相が就任した。

どちらのリーダーも就任直後である。総選挙の結果がどうであろうと、おそらく選挙後も「石破VS野田」の対立構図は変わらないだろう。

非主流派だった政治家同士の対決による政治は、これまでと違ったものになるのは言うまでもない。ゆえに、これから総選挙についてさまざま書いていきたいと思うが、その出発として、これまでの政治はなんだったのかを論じてみたい。

ただ、タイトルでわかるように、かなりラディカルな話かもしれません(笑)。

この記事から始めたいのだけど、共産党(以下、共産)の「攻勢」って、いったいなんの攻勢なんでしょうね(笑)。

立民との共闘関係が解消されれば、立民の候補者がいる選挙区に、次々と共産の候補者を擁立するぞというんでしょ。

いったい、共産の敵って誰なのさという話だ。

突き詰めると、この共産の行動って、自民を利することになる。「反自民」の票が、立民と共産に割れるわけだから。

この共産の行動、単に立民に対する感情的な反発とみるのは簡単だ。だがもっとこの行動の「本質」を考えてみるべきではないか。

戦後、共産が結党されて以降、ずっと「万年野党」だった。それは、共産にとって悪い事ではなかった。

共産の幹部って、東大とかりつめ。。。もとい(笑)、まあ大卒のエリートだ。そして、幹部は大きな家に住み、裕福で「共産貴族」と呼ばれてきたではないか。

「共産革命」を掲げてきたとはいうものの、そんなものは現実ではない。共産主義国のほとんどが貧しく崩壊したことを彼らが一番知っている。貧乏になる革命などしたくない。そもそも、自民をみてたら政権取ること自体大変だと思うだろう。

実際は、自由民主主義・経済大国の日本で、一定の地位を占めて、豊かな生活を満喫してきたわけでね。

つまり、共産の「ホントの党是」って、党員が高齢化し、党勢が衰える中でもなんとか生き残って、「万年野党」であり続けて、共産貴族ほどではなくても、それなりに豊かな生活を続けることだと思う。

そんな共産にとって、目障りな存在は、実は自民ではなく「旧民主党系」なのだと思うんだよね。だって、彼らは

「政権交代のある民主主義」

の実現を掲げ、90年代の「政治改革」以降に登場してきたグループだからだ。「政権交代」なんて面倒なことを、わざわざやろうというのだから、うっとうしくてしょうがない。

そんな「旧民主党系」は、2009年に政権交代を実現したものの、政権運営の経験不足と、政権内での基本政策の不一致による混乱などで、わずか3年で政権を失った。

その後、「旧民主党系」は次第に共産の接近を許すことになる。

安倍晋三政権は、「アベノミクス」による円安で、まず疲弊した企業に一息つかせた(シンプルにいえば、1ドル=75円だった日本製品が、1ドル=125円くらいになったので、売り上げが同じでも利益が出たということ)。それによって、サラリーマンなど中道層の支持を得た。就活がよくなり、若者の支持も得た。

中道層の支持を失い、選挙に敗れ続け、追い詰められた「旧民主党系」の議員たちは、選挙での生き残りのために共産の接近を受け入れた。

共産がともに政権交代を目指すなど嘘で、選挙での生き残りを餌に、旧民主党系を左傾化し、中道層を離れさせて「万年野党」に引きずり込むのが狙いだった。民共中心の野党共闘が次第に形成されていった。

その流れを決定づけたのが、2015年の「安保法制」を巡る国会の攻防だ。

この論考、古いので細かいとこいろいろあるのはご容赦を。ここで取り上げたいことは次の通りです。

当時、野党にも保守的な思想信条を持つ議員が、実は少なくなかった。民主党政権期に外交や安全保障政策に取り組んだ議員もいたわけだ。もちろん、民主党政権の運営の稚拙さは批判されてきた。だが、少なくとも、厳しい国際情勢にリアリスティックに対応することの重要性を知っていた。

彼らは、安保法制11法案すべてが「違憲」であるとは考えていなかった。法案の中には「合憲」のものもあり、さまざまな問題点を修正しながら、国際情勢の変化に対応する安全保障政策を実現していくべきだというのが、彼らの「本音」だったはずだ。

実際、民主党は、安保法制を巡る国会審議への準備として「安全保障法制に関する民主党の考え方」をまとめていた。

安保法制に関して安倍政権と全てにおいて相容れないということはなく、国会審議において政権と是々非々で議論をする準備をしていたのだ。

だが、安倍首相(当時)は、民主党との協議を拒絶した。それだけではなく、民主党内の「保守」、前原誠司氏らを「真の保守ではない」というバカにしたような態度をとった。

本当の保守は、先祖代々の保守である自民党の世襲議員だけだ。一代で政治家になったような氏素性もわからない者は保守ではないといわんばかりだった。

これに、前原氏らが態度を硬化させた。「安倍政権には、絶対に改憲も安保法制もやらせない」と怒った。

その後、民主党(と、その後継の民進党)は安倍政権との対立姿勢を強め、共産党との距離を縮めた。「野党共闘」で、選挙で野党候補を1人にしないと自民党に勝てないとの主張が広がった。私は、野党共闘は、中道の無党派の指示を失うことになるので、やめとけと何度も言った。だが、私の言うことなど届くはずもなく、連敗を重ねた。「野党共闘」は、一度として効果がなかった。

効果があるわけがない。今も昔も、選挙の結果を左右するのは中道層(サイレントマジョリティ)だ。左傾化して、それを安倍政権に全部取られて、勝てるわけがない。当たり前の話。

2017年には、初めて「シン野党連合」の考えの方がのような論考も書いた。前原さんら民進党内の保守派が出て行って、維新など中道勢力と一緒に無党派層を狙えという主張だ。

