英国流離譚:人生を変えた留学:日本留学準備編(2)参院議員会館
「これからどうする?」
世話になっていた議員さんから聞かれた。
「イギリスに留学して
向こうの政治を勉強してきたいと思います」
私は答えた。
わたしは、参議院議員会館のT参院議員の事務所でT議員、秘書のKさんと向かい合っていた。
H大社会人入学の不合格から1日考えた。
その結果出した結論が「英国大学院修士課程正規入学」だった。
なぜこの結論に達したのか。
それは今思えばものすごく間違った考えだが、その当時は本気でそう思ったのだから、正直に書く。
その考えとは、自分の「一流大学卒、一流商社出身」
という経歴を消さず、それに「英国大学院卒」という経歴を付け加えて自分の今後のキャリアにつなげようということだった。
ああ、恥ずかしい、情けない(笑)。今、思えばね。
私は昨年6月、8年勤めた会社を退社した。
それは某政党の実施した「衆院選小選挙区候補者公募」に合格したからだ。これはホントの話。政治家になろうと思ったのである。
会社には話さなかった。
当時、上司と折り合いが悪く、余計なことは話したくなかったからである。
会社には「留学します」という理由で辞表を出した。
しかし、党本部から合格通知をもらった後が大変だった。合格した後は「希望の選挙区のある県連と話をしてください」ということになっていたが、それがもう大変だった。
いろんな人間が私の前に登場してきた。
いろんな苦しいことがあった。
結果として、11月に出馬断念。
その時、県連の幹事長として、最初から最後まで一貫して面倒をみてくれたのが、T議員だった。
T議員は長い間時間がかかった挙句、私を候補者として公認できなかったことをわび、
「そのまま地元で政治活動するなら、応援する。
とにかく絶対に食えるようにはしてあげる」
と言ってくれた。
だが、私はそのまま政治活動を続けなかった。
政治を辞めるつもりではなかった。
地元でそのまま活動を続けても、うまくいかないだろうと思ったからである。
私は大企業で働いていたせいか、草の根の活動で、人々に気を遣って、人望を集めるのは得意ではなかった。
半年あまり政治をやってそのことを痛感した。草の根の活動を続けていても、きっと党の公認は別の人間に与えられるだろう。
私は自分の得意なことを伸ばしていきたかった。
それで考えたのが、自分のキャリア・アップという方向性だった。
。。。。。「3ヶ月ほど、語学学校に通って、それから英国に行きます」
私はT議員に言った。
「そうか。。。。なんかあったらおいで。食えるようにはしてあげるよ」
T議員は微笑みながらいつもの言葉を短く言っただけだった。
私は議員会館を出た。
「ブリティッシュ・カウンシル」の3ヶ月英語コースの入学手続きのための電話をかけた。