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紹介したいnote記事「老人の散歩」

冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「老人の散歩」という記事を紹介します。

ふるさとは
近きにありて想うもの
そして
愉しく唄うもの
気が遠くなるくらい懐かしい
ふるさとを散歩しながら
大人になるにつれて
忘れてしまった
少年時代の
心の破片をひろい集める
ただの石ころのようでもあり
燦然と輝く宝石のようでもある
少年時代の想い出

老人の散歩| 冬月剣太郎 猫詩人🐈 (note.com)

 冒頭の「ふるさとは近きにありて想うもの。そして愉しく唄うもの」を読んで、室生犀星むろうさいせいの望郷の詩句を思い出しました。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

室生犀星 抒情小曲集 (aozora.gr.jp)

 室生犀星の詩を調べてみると、次のような意味があるようです。

 望郷の詩句として名高い室生犀星(むろうさいせい)の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」である。

 実はこれ、遠方にあって故郷を思う歌ではなく、犀星が郷里の金沢に帰郷したおりに作られた詩という。

 東京で思うにまかせぬ暮らしを強いられ、懐かしい故郷に帰っても温かく受け入れてもらえない。その悲哀、郷里への愛憎半ばする思いが「遠きにありて……」の言葉となったらしい。

 
故郷とは時に複雑な思いを呼び起こす場所である。遠きにありて思うか、帰って父母や旧友と親しむか。

余録:望郷の詩句として名高い室生犀星の… | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 室生犀星が「遠きにありて思ふもの」「悲しくうたふもの」と詠んでいるのに対し、作者は「近きにありて想うもの」「たのしくうたうもの」と詠んでいます。

「気が遠くなるくらい懐かしいふるさとを散歩しながら、大人になるにつれて忘れてしまった、少年時代の心の破片をひろい集める」

 室生犀星が東京にいた時は、故郷の思い出は「美しく価値あるもの」だったのに、実際に帰ってきてみると、想像していたものとは違って「美しくはなかった」のでしょう。

 それに対して作者の故郷は、懐かしく美しい思い出そのままだったようです。だからこそ、「近きにありて想うもの」「たのしくうたうもの」と詠みたかったのでしょう。

「ただの石ころのようでもあり、燦然と輝く宝石のようでもある、少年時代の想い出」

 作者はきっと、これからもたびたび故郷を訪れては、大人になって忘れてしまったものを集めていく事でしょう。

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神野守
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