この民進党代表選後、「敗者」ではなく「勝者」だった前原誠司代表が、当時ブームだった小池百合子東京都知事率いる「希望の党」と合流した。この動きは、まさに中道の無党派層の票を獲得して政権交代を狙う「シン野党連合」といえたと思う。

しかし、小池氏の民進党左派を排除する「排除の論理」に反発して、左派が分裂、枝野幸男氏が「立憲民主党」を結党して、バラバラに分裂した。

分裂の背後には、学生団体SEALsの残党など、共産党系の左派勢力がおり、立憲民主党は、共産との連携を強めた。しかし、2021年の衆院選で敗北し、枝野代表は辞任し、泉健太代表を経て、今回の代表選で野田佳彦氏が代表に就任。「中道左派」路線を打ち出し、「立憲共産党」と揶揄された関係はようやく終わった。

以上、2012年に野田民主党政権が下野し、第二次安倍政権が憲政史上最長の長期政権を築き、菅義偉・岸田文雄政権を経て、石破政権が誕生して総選挙に突入するまでの間をまとめてみた。

この間に起こったことは、要するに安倍首相から「悪夢」と呼ばれ、保守派さえも首相から突き放されて、感情的に反発した旧民主党系は、共産に抱き着かれて、バラバラになりながら左傾化し、万年野党化した。

私は、「一党支配の長期政権」を維持したい自民と、「万年野党」が居心地がよい共産の利害が一致していたと思うのだ。

言い換えれば、自民と共産は、「政権交代ある民主主義」を掲げてきた旧民主党系が、都合の悪い共通の敵だったということだ。

だから、「敵の敵は味方」的に、自然に共闘関係になっていた。

私は、2017年の総選挙の後、こんな論考を書いていた。読んでほしいのは5ページ目以降である。

少し長いが引用したい。2017年の総選挙は、『「分極的一党優位制」と「穏健な保守中道二大政党制」のどちらを選ぶか、という争いだったといえるのではないだろうか。

「分極的一党優位制」とは、保守に大きく寄った自民党に対して、左翼に大きく寄った小規模な野党が、「なんでも反対」の金切り声を挙げる体制である。なんでも反対の野党に無党派(中流層=消極的保守支持者)の支持は集まらず、自民党が圧倒的多数を築き、政策を無修正で通していく。

 一方、「穏健な保守中道二大政党制」とは、安全保障を政争の具とせず、経済財政・社会保障政策など内政面では、「改革が手ぬるい」「よりよき政策がある」と、保守と中道が競い合って、現実的な政策を作り上げていく体制だ。』

『小池知事・前原代表が仕掛けたことは、まさに「安全保障を政争の具にしない政治」であり、「より改革的な政策とは何かを競い合う政治」を実現しようとするものであったことは言うまでもない。だからこそ、左派を「排除」することが必要だったのであり、言い方とタイミングを間違えたと途中で気づいても、引き返すことはできなかったのだ。

 そして、一度は実現するかに思われた「穏健な保守中道二大政党制」の実現を、必死に止めたのが、旧民進党左派・共産党・社民党だったといえるだろう。安倍政権の登場以来、次第に確立してきた「分極的一党優位制」に強引に引き戻したのである。

 あえて大胆に言えば、安倍首相など自民党右派と共産党は利害が一致している。もちろん両者の間にコミュニケーションはないが、お互いに必要としているのだ。安倍首相にとっては、民進党のような政権担当経験があり、現実的な議論ができる政党は面倒な存在である。それを共産党がシロアリのように食い荒らし、経済財政や安全保障で政策の幅を失ってくれると、強引にやりたい政策を通しやすくなる。

 一方、共産党にとっては、安倍首相のような「保守色」がにじみ出る自民党が、安全保障や改憲で「極端」な物言いをしてくれるほうが、「なんでも反対」の共産党が目立つことになり、支持を集めやすく、議席増につながる。これが、岸田文雄政調会長や野田総務相のような穏健な中道の政治家が自民党を率いるようになると、共産党の存在感が薄れていくことになる。安倍首相と共産党は、お互いに「必要悪」な存在といえるのである。

「分極的一党優位制」では、保守を支持する人も、左派を支持する人も、お互いに感情的に反発し合い、政策をまともに考える力を失っていく。その間に、保守は「やりたい政策」をどんどん通していくことになる。一方、「穏健な保守中道二大政党制」となれば、現実的な政策の細部を競い合うことになるので、政治家は政策を勉強しなければならなくなるし、国民も政策を理解しようとするようになる。 中身の滅茶苦茶な「やりたい政策」を強引に通すようなことは通用しなくなる。』

2017年以降、今日に至るまで日本政治に起こったことは、まさにこれではないかと思う。私はあえて「自共連立政権」だったと言いたい。

だけど、同じ論考で、私はこうも書いていた。

『筆者は悲観していない。何度でも繰り返すが、「政策別野党再編」ができたことの意義は決して小さくない。安全保障を政争の具にしない、もう1つの政治勢力が小さいながらもできたことは、必ず「穏健な保守中道二大政党制」へのスタートになるはずだと信じるからである。』

今、この状況が現れてきた。

2017年に野党がバラバラになった後も、石破首相のような自民党内の穏健な中道勢力、玉木雄一郎代表の国民民主党、日本維新の会、そして野田代表のような立民の中道保守派が残っていた。

利害の一致する「自共連立」による、感情的な罵声を浴びせ合う政治が限界を迎えた時、そのオルタナティブとして自民総裁選、立民代表選で選ばれたのが、中道保守派だった。総選挙の結果はどうあれ、石破・野田による派手さはないが「穏健な中道保守」による議論を中心に政策を練り上げる政治が定着することを望みたい。










いいなと思ったら応援しよう!