親父と俺(1):はじめに
自伝的小説を2つ書いてみようかと思っている。1つは、かつて「旧・かみぽこぽこ」で途中まで書いていた「英国留学回想録」をもう一度最初から、今度は完成するまで書いてみたいと思う。
もう1つは、これ。「親父と俺」。
うちの親父、85歳になった。
小学校の教員で校長になり、最後は中学校の校長も務めた。退職後もいろんな地域の役職をやり、その功績で警察署長賞とかいろいろ表彰もされて、賞状を家のリビングに飾ってご満悦だった。
地域の先生方で作る学会の会長もやった。
それらの役職も、80歳ごろに順番に引退した。今は完全な隠居である。
親父の人生は、なかなかに破天荒なものだ。本人、話が好きだし、うまい。面白おかしく話すので、引き込まれてしまう。
教育論としても、一級品のものがある。理論的というよりも、徹底した実践の積み重ねに裏打ちされたものだ。
だから、息子としては、「自伝でも書け」と言い続けてきた。
引退後、テレビで時代劇と野球ばっかり観ている。長年、望んできた至福の時なのだろうから、それはそれでいいのだろうが、息子としてはこのままではボケるぞと不安になる。
今年になって、あらためて自伝の件を持ち出したが、はっきりやる気はないと言われた。
なんかね、よく話を聞くと、「自分は現場に徹する」という考えなのだとわかった。現場に徹して、文字など残さないのが美学なのだということだ。
きれいにいえば、自分の教えは、自分の教え子たちの中にある、みたいに思っているのかもしれない。ということで、親父になんか書かせるのは無理だとわかった。
一方、私は別のことを考えるようになった。
自分が書いたらいいのではないか。私は、親父の考え方、生き方から多大なる影響を受けている。学者、教育者としてのベースは、親父から教わったものだ。
親父の自伝がダメでも、親父とわたしの56年間の話を書けばいいのではないかと思った。つまり、私の頭の中にある、私を通した親父の話を書けばいい。
親父と私の話は、すでに世の中に出ている部分がある。元永知宏先輩が書いた本の中にある。
わたしが英国留学に行くとき、親父が言った。
「たとえお前が地獄に行こうとも、最後まで付き合う」
この言葉、相当にインパクトがあったらしく、いろいろな人に声を掛けられて、お前の親父はすごい人物だと言われた。この本が現代ビジネスの記事になった時も反響があった。
面白い話にできる自信がある(笑)。
石原慎太郎『弟』くらいのものを書きたいですが(笑)。それは無理として、でも、多くのnoterが目指すように、kindleで本にするくらいは書いてみたいと思います。
それでは、またね。