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自民党総裁選:選択的夫婦別姓は反対でも賛成でも構わないが、正確な議論をしてもらいたい

選択的夫婦別姓制度の導入の是非は、自民党総裁選の争点の1つとなっている。

例えば、候補者の1人である加藤勝信元官房長官は導入に反対の立場であり、「家族が同じ姓をもつことを非常に大事だと思っている。同じ呼称をもつことで一体感が生まれる。そこは大事にしていきたい」と述べた。

私の選択的夫婦別姓の考え方は、既に何度も述べているので、こちらをお読みください。

ここだけ繰り返して言っておきますが、私の家族は、選択的夫婦別姓の導入に反対ではない。しかし、導入されても我が家は「夫婦同姓」と決めています。カミさんと娘の意向です。

これが「選択制」ということなのだ。

ところが、反対派は、おそらく意図的にこの「選択制」という部分に言及せず、この加藤氏のように「家族が同じ姓を守る」と強調する。言い換えれば、夫婦別姓が家族というものを壊すと主張する。

その発言を聞いていると、まるで夫婦別姓が導入されれば、お父さんとお母さんの姓が無理やり分けられて、家族が引き裂かれるような「誤解」を与えるものだ。

そして、「選択的」であることには、徹底的に触れない。無視している。「選択的」であることが、都合が悪いからだ。

それは、議論の進め方として、フェアではないね。

実際は、我が家のように、夫婦が同じ姓でいたければいられる。一方、経団連まで指摘するようになったビジネス等での不都合を感じる人は、夫婦別姓を「選択」すればいいだけのことだ。

反対する人の家族には、なにも関係がない話ではないか。

家族の絆?他の家のことなど、大きなお世話だろう。夫婦別姓を選択する家族は、同じ姓であること以外に絆となるものを努力して作るものだ。絆は深いのではないか。

むしろ、反対する人こそ、家に帰れば家族の間に会話もなく関係は冷え切って、家族のきずなをつなぐものが「同じ姓」しかないのではないか。

昔は、旦那は「おい風呂、おいメシ、おい寝る」しか言わず、妻は黙って我慢していた。その結果、旦那の退職、子育ての終了とともに熟年離婚。子どもはうるさい父親を避けて、家に寄りつかず。

そういう家庭とやらが多かった世代が、自民党支持者の中心となっている高齢者ではないのか?

私は、自民党の地方の後援会に何度か顔を出したことがある。だが、あるイケメンの若々しいエネルギッシュな議員さんの後援会でさえ、会場の9割が高齢者だった。そこは、さすがに女性比率はすごい高かったですけどね(笑)。

まあ、普通は男性ばかりだろう。そこで議員は言われるわけだ。

「今時に若いもんは、夫婦が別の苗字とか、なにを甘えたことを言っとるんだ」

議員は、それを聞くしかないわな。

かくして、現役世代の共働き夫婦が、苦心惨憺働きながらがんばっていて、そこに関して必死に訴える苦痛に対して、手も足も出せないわけだ。

いわゆる「シルバーデモクラシー」だ。

すでに引退した高齢者の言うことを聞き続けて、現役世代の訴えは後回し。支持者は高齢者だからね。その結果、いまだに昭和の伝統が残るばかりで、世界の進歩からは取り残されるばかり。

しかも、選挙に弱い若手の政治家ほど、シルバーデモクラシーを守っている。おじいちゃん、おばあちゃんに言うことをしっかり守らないと落選するからね。

これが、自民党政治の本質的な問題ではないのか?

ともかく、私はこの選択的夫婦別姓の導入の是非、総裁選で候補者が論じる際は、別に反対でも賛成でも構わない。ただし、国民に「誤解」を広げないように、正確な議論をしてもらいたい。

それは、繰り返すが、「家族の絆を守る」とか、そういう主張で、一番大事な論点を無理やり隠そうとするなということだ。それは「卑怯」だとさえ思いますよ。

この問題は、あくまで「選択的」の是非を議論すべきだということだ。

「選択的」なのだから、反対する人の家族は何も変わらない。そのことを確認した上で、「選択的」であることに尚、社会的に問題があるのかどうか。

特に、反対派の高市氏、小林氏、加藤氏等は、その点に絞って答えてもらいたい。

自民党総裁選は事実上、次の内閣総理大臣を選ぶ選挙なのだ。繰り返すが、国民に誤解を与える、感情的に国民を煽る。そんなレベルの政策の是非の議論をしてもらいたくない。

反対でも賛成でも構わないのだ。多様な意見が必要だ。論理的で、正確な政策論争を望む。







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